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批判浴びたウクライナ避難民への狂犬病「特例」

批判浴びたウクライナ避難民への狂犬病「特例」
日本人の中でにわかに高まった狂犬病への危機意識

ロシアによるウクライナ侵攻が長期化する中、日本にも避難民が入国する例が増えている。ロシアによる一方的な現状変更に対する日本国民の批判の声は大きく、その分、ウクライナへは同情的な見方が大勢だ。しかし、そんな声を受けて国がウクライナ避難民に打ち出した〝特例〟が、逆に大きな批判を浴びる事になった。

 4月18日、農林水産省はウクライナからの避難民が連れて来たペットについて、狂犬病予防法に基づく防疫体制を見直して特例措置を適用すると発表した。現在、海外から日本に入国する犬や猫等の動物は、個体識別用のマイクロチップ埋め込み、2回以上の狂犬病の予防接種に加え、血液検査で狂犬病の抗体価が一定以上有る事、抗体検査の日から180日以上が経過している事が必要になる。これらを証明する出発国の証明書が無い場合、動物は最長180日間、検疫施設に係留される。その間の餌代と管理費用は、動物の所有者(飼い主)の負担となる。

 「180日も必要なのは、狂犬病の潜伏期間が長い為。噛まれた1年後に発症した事例も報告されている。予防接種で抗体価を上げるより前に犬が狂犬病ウイルスに感染していた恐れも有る為、180日間は発症しない事を確認する必要が有ります」(都内の獣医)

日本が水際対策を徹底して来た理由とは

 厳格な措置には理由が有る。「日本では1956年を最後に狂犬病は発生していない世界でも珍しい清浄国。その上、狂犬病予防法により飼い主は飼い犬に狂犬病の予防接種を年1回打つ事が義務付けられている。国内でもここまで徹底しているのだから、水際対策も厳しくする必要が有る」と解説するのは、農林水産省を担当する全国紙記者だ。狂犬病は、発症すれば致死率100%と言われる人獣共通感染症。牛や馬、キツネ、アライグマ等全ての哺乳動物に感染するとされ、水を怖がる等の特有の症状が出て、治療法が無いまま死亡する。前出の獣医は「感染経路は、狂犬病ウイルスを持つ動物に噛まれる事。潜伏期間が長く、発症するまで感染している事が分からないのが怖い所。ただ、動物に噛まれたらなるべく早くワクチンを打つ事で発症を予防する事が出来る」と語る。

 とは言え、戦争状態に在るウクライナで今、動物の出国に必要な証明書を準備するのは容易では無い。命からがら逃げて来る避難民が、ペットの日本入国を目指して半年(180日)前から準備するのも非現実的だ。

 そうした事から、農水省はウクライナから飼い主と一緒に入国した犬について、マイクロチップによる個体識別をしている事とワクチン接種歴、血液検査で基準値以上の抗体価が確認出来る事、これらを満たせば、飼い主の滞在先に同行出来るようにする特例を認めたのだ。待機期間が過ぎる迄の間は、他の動物と接触させない管理体制の下、1日2回の健康観察と週1回の報告等を求める。こうした特例はこれ迄にも、災害救助犬の受け入れ時に適用されたという。

 「農水省が特例を発表したのには理由が有る」と裏話を明かすのは前出の全国紙記者だ。記者によると、日本に愛犬と共に避難して来たウクライナ人が係留期間中の餌代と管理費用を払えず、動物検疫所から「費用が払えないなら愛犬が殺処分となる」という趣旨のメールを受け取ったという報道が出たのだ。この話はSNSを中心に拡散され、国の柔軟性の無い対応に批判が殺到。国会議員も〝参戦〟し、国を責め立てるのに至った。

 「農水省はこの様なメールを出した事を否定しているが、180日間の長期係留や避難民に費用負担を求める事にも批判が相次いだ。今回が緊急性を要する入国で有った事から、過去にも例が有った災害救助犬の受け入れ時の対応が踏襲される事になった」(同記者)

恐怖のウイルスに対しSNSで広まった懸念

 特例を発表した時点で、ウクライナから日本に入国した避難民の愛犬は5頭しかいなかった。避難民の受け入れ数からいっても今後も多くの犬が日本に入国する可能性は低く、「動物検疫所の職員による確認が十分可能と判断して、農水省は特例を発表した」(同)のだという。

 ところが、である。

 「特例が発表された途端、再びSNSで今度は農水省の対応を問題視する意見が盛り上がった。折しもコロナ禍で感染症に注目が集まる中、致死率100%の恐ろしい感染症が日本に持ち込まれる危険性を軽視し過ぎていると、獣医や医師ら専門家も批判を繰り広げた」(同)

 世界保健機関(WHO)の推計によると、狂犬病の年間死者数は世界で6万人近くに上る。多くはアジア、アフリカ地域だが、ウクライナでも発生している。日本では60年以上、狂犬病の発生が無いが、海外で犬に噛まれる等して来日後に発症する「輸入症例」は数件有る。最近では2020年にフィリピンから来日した30代の男性が来日3カ月後に狂犬病を発症し、愛知県内の医療機関に入院するも死亡している。

 国の特例措置によって、怖いウイルスが持ち込まれ、日本が長年に亘って維持して来た「清浄国」が終わるかも知れない。更に、ワクチンの接種証明書が偽造されているとの情報も出回り、検疫無効化への懸念は高まるばかり。手元に引き取る迄に最長180日掛かるとしても、飼い主が収容中のペットに会いに行ったり、餌を自分で与えたりする事は可能だという。その為、SNSでは「検疫を緩めるのでは無く、施設に収容したペットに掛かる費用や飼い主が会いに行く費用を募金等で補えるシステムを整えるべきだ」とする意見が支持を集めた。

問題は20年で低下したワクチン接種率か

ウクライナ国民に寄り添ったつもりが高まる批判に、農水省は特例発表から2日後の4月20日、「これは輸入検疫措置の緩和では無い。国内の狂犬病発生リスクが増す事も無い」(熊谷法夫・大臣官房審議官)と沈静化に走る事態に。前出の獣医も「日本入国時点で犬の血液検査を行って抗体価を調べており、規定の値が確認された場合しか短縮は認められない。仮にワクチン接種証明書が偽造された物だったとしても、この値を維持出来ているという事はワクチン接種済みで有るという事で、狂犬病が持ち込まれる危険性はほぼ無い」と農水省の主張を擁護する。

 狂犬病の人から人への感染は極めて珍しく、動物同士でもワクチンを打っていれば発症は防げる。つまり、愛犬に年1回、予防接種を受けさせていれば、仮に海外から持ち込まれても国内で広がる恐れは低いのだが、問題は国内の犬のワクチン接種率がこの20年で99%から7割程度に下がっている事だ。厚生労働省の関係者は「日本でも狂犬病が発生していた事を知る人が少なくなり危機感が薄れた事が、接種率低下に繋がっている」と分析する。

 「海外からのウイルス持ち込みを水際で完全に阻止することは不可能。だからこそ受け入れる側がワクチンを接種して感染を予防したり、治療薬の開発を進めたりする事が大事だと我々は新型コロナで学んだ筈だが」と感染症に詳しい都内の内科医は苦笑する。水際を厳しくするだけでなく、〝自衛〟する事が大切なのだ。

 狂犬病のリスクを下げるには、今回の特例を批判するよりも、国内での狂犬病ワクチンの接種率向上を訴える方が、より大きな効果が有りそうだ。

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