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未来の会

ALS診療パラダイムシフトの幕開け

ALS診療パラダイムシフトの幕開け
 個別化医療・再生医療・バイオマーカーによる最新戦略と日本発の挑戦

嘗て「不治の病」とされたALS(筋萎縮性側索硬化症)は、大きな診療の転換期を迎えている。進行抑制を目指した複合的治療戦略が次々に登場し、個別化医療や再生医療、革新的なバイオマーカーの開発により、「制御可能な神経疾患」への扉が開かれつつある。日本発の先端研究も注目されており、その知見は世界のALS治療に新たな光を投げ掛ける可能性も有る。

ALSの疾患背景と現状

「生命だけは平等だ」という理念の下、24時間365日、断らない医療体制を掲げた徳洲会の創立者にして理事長だった徳田虎雄氏は、2024年夏に86歳で亡くなった。02年にALSと診断されて以来徐々に身体機能が低下、最終的に全身不随となり声も失ったが、胃瘻による栄養補給により生命を維持した。06年に闘病を公表、人工呼吸器装着後も経営判断や理念の発信を続ける姿勢を貫いた事でも知られる。

ALSは、進行性の神経変性疾患で、徳田氏以外にも英国の宇宙学者であるスティーブン・ホーキング氏等、20年以上もの長期予後例も知られるが、進行速度が速く、発症から2〜5年で死に至る事も少なくないとされる。脳と脊髄の上位・下位運動ニューロンが選択的に変性・脱落する事により、随意運動の喪失が主症状であり、最終的には四肢麻痺・嚥下障害・呼吸筋麻痺を来す。発症には、遺伝的因子と後天的環境因子が複雑に絡むとされ、約90〜95%は孤発性で、5〜10%が家族性とされる。好発年齢は50代後半から70代で、国内では年間1000人以上が発症、患者数は約1万人と推定されている。

個別化医療と再生医療による治療革命

ALS治療は長らく、リルゾールやエダラボンといった一律の薬物投与と、呼吸・栄養管理等の対症療法が中心であった。しかし近年、遺伝子型や病態に応じた分子標的薬や炎症制御薬が登場し、初めて「個別化医療」の時代が開かれつつある。

先ず注目されるのが、遺伝子変異に基づく分子標的治療である。国内での遺伝性ALSの約20%を占めるSOD1変異型で研究が最も進んでおり、これに対する画期的治療薬として、アンチセンス・オリゴヌクレオチド(ASO)製剤「Tofersen(トフェルセン)」が注目されている。23年、SOD1陽性ALSに対し、疾患修飾効果が期待される初の薬剤として、米食品医薬品局(FDA)がトフェルセンを迅速承認した。試験では、SOD1タンパク質濃度の低下に加え、神経傷害のマーカーである脳脊髄液中のニューロフィラメント軽鎖(NfL)濃度の有意な減少が確認され、世界初のSOD1陽性ALSに対する疾患修飾薬となった。日本でも治験を経て承認されており、今後の普及状況が注目される。

尚、同じASO技術は、発症や進行に関与するとされるC9orf72、FUS、TARDBP等、他の遺伝子異常を標的とする治療薬開発にも応用が進んでいる。

非遺伝性ALSへの炎症制御薬では、マシチニブの開発が進められている。マシチニブは複数のチロシンキナーゼ(特にCSF1R)を標的とする阻害薬であり、ミクログリアの活性抑制を通じて、ALSに於ける神経炎症の制御を図る作用が期待されている。

フランスAB Science社の主導する第3相試験では、リルゾールを服用しているALS患者に於いて、ALSの機能評価スコア(ALSFRS-R)の低下速度の有意な抑制が報告されており、進行性ALSの炎症と神経変性の関連に着目した新規治療薬として期待が掛かる。日本でも早期導入に向けた検討が進められている。

再生医療と細胞治療の挑戦

ALS診療は病因遺伝子毎の層別化治療という新たな局面に入っていると言えるが、細胞治療・再生医療では、日本が力を入れて研究開発を進めている。既に失われた運動ニューロンの回復が治療の大きな目標となっており、自己幹細胞を用いた神経修復と、外部由来細胞の移植による補充療法という2方向からのアプローチが成されている。

1つが、ニプロと札幌医科大学の取り組みである。両者が開発中のステミラック注は、自家骨髄由来の間葉系幹細胞(MSC)を用いた再生医療等製品である。18年に脊髄損傷を適応として国内で条件・期限付き承認を受けている。脊髄損傷条件下では静脈内投与後MSCが損傷部位に集積し、神経成長因子や抗炎症因子を分泌して、神経保護や再生誘導作用により、二次損傷の抑制と機能改善を促すとされる。

これに対して、ALSは進行性の運動ニューロン変性疾患である為、急性外傷とは異なる自然経過を辿る。抗炎症作用や神経栄養因子分泌はALSの神経環境改善にも有用と考えられるが、慢性変性に対する作用は異なる為、効果・投与回数・投与経路の最適化が必要となる。ALSに対して、ステミラックと同様のMSC技術を基盤とした別製剤での治験(STR03)による評価が実施されている。24年から第2相治験が進行中であり、将来的な適応拡大が期待されている。

又、日本発のiPS細胞(人工多能性幹細胞)では、神経前駆細胞の移植による神経回路再建が試みられている。京都大学iPS細胞研究所では、iPS細胞から誘導した神経前駆細胞を脊髄に移植する研究が、非ヒト霊長類で進行中である。24年には、免疫拒絶の無い移植成功例が報告されており、今後は臨床試験が期待されている。治療目的は、「ニューロンの補充」ではなく、周囲環境の保護と神経回路の再構築に在る。

慶應義塾大学の岡野栄之教授らは、iPS細胞から神経細胞の一種を効率良く作り出す手法を開発した。ALSの仕組みの解明や治療薬の開発に応用出来ると期待されている。

東北大学が10年に発見したMuse細胞を用いた治療も有る。Muse細胞は、骨髄や末梢血、臓器の結合組織に自然存在する非腫瘍性の多能性幹細胞で、損傷部位への自然集積能を持つ。SSEA 3陽性であり、ストレス環境下でも自己複製し、組織損傷部位に選択的に遊走・定着して、分化・修復に関与する能力を持つ。遺伝子操作不要で点滴投与が可能であり、安全且つ低侵襲な細胞療法候補とも目されている。

岡山大学は東北大学の協力の下、国内初のMuse細胞製剤(CL2020)の探索的臨床試験を21年2月より実施した。孤発性ALS患者5名を対象とし、Muse細胞を月1回、連続6回静脈内投与する探索的試験が実施された。投与開始から12カ月に亘り、重大な有害事象は認められず、安全性が確認されている。又有効性の面では、ALSFRS-Rスコアで投与前は月平均0.47ポイントずつの低下速度が、投与後は0.25ポイントの低下に減速する傾向が見られている。

TNF-α、IL-6、S1P、CHIT1、NfL等の炎症・神経変性バイオマーカーも併せて評価され、神経炎症抑制や疾患進行の緩和傾向が示唆されている。

今後は更なる開発段階へコマを進める必要が有るが、低侵襲な静脈内投与、高い安全性と進行抑制の傾向から、今後のALS治療選択肢の重要な1つとなり得る可能性が示唆されている。

バイオマーカーが拓く早期診断と治療評価

ALS診療の大きな課題は、診断の遅れと疾患活動性の客観評価である。ここに革新をもたらすのが、バイオマーカーの臨床応用である。

先ず、先述した血清・脳脊髄液中のNfL濃度は、神経軸索障害の進行度を高感度で反映する指標として注目されている。トフェルセンのVALOR試験では、NfLの有意な低下と臨床進行の抑制が相関しており、今後の治療評価の主要エンドポイントに組み込まれる見通しだ。

更に、PET画像で神経炎症マーカー(TSPO)を可視化する試みも進められている。加えて欧米では、ジョンズ・ホプキンス大学のジェフリー・ロススタイン医学博士が主導するスマートフォンによる発話や動作解析を用いた進行モニタリング研究や、米国nQ Medical社の「nQiALS」システムによる、キー入力解析で微細な運動障害を捉える試みが展開されている。

ALSは今、治療不能の難病から、進行をコントロール出来る疾患へと転じる可能性が見え始めている。日本からの創薬・臨床研究の貢献は、その未来を切り開く一翼を担う可能性がある。期待を込めて、見守りたい。

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