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未来の会

私の海外留学見聞録 ⑰ 〜アメリカの研究生活で得たもの〜

私の海外留学見聞録 ⑰ 〜アメリカの研究生活で得たもの〜

岡村 英夫(おかむら•ひでお)
日本赤十字社和歌山医療センター 循環器内科 嘱託医師
留学先:メイヨー・クリニック (2015年3月〜16年2月)

留学の始まり

私は40歳という歳になって留学をした。アメリカに行くことは兼ねてからの夢であり、大きな希望を抱いていた。もう時間がない。最後のチャンスだった。日本ではある分野の専門家だった。日本にいたほうが楽だし、周りに迷惑もかけない。そんなことはわかっていた。それでもアメリカに住みたい、アメリカで車に乗ってみたい、という欲望に負けた。1年という約束を病院にとりつけ、私の留学が決まった。行き先はもちろんアメリカ。つてがあったわけではなかったが、知っている先生が紹介してくださると、二つ返事でOKだった。米国大使館にビザの申請に行くのも、アパートを探すのも楽しかった。

私が留学したのはメイヨー・クリニックという病院で、シカゴの少し西の田舎町にあり、とはいっても有名な病院で、日本の先生方もたくさん来ていた。症例数の多いメガ病院であり、町の中心は病院、という感じだった。この病院のいいところの1つは町の治安がいいことであり、夜道で襲われた、という話も聞かない。ここでなら研究に没頭できる、と着いた日に感じた。着いたその足で髪を切りに行き、たどたどしい英語も何とか使えそうだと思った。

アメリカに着いてまず困ったのが、クレジットカードの上限と照明だった。クレジットカードで何でも買うことに慣れていて、ふだん大金を持ち歩くことはなかったから、車の代金がクレジットカードで落ちなかったときは状況が理解できなかった。また、借りた部屋は夜真っ暗である。天井にライトをつける、というのは一般的でないようで、それぞれの部屋に床置きのライトが必要だった。明るいうちに行けばよかった、と後悔したが、まず買いに行ったのが照明器具になった。

アメリカでの研究生活

そんなこんなで留学生活がスタートした。私は循環器医であり、日本ではペースメーカーの植込みなどのデバイス治療を専門にしていたため、研究テーマもそれに関係するものにしてもらった。アメリカでは医師免許がないから、過去のカルテを掘り起こす臨床研究しかできないと思っていたら、同意書をもらって予備的な心電図を記録する仕事を任された。リードを血管に通さない「完全皮下植込み型除細動器(S-ICD)」の適応があるかどうかを簡単な心電図検査でスクリーニングする。これを完全皮下リードのニーズの高そうな先天性心疾患外来でみてみよう、というのだ。午後の半日、外来に詰めても対象者がゼロということも珍しくなかったが、前向き研究に関わっていることがうれしかった。日本の医療がすごく遅れているわけではない。1〜2年後に日本に導入される技術に触れているだけなのに、充実感があり、研究しているという実感があった。これで得た知見で論文を書いた。1つ論文を書くとずいぶん気持ちが楽になった。

その後もいくつか除細動に関する研究をさせていただいた。植込み型除細動器(ICD)を使用していても心室細動が止まらなかったら意味がないし、かといって除細動器は小さい方がよい。どういう症例が除細動されにくいのか、効率よく除細動するにはどうしたらよいのか研究した。動物実験にも加わった。動物愛護のルールが厳格な国だから、そのための準備は大変だったが、動物実験は良い経験だったと思う。データがたっぷり、というわけではなかったが、論文にするよう指示され、これだけのデータで論文を書くのか、と驚いた。当然ながら研究は英語で行っていたので翻訳の必要はない。やはり公用語が英語なのはいいなあ、と思った。アメリカでの研究生活で強調しておきたいのは、恵まれた研究環境である。私の研究にも統計の専門家がついてくれた。私では考えつかないような統計手法を提案してくれるし、サンプルサイズを考えてくれる。研究は1人でやっているんじゃない、ということを再認識させられた。

アメリカでの生活

アメリカではアメリカらしく過ごそう、と決めていたから、スーパーでは大きなカートにいっぱい買い物をして、大きなベッドで寝た。他にアメリカといえばポップコーンを食べながら映画を見るイメージだろう、と思ってこれも実践した。当時、『ジュラシック・ワールド』が流行っていたので見に行くと案外理解できたので、調子に乗って『アントマン』を見に行ったが、全く笑えずだめだった。自分の英語力の無さを痛感した。

国立公園に行くのもアメリカの醍醐味だろう、と思っていたが、同じアパートに住んでいた日本の先生がアメリカの国立公園巡りを一緒に楽しんでくれたのは助かった。アメリカはお肉が安くておいしい。昼間からバーベキューをしてビールを飲み、独立記念日にはザ・ビーチ・ボーイズのライブを見た。

日本でフルマラソンをゆっくり走って完走していたので、アメリカのマラソン大会に時差を気にせず出られるまたとないチャンスと思い、これにも挑戦した。「これぞアメリカンライフ」というものはだいたい体験したように思う。

仕事には全くストレスを感じていなかったのに、髪が抜けて円形脱毛症になった。同じ頃から無性に海のものが食べたくなった。考えてみると、私のいたミネソタ州は五大湖はあるが海に面しておらず、魚は食べてもサーモンくらいだった。それからは缶詰でもシーフードを摂るようにした。真偽はわからないが、私は今でも髪が抜けたのはシーフードが不足してしたせいだ、と思っている。

留学で得たもの

アメリカに来て意外に思ったのは、アメリカの先生たちがよく働いている、ということだった。アメリカと聞くと、家族を大切にして、早く帰ってのんびり過ごしているイメージだった。確かに帰るのは早いのだけれど、朝も早い。朝6時半からの勉強会というのは普通だったし、冬にもなればまだ夜明け前で暗いのに人が集まってくる。彼らが仕事に熱心なのがわかった。
若い先生たちがよく意見しているのも印象的だった。ベテランと新人が議論する。間違っていても構わない。若い先生が意見しやすい環境を作っていた。
帰る前に勉強会でプレゼンテーションする機会を得たが、色々な意見をもらって有意義な時間だった。英語でのプレゼンは初めてだったので少し緊張したが、卒業試験みたいなものだ、と思った。同じラボにはインド系の先生が多かったが、インド系の先生が使う英語は私が聞いていてもきれいで、英語を直してもらってもきれいに直してくれる。公用語の1つだから当然のことかもしれないが、彼らは器用だし、計算も得意である。これじゃ勝てないな、と感じた。

研究室にはアジアから来ている先生もいた。近隣の国々との軋轢が取りざたされる昨今であるが、何の偏見を持つこともなかったし、これからもないだろう。1人1人が立派な研究者だった。

帰国

1年という時間はあっという間に過ぎた。私の留学は若い時にする留学とは違ったかもしれない。しかし、私に続いて後輩の先生が同じ病院に留学したのは、うまくバトンをつなげた気がする。アメリカの若手の先生と意見を交わし、恩師と一緒に研究したことは大きな財産となった。留学は楽しかったのに、より日本が好きになった。自分が日本で置かれている環境は恵まれているんだ、と気づいた。やっぱり留学してよかった。そう感じながら帰国の途に就いた。

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