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私の海外留学見聞録 ⑯ 〜幸運の重なりで、良き師、良き友に恵まれた留学時代〜

私の海外留学見聞録 ⑯ 〜幸運の重なりで、良き師、良き友に恵まれた留学時代〜

川上 正舒(かわかみ•まさのぶ)
公益社団法人地域医療振興協会 副会長、練馬光が丘病院 名誉病院長、自治医科大学名誉教授
留学先:コロンビア大学 (1977年5月〜82年4月)

「エンド暗いノロジー」と揶揄された研究室からNYへ

大学卒業後の50年の長い人生で唯一無我夢中で勉強したと思えるのが、ニューヨーク(NY)での5年間でした。

学生時代は、長い大学紛争・ストライキを経験し、授業再開後もその余韻を理由に勉強もせず1973年に卒業し、初期臨床研修後は、そのまま東京大学第3内科の内分泌研究室に入れて頂きました。当時の内分泌学は、ホルモンのラジオイムノアッセイの開発、受容体の同定、視床下部ホルモンの発見など、基礎研究が実臨床と直結した華々しい領域でありましたが、私自身は目的も定まらず、焦燥感に苛まれながら無為な日々を過ごしていました。

この状態を見ていた医局の先輩が、77年にコロンビア大学内科のDeWitt Goodman教授の研究室への留学をお世話下さったのが第1の運でした。

Goodman教授は同大学の内分泌代謝系の主任教授でしたが、ご自身の研究室はコレステロール・脂質代謝研究のメッカで、研究に必要な試薬や器械の類いは何でも揃っている別世界でした。同教授はコレステロール代謝研究の他、ビタミンA結合蛋白の発見など、脂溶性物質とその輸送蛋白の研究でも重要な業績を挙げておられました。私は、ビタミンD輸送蛋白をテーマに与えられ、文字通り昼夜を徹して実験を続けました。同大学医学部は主要キャンパスとは離れたマンハッタンの北西部、ジョージ・ワシントン橋のたもとに位置し、宿舎はハドソン川の崖の上に立つ素晴らしい高層アパートでした。しかし周囲は治安が悪く、夕方、家内から「今、下の川沿いで拳銃の撃ち合いをしいている。怖い!」との電話があっても、「うるさい!」と即電話を切る程、実験に集中していました。それなりの成果は挙げましたが、華々しい臨床に直結した話題からは距離があり、次第に何となく楽しくない日々を送るようになりました。

Anthony Cerami教授との運命の出会い

Goodman教授は内科の教授で私も附属病院(Presbyterian Hospital)のカンファランスには出席していました。ある時、そこにロックフェラー大学のAnthony Cerami教授が招待され、ヘモグロビン(Hb)A1cについての講演をされました。これが第2の運でした。HbA1cは異常HbAではなく正常のHbAに糖が結合したものであり、その量は中期間の血糖値と相関する、という今では当たり前ですが、当時としては極めて斬新な研究を発表され、興味のある人は自分の研究室に来て一緒にやりませんか?というような話をされました。この講演に興奮した私は、「一緒にやりませんか」を真に受けて、すぐにロックフェラー大学を訪問し、Cerami教授への面会を頼みました。しかし、当前のことながら門前払い。2度3度と繰り返すうちに秘書も困り果て、とうとうCerami教授自身が自室から出てきて、「研究はDiscussionが大事で、言葉の分らない日本人とは一緒に仕事をしたことがない」との理由で、断られました。そのような中、当時、同じNYのスローン・ケタリングがん研究所にいた同級生の浦部晶夫先生(前NTT東日本関東病院血液内科部長)がその嘆きを知り、ロックフェラー大学で血液学研究室を主宰されていた佐々茂先生(故人、東京大学第3内科の先輩)に話して下さり、佐々先生が、私との面会さえ拒否していたCerami教授を説得して下さいました。

思いが通じロックフェラー大学へ

ロックフェラー大学は教授陣が全体で数十人という小さな大学でしたが、教授の半数以上がアカデミーの会員で、名誉教授をふくめるとご存籍の教授の7人がノーベル賞受賞者という特殊な環境でした。さて、そこにはもぐり込んだものの当初は「便所掃除でもしてろ」のような状態でしたが、2〜3月後、トリパノソーマ感染による悪疫質と貧血の研究(同教授は鎌状赤血球の治療法の開発で知られ、さらにHbA1cの研究など、Hbや貧血に興味を持っていた)を課題としていた大学院生が、感染動物が血症を起こして解析できないと放り投げたのを、「高脂血症ならばGoodman研究室にいた奴がいる」と突然に指名されたのが第3の運でした。

そうは言われても、寄生虫と高脂血症とは、全くの暗中模索。しかし、3カ月近く、図書室に籠もりきりで文献を調べると(この時代の文献検索は苦難の修行でしたが、同大学の地下の書庫にはほとんどの文献がありました)、高脂血症はトリパノソーマに特徴的な現象ではなく、感染症一般に見られ得る現象で、かなりの症例報告があり、エンドトキシン(LPS)血症でも再現できることなどが判りました。さらに、LPSに感受性と不応性のマウスがあるという文献を発見したことがこの研究の鍵でした。LPSが感受性マウスと不応性マウスのパラビオーシスにより感受性マウスの血中に代謝異常誘発物質が出現することを証明したあと、この物質の産生細胞がマクロファージであることや、この物質がインスリン抵抗性を誘発することなど、次々と成果を上げることができました。これは、マクロファージ研究の第一人者のZanvil Cohn教授が同じキャンパスにおられたこと、インスリン受容体の研究で有名なジョンズ・ホプキンス大学のDaniel Lane教授の研究室に国内留学させてもらい、大学院生のPhillip Pekala氏(現イースト・カロライナ大学名誉教授)の親切な指導を受けられたことで成就できたものでした。

抗体療法の原理特許取得に貢献

この物質は、悪液質(カヘキシア)を誘発するという意味からカケクチンと命名し、内因性インスリン抵抗性惹起物質であることも報告しました。当時は、サイトカインという言葉もなく、体内で作られる内因性因子は生体にとって有用な作用をするものと考えられており、私の研究は無視されていましたが、この物質の作用は良くないものが多く、これを阻害することは多くの病気の治療に使えると考え、ロックフェラー大学はこれの抗体療法の原理特許を取得しました。その後、カケクチンとTNFの遺伝子が奇しくも同時期に明らかにされ、同一物質であることが証明されました。従って、余談ですが、この特許は抗TNF抗体であると認定され、同大学はかなり巨額の特許料を取得しました(因みに、私は同大学の採用時に、現実に起こり得るとは考えもせず、「大学内の研究で生じた特許は1ドルで譲り渡す」という契約をし、1ドル紙幣を確かにもらいました)

留学も5年となり、帰国を検討していた時に、「研究には環境が大事で、ここの研究環境は日本でも得られるのか?」と強く慰留されました。帰国後40年近くになりますが、Cerami教授の予言どおり日本では研究の環境に苦労することとなり、改めて、痩せた豚(かつて「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」との東大総長訓示がありましたが、私は肥ることさえもできませんでした)でも木に登った留学時代を複雑な気持ちで回想しています。

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