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「性の健康医学財団」創立100周年

「性の健康医学財団」創立100周年
土肥慶蔵氏の功績と財団の軌跡

2021年10月22日、創立100周年を迎えた公益財団法人 性の健康医学財団は、帝国ホテル「孔雀の間」(東京都千代田区)で記念式典を開催した。

記念式典では、同財団の第10代目会頭の北村唯一理事長(東京大学名誉教授・自靖会親水クリニック院長)が冒頭の挨拶を行った。又、来賓には、永井良三・宮内庁長官官房皇室医務主幹、齊藤延人・東京大学副学長、門田守人・日本医学会会長、木村哲・公益財団法人 エイズ予防財団前理事長、木村正・公益財団法人 日本産科婦人科学会理事長、林良博・国立科学博物館前館長らが招かれ、祝辞を述べた。続く記念表彰を終え、北村理事長は再び登壇すると、「性の健康医学財団の淵源 花柳病予防会から性病予防協会へ」と題する記念講演を行い、同財団の100年の軌跡を振り返った。

前身は「日本花柳病予防会」

今を遡ること116年前の1905(明治38)年に性の健康医学財団の前身になる日本花柳病予防会(会長:芳川顕正・内務大臣<当時>)が発足した。その名が示す通り、花柳界(芸者屋、遊女屋の集まる地域、いわゆる遊郭)で活動していた娼妓に罹患者が多く見られた梅毒や淋病等の性病(性感染症)を予防する目的で結成された。性病は当時、特効薬が無く世界各国で罹患者が蔓延している疾患だった。そんな中、国内においては結成まもない日本花柳病予防会が、06(明治39)年に第1回花柳病予防会議を開催し、「検梅」と呼ばれる娼妓に対する性感染症への罹患の有無を確認する検査の在り方等、娼妓に関する制度の見直しを検討した。

又、08(明治41)年に行われた第2回花柳病予防会議では、原敬・内務大臣<当時>に対して、娼妓健康診断の標準化、各府県における娼妓病院の設置、密売淫者の取締令の制定とその励行を建議した。蔓延する花柳病にどう対策を講じるかが喫緊の課題であり、日本花柳病予防会の動向に市民も行政も注視した。

 初代会頭の土肥慶蔵氏は、ヨーロッパで皮膚科と泌尿器科を学び性病の症例を多数経験し、1898(明治31)年に帰国した。同年、東京大学医学部皮膚科の教授に着任すると泌尿器科室を設置。又1900(明治33)年には吉原病院長に就任し、性病患者の診断・治療・研究に熱心に取り組んだ。05(明治38)年、日本花柳病予防会の発足に奔走した土肥氏は同会発足後に筆頭理事に着任し、梅毒や淋病の臨床研究で次々と実績を上げていった。11(明治44)年にドレスデンで開催されたドイツ花柳病予防会議に招待され、日本の性病治療の第一人者としての地歩を確実に固める事になった。

20(大正9)年、土肥氏は日本花柳病予防会を日本性病予防協会と改称し、翌年10月22日、内務省からの認可を得て財団法人 日本性病予防協会を発足させた。又、同年12月には同協会の機関紙『體性』を創刊し、自ら主筆になり、協会からの積極的な情報発信に努めた。同機関紙は医師・コメディカルだけでなく、一般市民も入会して、購読・投稿が出来るという当時斬新なものだった。芥川龍之介も書き下ろしの短編小説「三つの指輪 お伽噺」をこの機関紙に寄稿している。

土肥氏は日本性病予防協会会頭として活躍を続け、24(大正13)年3月に発布された花柳病予防法案にも大きく関与した。この花柳病予防法では花柳病患者を公立病院で治療させる事、花柳病患者が売淫行為をした場合、3カ月以下の懲役に処する事等が取り決められた。同年11月には東京・中央区に性病無料診療所も開設した。東京大学を退官後は、私財を投じて28(昭和3)年に日本性病予防協会・押上簡易診療院を開設し院長として就任し、31(昭和6)年、直腸癌肝転移により65歳で亡くなるまで生涯を掛けて性病患者の治療と研究に従事した。

「日本性病予防協会」から「性の健康医学財団」へ

 財団法人 日本性病予防協会は、初代会頭・土肥慶蔵氏から、遠山郁三氏(31年就任)、高橋明氏(51年就任)、北村包彦氏(72年就任)、市川篤二氏(73年就任)、新島端夫氏(87年就任)、熊本悦明氏(97年就任)と引き継がれた。7代目会頭の熊本悦明氏は99(平成11)年、「財団法人 日本性病予防協会」を「財団法人 性の健康医学財団」へと改称した。又、熊本氏は財団が対象とすべき疾患を「性感染症」だけでなく、「性の健康を損なうあらゆる要因」へと広げた。更には理事、評議員も大幅に刷新し、新規事業を次々と着手、推進していった。

例えば、性の健康に関する講習会、機関紙の発行、性の健康に関するEメール相談、性の健康に関する調査研究の推進・助成事業等は、熊本氏が立ち上げ、そして今も尚承継されているものである。その様な精力的な活動を行った熊本氏に対して北村理事長は、「当財団中興の祖」と称えた。

「日本性病予防協会」から「性の健康医学財団」へと名称を変え、対象疾患を性感染症だけでなく、性の健康を損なうあらゆる要因へと舵を切った同財団は、北村理事長が第10代会頭に就任すると、2013(平成25)年10月22日に、公益財団法人 性の健康医学財団へと改称した。現在、同財団では講習会の開催、及び年4回の機関紙を発行している。又、女性のヒトパピローマウイルス(HPV)郵送検査助成事業、妊娠女性の性感染症の全国調査、子宮頸癌全摘後の膣断端HPV残存調査等の助成研究事業も継続的に行っている。その他、全国の中高生に向けてのSTD出前講座等も実施している。

性の健康医学財団、今後の展望

 冒頭の挨拶で北村理事長は、創立100周年について「大変慶賀すべき事」とする一方で、今後の存続については「もはや性の健康医学財団の命脈も尽きんとしております」と悲観的な発言を行っている。これは即ち、発足時に財団が解決すべき社会的使命として掲げて来た梅毒、淋病、軟性下疳等の性感染症に対する予防法や治療法は、抗生剤の出現・発展によってほぼ収束し、国民もこれらの性感染症に対してかつて程の興味を示さなくなったと北村理事長は考えるからである。

 とは言え、性感染症は日本からすっかり無くなった訳ではない。その点に於いて、性の健康医学財団の存在意義はまだ残されているとも北村理事長は考えており、そのキーワードとして、「HPVの研究、治療」を挙げた。その上で、「これからは、子宮頸癌や中咽頭癌等のHPV関連疾患に焦点を合わせて、啓発、研究を続けて行く」との展望を示した。

 昭和初期迄人々を恐怖に陥れていた梅毒や淋病等の性感染症は、ペニシリンを始めとする抗生物質の存在によって確かに激減した。しかし一方で、エイズを引き起こすヒト免疫不全ウイルス(HIV)、子宮頸癌や尖圭コンジローマを引き起こすHPV、性器周辺に水泡や潰瘍を生じさせる単純ヘルペスウイルス(HSV)等、ウイルス性の性感染症が増えて来ており、これらのウイルスを殺傷する薬剤はまだ開発されていない。性の健康医学財団は変容・複雑化する性感染症に対して、常に情報をアップデートし、更なる認知、啓発活動を行っていく社会的使命がある。

 又、性の健康医学財団は、「性の健康を損なうあらゆる要因」を研究領域として掲げた。これによりLGBTに象徴される性指向の多様化によってもたらされる課題・難題に対しても、医学、生理学、心理学、社会学的な側面から有効なアプローチ法・診療技法を見出し、性の健康の在り方を提示していく責務を自ら課す事になったと言って良いだろう。

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