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「基礎研究」で見出されたシーズを 確実に臨床に繋げるための支援

「基礎研究」で見出されたシーズを 確実に臨床に繋げるための支援
佐谷 秀行(さや・ひでゆき1956年大阪府生まれ。81年神戸大学医学部卒業。同大学医学部脳神経外科研修医。87年同大大学院医学研究科修了(医学博士)。カリフォルニア大学サンフランシスコ校脳腫瘍研究センター研究員。88年テキサス大学M.D.アンダーソンがんセンター神経腫瘍部門Assistant Professor。94年熊本大学医学部腫瘍医学講座教授。2007年慶應義塾大学医学部先端医科学研究所遺伝子制御研究部門教授。15年慶大病院副病院長(臨床研究推進センター長兼務)。日本癌学会理事長。米国癌学会正会員。日本分子生物学会理事。日本レックリングハウゼン病学会理事。第29回日本癌学会吉田富三賞、慶大福澤賞等受賞多数。
——慶應義塾大学病院に臨床研究推進センターが開設されたいきさつを教えてください。

佐谷 新薬の開発は大手製薬企業が担っていましたが、創薬の拠点が大学や研究所等のアカデミア、あるいはそこに端を発したベンチャー企業に移っていくという流れが海外で起こりました。多くの疾患は製薬企業による創薬で解決していましたが、難治性疾患や希少疾患が残っていました。難治性疾患の薬は開発に相当な時間がかかるため、製薬企業はなかなか投資が出来ません。希少疾患は患者数が少なく製品化出来ても利益が上がらないため、どうしても開発が進まなかったのです。こうした分野の新薬開発を進めるためにも、アカデミアの参入が求められていたと言えます。アメリカでは新薬の5〜6割が、アカデミアかベンチャーで開発される状況になっていました。

——いつ頃の事ですか。

佐谷 2000年に入った頃からです。日本でもそうした新薬開発が必要だという事になり、文部科学省が「橋渡し研究支援推進プログラム」を立ち上げました。基礎医学を臨床に橋渡しするための研究プログラムです。基礎医学の研究者は細胞や動物を使って研究を続けていますが、新薬として臨床現場で使われるようになるまでには、多くのステップが必要になります。それを基礎研究者と製薬会社で進めても、なかなかうまくいきません。そこで、大学や研究所である程度のところまで出来る体制を整備する事になり、文科省が「橋渡し研究支援拠点」を設けました。最初は旧帝大等が中心でしたが、その後、慶應義塾大学は唯一の私立大学として橋渡し研究支援拠点に加わりました。それが14年で、その時にこの臨床研究推進センターが出来たのです。

——橋渡し研究はどこまでを担当するのですか。

佐谷 第1相の臨床試験を行うところまでです。慶應義塾大学にはこのセンターの前身として「クリニカルリサーチセンター」があり、臨床研究や企業治験等を行える体制を整えていました。橋渡し研究にこの部分をくっ付け、現在の臨床研究推進センターを立ち上げる事になったわけです。慶應義塾大学はがん、免疫疾患、再生医療等の分野で基礎的な体力をかなり持っていたので、基礎研究を臨床まで持ち込むのを、自前でやりたいという希望を持っていました。

センターが研究者をサポートする

——ご自身も基礎研究の研究者だったのですね。

佐谷 元々は脳神経外科の臨床医でしたが、難治性の脳腫瘍は現在の医療では太刀打ち出来ないと感じていました。どんなに手術の上手な医師が取り除いても、ほとんどは再発してきます。これは新しい治療を開発しなければと思い、基礎研究を始める事にしました。ただ、臨床医の気持ちはずっと持っていたので、基礎研究で使えるものを見つけたら、それを臨床に繋げたいという気持ちはずっと持っていました。臨床研究推進センター長に就任した時に、同時に副病院長になったのですが、基礎の研究者で副病院長の肩書を持つのは珍しいと思います。臨床研究推進センターが病院内の組織なので、センター長は病院の人間でなければならない、という事でした。臨床研究は患者さんを相手にするため、倫理的な問題もあって、病院でのポジションが必要だったのです。

——どのような方針でこれまで組織を運営してきたのですか。

佐谷 センター長になった時、まず社会的使命としての「ミッション」と、実現したい「ビジョン」を決める事にしました。私は1980年代後半からアメリカのM.D.アンダーソンがんセンターで働いていたのですが、その当時、彼らは「がんを撲滅したい」というミッションを持ち、「世界で1番のがんセンターになろう」というビジョンを持っていました。ちょうど世界第3位から1位になって行った時期です。そこで働いている人達は、医療従事者だけでなく、掃除をしている人や、病院の保育園で働いている人までが、世界1位のがんセンターである事を誇りにしていました。そんな経験があったので、ここで働く皆でミッションとビジョンを決める事にしました。「社会のニーズに応じた最適な医療が提供出来るよう、より優れた医療技術を常に探求し、人類の健康増進に寄与する」というミッションと、「専門的技能を磨き続ける構成員が一体となって、新たな医療技術を創出するための理想的な拠点を形成する」というビジョンが決まりました。

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