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エスエス製薬

エスエス製薬
ベーリンガーとサノフの事業交換でまたまた親会社が変わる事態に

 社員こそ気の毒だろう。一般用医薬品(OTC薬)メーカーのエスエス製薬だ。大衆薬を一生懸命提供しようと頑張っているのに、オーナーが次々と代わるからだ。現在の親会社であるドイツの製薬大手ベーリンガーインゲルハイム(BI)がフランスの製薬大手サノフィとの事業交換を発表してから、もうじき1年になる。

 事業交換はBIがコンシューマーヘルスケア(OTC医薬品)事業をサノフィに譲渡し、代わりにサノフィから動物用医薬品事業を譲り受けるという内容で、同時に交換する事業の評価差額としてBIがサノフィに約47億ユーロ(約5300億円)を支払うこととされている。

 発表後、両社は交換する事業内容の細部を詰める作業を進め、かつ主要国での独占禁止法に触れないことを確認して、今年末までに事業交換することになっている。今のところ問題は生じていないようで、クリスマス頃にも事業交換が実行されそうだ。

 この事業交換に頭を抱えるのが、またまた親会社が代わることになるエスエス製薬だ。

 同社の古参の幹部社員は「もう慣れっこになっていますよ」と苦笑する。実際、手の届かないところで事態が進んでいるのだから、苦笑するしかないのだろう。

 BIとサノフィが「事業交換をする交渉に入る」と発表したのは、昨年のクリスマスを控えた時期だった。エスエス製薬にとっては、寝耳に水のニュースだったのだ。

 サノフィのプレスリリースで事業交換によって「CHC事業の展開が限定されているドイツと日本におけるポジションを向上」とうたっていることからも、エスエス製薬がサノフィに譲渡されることが読み取れる内容だった。

経営トップも相次いで交代
 今年5月にBIジャパン社長、エスエス製薬会長として日本のBIグループを率いてきた鳥居正男氏が任期満了に伴い退任した。BIプロパーのトーステン・ポールBIスペイン社長兼CEO(最高経営責任者)が後任に就いたが、この人事もエスエス製薬をサノフィに譲渡するためのものと見られている。

 それにしても、エスエス製薬という会社は、不運な巡り合わせを持った会社だ。むろん、社員にとっても不運続きだった。

 同社は江戸時代中期の明和2年(1765年)に美濃国(現在の岐阜県)出身の白井正助が今の東京駅八重洲南口周辺に「美濃屋薬房」を開いたのが発祥だ。2015年に創業250周年を迎えた。老舗の多い製薬業界の中でも、古い歴史を誇る武田薬品工業や塩野義製薬が目をむくような大老舗なのである。

 OTC薬メーカーとなり、戦後、大正製薬に対抗して「エスエスチェーン店」を展開したが、6代目の正助時代に経営が悪化し、白井家が退陣。その後は、オーナーが変遷する。58年、朝鮮戦争時の好景気で財を成した新興事業家の泰道三八(照山)氏の手に渡るが、95年に長男でエスエス製薬会長の泰道三八氏(二代目)が理事長を務めていたコスモ信用組合が乱脈融資で経営破綻した。

 エスエス製薬を経営していた親戚ともけんかになり、その騒動から、同社と以前から取引関係にあったBIが資本提携を進めた。BIは96年に筆頭株主になり、01年にエスエス製薬をグループに入れ、10年には株式公開買い付け(TOB)を実施し、完全子会社化した。

 しかし、BI傘下でも決して安泰ではなかった。BIは外部から〝経営のプロ〟を招いて経営を任せた。その最初が05年に社長に就いた、外資系化粧品会社出身の羽鳥成一郎氏だ。エイボン・プロダクツから日本ロレアルに移り、事業部長を務めていた人物だ。

 羽鳥社長が行ったのは「一般用医薬品(コンシューマーヘルスケア)事業に経営資源を集中する選択と集中」だった。この方針の下、05年に医療用医薬品事業を久光製薬に売却し、次いで軟膏や座薬を製造していた富山工場をシミック(現・シミックホールディングス)に売却。さらに、不要になったと称して不動産も売却したという。

 外資系プロ経営者にありがちな「とにかく利益を上げて配当の増額、経営報酬の引き上げ手法」だ。それでなくても、医薬品メーカーが〝虚業〟ともいうべき化粧品会社出身者に指示されるのだから、エスエス製薬の社員らはプライドが大いに傷つき、士気も上がらなかった。

 次の経営のプロはブリティッシュ・エアウェイズ、フェデラルエクスプレス、ウォルト・ディズニー・ジャパンを渡り歩き、10年に社長に就任した塩野紀子氏だった。医薬品にド素人で、接客に長けた人物がトップに就いたのだから、成績が上がるわけがない。

 約1年半しか持たず、結局、BIジャパン社長の鳥居正男氏がエスエス製薬の社長、次いで会長を兼任するしかなかった。

福島原発事故で主力の福島工場が被災
 さらに、とどめを刺したのが東京電力福島第1原子力発電所事故で、原発から8㌔の至近距離にあった福島工場が被災したことだ。福島工場はエスエス製薬の主力製品であるドリンク剤「エスカップ」と鎮咳去痰剤「ブロン液」を製造していた。一時、途絶えた製品はよその会社に製造委託して間に合わせたが、社内から「富山工場を売却していなかったら、代替工場に活用できたのに」というため息が出たのも無理はない。

 福島原発事故後、ドイツはメルケル首相自ら脱原発に突き進んでいる。ライン川沿いのインゲルハイム市に本拠を置くBIにとって「福島原発事故の放射能が降り注いだ福島工場で医薬品をつくっている」などと批判されるのは真っ平だろう。

 BIは非上場の会社のため、内部事情をうかがい知ることはできないが、BIの幹部が「エスエス製薬のパフォーマンスはまだまだ低い」と語っており、原発事故後、エスエス製薬を持ち続ける意欲は低下したと伝えられている。

 それでもBIの傘下に入ったことによる成果も多かった。まず、オーナーが安定したことで、社長には恵まれなくても、社員の努力が実り、解熱鎮痛薬「イブ」やソバカス治療薬「ハイチオール」、ドリンク剤「エスカップ」など、同社のブランド品が復調した。

 さらに、BIで特許切れした医療用医薬品をスイッチしたOTC薬を入手することができた点がある。アレルギー専門鼻炎薬「アレジオン10」や胃腸薬「ガストール」、足のむくみを改善する「アンチスタックス」などだ。

 アレジオンは爆発的に売れると期待された商品だが、発売時期が福島原発事故と重なったため注目度が薄れ、人気商品になるまで時間がかかってしまった。しかし、昨年、成分のエピナスチン塩酸塩を2倍に増量し、医療用と同量の配合にした「アレジオン20」を発売。スギ花粉の大量飛散と相まって好調な売り上げを上げている。

OTC薬2社統合でエスエスが消える?
 ところが、せっかく業績回復したのに、待ち受けていたのはサノフィへの事業譲渡である。エスエス製薬のOTC薬がサノフィグループでOTC薬を販売する「久光‐サノフィ」の製品とぶつかってしまうのだ。

 中でも、エスエス製薬で主要なOTC薬となっているアレジオンは同様の成分、作用機序を持つ久光‐サノフィの、やはりスイッチOTC薬のアレルギー性鼻炎薬「アレグラ」と真正面から競合してしまう。

 サノフィに譲渡後もBIが開発したアレジオンをそのまま売らせてもらえるのか、あるいは「アレジオンより売れているアレグラに統一する」(医薬品担当アナリスト)かもしれない。

 いや、そもそもサノフィは日本でOTC薬メーカー2社体制を維持してくれるかどうかも分からない。

 非上場のBIは二度もプロ経営者を送り込み、失敗するようなことを仕出かしたが、長期的視点でものを見ている。

 しかし、サノフィはニューヨーク株式市場とユーロ市場に上場し、スイスに拠点を置くノバルティスや米ファイザーと競っているため、それだけ経営はシビアになる。「株主対策上、人件費削減策の実施や久光‐サノフィとの合併が行われる可能性も高い」(前出の医薬品アナリスト)のだ。

 サノフィは日本ですでに買収したジェンザイム・ジャパンの他に、久光製薬との合弁会社である久光‐サノフィ、日医工との合弁会社「日医工サノフィ」、動物薬の「メリアル・ジャパン」を展開している。新薬メーカー2社、OTC薬メーカー1社、ジェネリック医薬品メーカー1社、それに動物薬メーカー1社である。

 BIからコンシューマーヘルスケア事業の譲渡を受けて、エスエス製薬を手に入れると、OTC薬メーカーは2社体制になる。サノフィがこの非合理的なOTC薬2社体制を容認し続けるかどうかだ。

 もちろん、合併には合弁相手の久光製薬の了解が必要だ。だが、かつてサノフィは日本で合弁事業を一本化した経験を持つ。

 「サノフィは旧山之内製薬(現・アステラス製薬)や大正製薬などの間で医療用医薬品販売の合弁会社をつくった。しかし、サノフィ自身が合併を繰り返して大きくなるのに合わせ、1社ずつ合弁を解消してサノフィ自身の販売体制に切り替えていったことがある。エスエス製薬でも同様のことが始まるのではないか」(製薬業界通)と見られているのだ。

 それがフランス流合理主義らしい。BIはエスエス製薬を10年間持ち続けたが、サノフィはそんな悠長なことはしないだろう。ひょっとすると、「エスエス」の名前もウサギのマークも消えることになるかもしれない。

 ともかく、BIとサノフィの事業交換で、BIの動物薬部門は現状の約3倍の約38億ユーロ(約4300億円)に上り、世界第2位になる。一方、サノフィのOTC薬部門はBIのOTC薬部門の売り上げを加えて約51億ユーロ(約5800億円)に拡大し、英グラクソ・スミスクラインや独バイエルと並ぶ世界トップクラスになる。

 しかし、BI傘下のエスエス製薬にとって、親会社がサノフィに変わることが吉と出るか凶と出るかまだ分からない。ただ言えることは、これからも社員にとっては気の毒な状況が続くだろうということである。

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