
災害経験が形作ってきた日本の災害医療体制
1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生した。マグニチュード7.3、最大震度7。死者6434人、負傷者4万3792人という未曽有の被害をもたらしたこの災害は、日本社会の危機対応能力の限界を白日の下に晒した。
中でも深刻だったのが医療体制の混乱である。搬送すべき重傷者が何処にいるかさえ把握出来ず、病院間の連携も機能しなかった。「防ぎ得た災害死(Preventable Disaster Death)」という概念が、この震災を機に医療関係者の間で広く認識される様になった背景には、こうした苦い現実が有る。この反省を踏まえ、厚生労働省は2005年、DMAT(Disaster Medical Assistance Team=災害派遣医療チーム)制度を正式に創設した。医師・看護師・業務調整員で構成される機動性の高いチームが、発災後の急性期(概ね48時間以内)に被災地へ入り、救命処置と域内搬送調整に当たる体制である。
その真価が問われたのが、11年3月11日の東日本大震災であった。最大震度7、マグニチュード9.0、そして高さ10メートルを超える津波が三陸沿岸を呑み込んだこの災害で、DMATは発災翌日から被災4県に続々と入った。全国から集結したチーム数は約340、隊員は1500人超に上る。活動の中心となったのは、被災地内での傷病者のトリアージと応急処置、そして重症患者の域外搬送調整である。岩手・宮城・福島の各県にSCU(Staging Care Unit=航空搬送拠点臨時医療施設)が設置され、自衛隊の航空機や新幹線を活用した「広域医療搬送」が初めて本格運用された。これは、被災地内での救命処置を担うDMATとSCUを拠点とする広域医療搬送体制を組み合わせる事で、被災地の医療負荷を速やかに域外へ分散させるという、日本の災害医療の基本構造が初めて大規模に実践された事例でもあった。
この時被災地外の医療機関へ移送された重症患者は数百人に上り、受け入れ先の調整から搬送中の医療管理迄をDMATが一貫して担った。津波で機能を失った病院に代わり、避難所や救護所で診療を継続した活動も、多くの命を繋いだ。
それ以降も制度は拡充を続け、16年の熊本地震では被災地内の病院機能維持支援等の役割を、24年1月の能登半島地震では、半島という地理的制約の中でも発災翌日から現地に入り、患者の搬送や孤立集落への医療支援に奔走した。阪神・淡路大震災以降、約30年に亘り整備されてきた災害医療体制が、人命救助の能力を着実に高めてきた事は否定出来ない。
現場を支える医療者の使命感
災害医療の現場で働く医療者の多くが、金銭的報酬や昇進への期待からではなく、純粋な使命感によって動いている事は疑いない。東日本大震災に於いて、沿岸部の病院が津波に呑まれる中、医師や看護師が患者を守ろうと最後まで持ち場を離れなかった事例は今も語り継がれる。岩手・宮城・福島の各被災地では、自らも被災しながら診療を継続した医師が少なくなかった。「患者さんを置いて逃げる事は出来ない」——その言葉は、使命感という言葉では到底言い尽くせない重さを帯びている。そして、こうした献身的な働きは、しばしば「尊い」との言葉で語られてきた。
災害現場は、肉体的にも精神的にも極限の負荷が掛かる環境だ。瓦礫の中でのトリアージ、遺体の傍らでの処置、先の見えない避難所医療——そうした過酷な現場を長期に亘り支えていく為には、体力と適応力を兼ね備えた若い世代が担い手として育っていく必要が有る。ベテランの経験と知識は不可欠だが、持続可能な災害医療体制の構築には若手の継続的な参入が欠かせない。
だが現実には、その若手医師こそが、DMATへの参入に於いて最も高い壁に直面している。
厚労省が25年度のDMAT研修募集要項に於いて、「災害医療を志す若手医療従事者は少なくないが、年齢の高い者が優先されることが多いため、若手に受講枠が付与される機会は限られている」と明記し、対応策として若手向けの直轄枠を新設したのがその証左だ。所管省庁が自ら問題の存在を認め、是正に動いたという事実は、現状の深刻さを端的に示している。
厚労省の公表資料によれば、25年3月時点でのDMAT登録隊員数は全国で約1万9000人弱。若手の参加余地は十分有る様に見える。しかし実態は異なる。地方の急性期病院に勤務する30代の外科医はこう語る。「同期でDMAT登録をしているのは、体感では10人に1人いるかどうか。興味が無いのではなく、入り口が狭い。研修の枠が限られていて、経験豊富な先輩が優先される。結局、声が掛かるのは上の世代になる」。実際、DMAT養成研修の年間受講枠は全国で約2000名程度とされており、受講希望者が順番待ちになるケースも珍しくない。やる気の有る若手が「声が掛かるのを待っている」状態が常態化しているのが現実だ。
制度と現場の間に残る課題
DMATへの登録は5年毎の更新制であり、資格維持にはDMAT技能維持研修への継続的な参加が義務付けられている。制度の趣旨は合理的だが、研修に伴う費用・移動・拘束時間の多くは個人負担とされている。或る地方病院の院長は「うちの病院規模では、スタッフを研修に出す余裕が正直無い。代診の確保が難しい上、研修費用も病院持ちにする余力が無い」と打ち明ける。中小規模の医療機関程、この負担は重くのし掛かる。
派遣時の補償も整備途上だ。国や自治体からの派遣命令に基づく場合は公務災害補償が適用されるケースも有るが、民間病院の医師が自院の判断で活動した場合の補償は病院毎に異なる。派遣中の給与保障、万一の事故・感染に対する補償、帰還後の過重労働リスクへの対応——こうした問題が曖昧なまま放置されており、「何か有っても自己責任」という空気が現場に燻り続けている。
キャリア形成の観点からも、若手には逆風が吹く。日本専門医機構の制度では、症例数と研修実績が専門医取得の要件として厳格に求められる。研修医・若手専攻医が災害派遣に参加すれば、その期間は症例積み上げの「空白」となり兼ねない。限られた時間の中で何を選ぶかと問われれば、専門医取得を優先するのは寧ろ理性的な判断である。「やりたい気持ちは有る。でも今じゃないという感覚」と前出の外科医は言葉を選ぶ。
更に、人口減少と医師偏在が進む中、地方の急性期病院ではそもそも派遣出来る人員の確保自体が難しくなってきた。厚労省の20年の医師需給推計では、全国的な医師数は29年頃に需要と均衡するとされているが、地域間・診療科間の偏在は依然として深刻だ。東北・北陸の一部では、既に常勤医師が数人しかいない病院が災害拠点病院に指定されているケースも有る。制度の「量」は整っても、支える「人」が細っているのが現実だ。
「尊い」で終わらせない為の制度設計
求められるのは感謝と賞賛の言葉ではなく、具体的な制度設計である。研修費用の公的補助、派遣時の所得・キャリア補償、専門医取得要件に於ける災害医療活動の算入、そして病院単位ではなく地域単位での人員配置計画——こうした議論は、漸く一部の学会や有識者会議で俎上に載りつつある。24年の能登半島地震を受けて設置された政府の検討会でも、DMATの活動環境改善が議題に上がった。しかし、具体的な予算措置や法改正の動きは未だ鈍い。
諸外国に目を向ければ、フランスのSAMU(公的緊急医療サービス)は、平時から救急医療と一体的に運用され、要員の訓練費用と派遣補償が公費で賄われる仕組みが定着している。ドイツのKatastrophenschutz(災害防護体制)も、連邦・州・地方の3層構造で訓練・補償・指揮命令系統が整備されており、参加要員のキャリアへの悪影響を最小化する為の制度的配慮が有る。
この30年間で日本の災害医療は前進した。だが、日本のDMATがこうした諸外国の制度設計の水準に達するには、未だ埋めるべきギャップは大きい。南海トラフ巨大地震等、次の災害に備えるには、災害医療を「尊い」で終わらせず、制度と予算で支える段階に進める事が求められている。



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