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未来の会

私の海外見聞録㊾
〜留学を人材育成・組織戦略として再定義する〜

私の海外見聞録㊾〜留学を人材育成・組織戦略として再定義する〜

石井 秀始 (いしい・ひでし)
大阪大学大学院医学系研究科 特任教授
留学先: 米国トーマスジェファーソン大学(1996年〜2001年)

私は1996年から約5年間、米国のトーマスジェファーソン大学に留学していました。当時の経験を振り返りながら、私なりに海外留学の意義やあり方について述べてみたいと思います。

近年、医師・研究者の海外留学を取り巻く環境は、質的に大きな転換点を迎えているように感じます。かつて海外留学は、「国内では入手できない先端技術」や「欧米の進んだ医療システム」を学ぶための、ほぼ自明のキャリア選択肢でした。しかし現在では、情報アクセスの民主化や国際共同研究の常態化によって、「海外に行かなければ学べないこと」は相対的に減少しています。

さらに、国際情勢の不安定化や生活コストの上昇といった要因も重なり、海外留学は以前より高リスクな選択肢と見なされがちです。その結果、海外留学は「余裕のある者が行くもの」「研究業績が保証されている人材へのご褒美」といった位置付けで語られることも増え、制度的な支援や戦略的な意味合いを失いつつあるように思われます。

しかし、大学医学部や附属病院といった組織を中長期的に運営・統括する立場に立って考えると、海外留学をこのように短期的・表層的に評価することは、むしろ組織の知的持続性にとってリスクになり得ます。今、改めて問うべきなのは、「海外留学によって何を学ばせるか」ではなく、「海外留学という環境が、どのような人材を育てるのか」という点ではないでしょうか。

日常業務から離れ、自己分析が許された時間

 現在における海外留学の最大の価値は、新しい手技や技術の習得そのものではなく、医師・研究者が、自身の専門分野や研究動機、時間配分、価値判断の基準を、既存の組織構造から一度切り離された状態で見直す機会だと思います。

 日本の医療・研究組織は高度に洗練されている一方で、役割分担や評価軸が比較的早い段階で固定化されやすい側面があります。若手の医師・研究者は、診療、研究、教育、雑務といった複数の役割を同時に担いながら日々の業務に追われ、「自分は何を問い続ける研究者なのか」「自分の専門性はどこに向かうべきなのか」と立ち止まって考える余裕を失いがちです。

 海外留学は、こうした構造から一時的に離脱し、ゼロベースで自分自身と向き合うことが制度的に許容された、稀有な時間だと思います。留学中の研究者は、市民権や参政権を持たず、社会的には不安定な立場に置かれます。同時に、一定期間、自身の研究テーマに集中することが保証されています。この「不安定さ」と「自由」が同居する環境こそが、自律的に考える力や主体的な意思決定能力を育ててくれたと感じています。

 重要なのは、海外留学を単に「海外で研究する数年間」として捉えないことです。留学は、「行こう」と決めた瞬間から始まり、研究者としてのキャリアを終えるまで影響を及ぼし続けます。海外留学とは、個人や家族にとっても、そして組織にとっても、長期的な自己投資であり、戦略的な投資なのだと思います。

留学制度を成功に導く鍵——環境と指導者の選択

この投資の成否を左右する最大の要因は、留学先の研究環境、特に指導者(Principal Investigator、PI)の選定です。研究テーマの先端性や論文数以上に、そのPIがどのような研究哲学を持ち、若手研究者をどのように育ててきたのかが重要になります。

しかし現実には、留学先の選択が個人の努力や偶然に委ねられている場合も少なくありません。本来、海外留学は組織の将来を担う人材を育てるための制度であり、その設計責任は組織側にあります。過去の留学実績の整理や成功例・失敗例の共有、PIに関する定性的な情報の蓄積など、組織として取り組むべき準備は多いはずです。また、「合わない場合には変更する」という選択肢を制度的に許容することも重要です。留学先を変えることは個人の失敗ではなく、投資効果を最大化するための合理的な判断です。この柔軟性を欠いた制度は、結果として優秀な人材を消耗させ、留学制度そのものへの不信につながりかねません。

日本を相対化する視点と、組織への還元

海外留学のもう1つの重要な効果は、日本の医療・研究システムを外部から相対化する視点を獲得できる点です。これは単なる国際感覚や語学力の問題ではなく、研究資金の配分や人材の流動性といった制度そのものを比較し、構造的に理解する力だと考えています。

こうした視点は、本来、帰国後にこそ生かされるべきものです。しかし多くの場合、留学経験者は帰国後に従来と同じ役割に戻り、その知見が組織運営や人材育成に十分に反映されていないように感じます。これは個人の問題というよりも、組織側の受け入れ設計の問題ではないでしょうか。

部長や教授、さらには学長や病院長といった立場にある者が、意識的に留学経験者を意思決定の場に関与させ、組織の将来像を議論する回路を作ることが重要だと思います。留学経験を「個人の武勇伝」で終わらせず、知的触媒として活用できるかどうかが、組織の成熟度を測る1つの指標になるはずです。

個人的経験から見える制度的示唆

私自身、大学卒業後、医師免許を取得し、国立がんセンター研究所で研修を受けました。当時はゲノム解析技術が急速に進展しつつある時代で、研究者としての関心は「職人的な技量をいかに高めるか」という点に向いていました。遺伝子の同定やクローニング、細胞生物学的解析、前臨床から臨床応用への道筋を一通り経験することが、研究者としての成長だと信じていました。

海外留学にあたっては、十数通の手紙を書き、論文情報だけでなく、研究室の雰囲気や日本人研究者の扱われ方を、国際電話などを通じて可能な限り確認しました。最終的に選んだ留学先は、後に日本との交換留学制度の端緒の1つになったと聞いています。この経験から、個人の意思決定が制度や組織に波及し得ることを実感しました。

現在では、世界の研究の進展速度は個人の成長速度をはるかに上回っています。1人の研究者が全体を把握することは難しく、「システム思考」や俯瞰的な視点が不可欠です。そのためには、良い問いを立てる力、複雑な状況を整理・構造化する力、そして次の打ち手を示す判断力を磨き続ける必要があります。海外留学は、こうした力を鍛えるための極めて有効な場だと感じています。

▲渡米前、推薦状を書いて下さった千葉大学の故吉田尚教授(左)と
海外留学は組織の未来への意思表示である

海外留学は、個人の冒険ではありません。それは、組織がどのような人材を育て、どのような未来を描こうとしているのかを示す意思表示でもあります。短期的な人員減や成果の不確実性を理由に留学を控えることは、一見合理的に見えて、長期的には組織の知的劣化を招く可能性があります。

若手を外に出し、考えさせ、再び組織に戻す回路を維持できるかどうか。その設計責任は、今まさに組織の舵を取る立場にある者に委ねられています。海外留学を「過去の成功体験」として語るのではなく、「未来への戦略的投資」として再定義できるかどうかが、次の世代の医療・研究の質を左右するのではないかと考えています。

▲後年、PIだったクローチェ教授(左)と学会の会場で再会

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