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労働安全衛生法が改正され職業安全衛生条約を批准

労働安全衛生法が改正され職業安全衛生条約を批准

職業上の安全及び健康並びに作業環境に関する条約、いわゆる職業安全衛生条約(ILO第155号条約)が国会で承認された。本条約は世界187カ国が加盟する国際労働機関(ILO) の基本条約の1つに2022年に追加されていた。

 ILOはこれ迄中核的労働基準として「結社の自由・団体交渉権」、「強制労働の撤廃」、「児童労働の廃止」、「職業・雇用上の差別撤廃」の4分野に対応する8条約を定めてきた。これに加え、新たに「労働安全衛生」分野の2条約が基本条約として位置付けられ、その1つが本条約である。ILOは追加の背景について、「新型コロナウイルス感染症のパンデミックと、これが仕事の世界に対して重大かつ変革的な影響を与えた事により、労働安全衛生の著しい重要性が明らかになった」と説明している。

 本条約は、作業に関連した事故及び健康に対する危害を防止する事を目的として、職業上の安全及び健康並びに作業環境について締結国が一貫した政策を定める事を規定すると共に、国の段階に於ける措置、企業の段階に於ける措置等について定めるものである。 主な内容としては、職業上の安全及び健康並びに作業環境に関する一貫した国の政策を定め、実施し、定期的に検討する事、使用者は合理的に実行可能な限り、その管理の下に在る職場、機械、設備及び工程が、安全且つ健康に対する危険が無いものである事を確保する事、2以上の企業が同一の職場に於いて同時に業務に従事する場合には、これらの企業は、条約の適用に当たり協力する事、労働者代表は、職業上の安全及び健康の分野に於いて使用者と協力する事が挙げられる。

安全衛生法を改正し個人事業者も保護対象とする

 本条約の締結によって労働災害の一層の防止や国際労働基準を遵守する日本の姿勢を改めて対外的にも示す事に繋がる。労使共に本条約の締結には賛成していた。他国はとうに締結しているにも拘らず日本がこの時期まで締結せずにいたのは何故か。それは36協定により長時間労働が可能となる状況を改善する方策が無い事と国内事業者の圧倒的多数を占める中小企業への負担を危惧した事による。

 今回、本条約の締結に踏み切るに当たり厚生労働省の労働政策審議会安全衛生分科会の答申を受けて労働安全衛生法の改正を行った。労働安全衛生法はこれ迄企業に雇用された労働者を保護の対象としてきたが、今後は個人事業者も保護の対象とする事になる。 企業が個人事業者に業務を依頼する際には施工方法、作業方法、工期、納期等について安全への配慮をしなければならない。 製造業、造船業、建設業の現場で、労働者と作業を請け負った労働者以外の者が混在する場合も、作業間の連絡調整に関する措置その他必要な措置を発注した事業者の義務となる。 作業を請け負った個人事業者が死亡又は4日以上休業するけがをした場合は、発注した事業者等による労働基準監督署への報告が義務化される。

 又、15年から年に1回、従業員50人以上の事業所に義務付けられている「ストレスチェック制度」について、今後は全ての事業所を対象に拡大する方針が示されている。改正に伴う予算措置は不要であり、国民に新たな税負担が生じる事も無い。しかし、従業員50人未満の事業者にとっては、新たにストレスチェックの実施費用が発生する事になる。この点について「過大な負担を強いるものだ」との指摘も有るが、果たしてそうだろうか。ストレスチェックを外注する場合の1人当たりの費用は、250円程度から1000円程度である。仕事が原因で心の病になる人が増えていると言われる現代社会に於いては、労働者について企業がこの程度の費用を負担する事は妥当なのではないか。確かに、「国内企業の大多数を占める中小企業に新たな負担を課すべきではない」との意見も有る。しかし、大企業に比べて労働環境の整備や労働条件が十分でない傾向が有る中小企業にこそ、こうした取り組みがより必要と言えるのではないか。 

 ストレスチェックの結果は医師や保健師等が従業員に直接通知し、本人の同意無く企業等に知らされる事は無い。高ストレス状態と判定された場合は産業医との面談を勧められる。 ストレスチェックを義務付けても医療サービスの提供の義務は無い事を無責任だとする意見も有るが、医療と関わる距離感や尺度は人それぞれ違う。医療サービスを求めるかどうかも当人次第である。判例では、どの様な医療を受けるかについての決定権は、拒否する権利を含めて、治療を受ける者自身、すなわち患者に帰属する自己決定権として憲法第13条で保障されるものとされている。 憲法で保障された国民の自己決定権を侵す事は出来ない。 ストレスチェックは健康診断と同様に考えて良いのではないか。労働者各人に個別の健康情報を提供する事は企業にとっても安定的な事業所運営に寄与すると想定する事が出来、不利益ではない。企業にとっても労働者にとってもメリットの在る制度だと受け止める事も出来よう。

 企業と労働者の関係に従前のヒエラルキーは通用しない。働き方の多様化に伴い、企業と個人事業者との関係にも変化が生じている。実際、23年にはアマゾンジャパン合同会社の下請との業務委託契約により配達を行っていた個人事業者が労災認定を受けており、委託主から一定の指示や管理を受ける者は労働者と認められる傾向が有る。アプリ等の普及や進化により、労働者か否かの境界は曖昧になりつつある事も指摘される。このような状況に対応する為、労働安全衛生法の更新も必要である。ストレスチェックの義務を全事業所に拡大する事に反対だからといって、労働安全衛生法の改正そのものに反対する事には違和感が有る。化学物質による健康障害防止や機械による労働災害防止、高齢者の労働災害防止等、他の必要な施策まで巻き添えで進まなくなる恐れが有るからである。ストレスチェックに反対する場合でも、付帯決議を付す等して必要な改正は着実に進めなければ、時代にそぐわない法制度ばかりが残される事になり兼ねない。

日本は中心的役割を担うが未批准条約が残る

漸く、労働安全衛生法が改正され、ILO第155号条約の批准が承認された。精神障害に関する労災支給決定件数は、23年度は883件に上り、10年前の約2倍になっている。日本も国際社会の労働基準に沿った対応が求められている。条約がILOで採択されると、批准するか否かは各加盟国に委ねられるが、加盟国は批准出来ない正当な理由や、批准に向けての取り組みをILOに報告する義務が有る。従業員50人未満の事業所にストレスチェック費用の負担を強いるのが過大である、等の理由を繰り返すだけでは、我が国の国際的信頼を損なう恐れが有る。日本はILO創設時からの加盟国であり、1975年以降は政府、使用者側、労働者側の全ての理事に日本人が連続して選出されてきた。もしストレスチェックの全事業所への義務化を進められないのであれば、日本からの理事選出を見送る方が、国際社会に於ける労働基準の連携を乱さずに済むかもしれない。

 実は本条約以外にも日本が批准していない条約が在る。「雇用及び職業についての差別待遇に関する条約」(ILO第111号条約、いわゆる差別待遇条約) である。この条約は、雇用に於ける人種、肌の色、性別、宗教、政治的意見、国籍、社会的出身等、あらゆる理由による差別や排除を禁止し、機会及び待遇の均等を促進する為、各国に関連法の制定と、これに反する法制度の廃止を求めている。現在、ILO加盟187カ国のうち175カ国が批准しているが、日本は未だ批准に至っていない。政府はその理由として、労働基準法で「年少者の交代制勤務を男性のみに認めている事」や、「助産師の職を女性に限定している事」を挙げている。又、公務員の政治的行為の制限も、条約の趣旨に抵触する可能性が有るとされる。尚、本条約についてはアメリカも批准出来ていない。本条約が成立したのは1958年であるから既に67年が経過している。世界が労働に於ける平等の理念で足並みを揃える事の難しさを思い知らされる事例である。

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