欧米を対中戦略に「巻き込む」のに腐心して来た日本
岸田政権は国家安全保障戦略など安保3文書を昨年末に閣議決定し、岸田文雄・首相は年明けに米国を訪問してバイデン・米大統領と日米同盟の強化を確認した。文書に於いて「これ迄に無い最大の戦略的な挑戦」と位置付けた中国に日米が連携して対処する為だが、リベラル色の強い朝日新聞や毎日新聞等は「日米の軍事的一体化」と「国民への説明不足」を批判している。要するに「国民の知らない内に米中戦争に巻き込まれる」という指摘である。
日本の安全保障論議でリベラル左派が必ず持ち出すのがこの「巻き込まれ論」である。立憲民主党等のリベラル左派系野党もこれに同調している。岸田政権に非が有るとすれば、これを跳ね返す説明が出来ていない点だろう。
「安倍外交」前半と後半の明暗
遡れば「安倍外交」の評価にも絡んで来る。2012年末に旧民主党から政権を奪還した第2次安倍政権は20年9月迄7年8カ月余り続いた。その長期政権を外交・安全保障の視点から捉えると、16年迄の前半とそれ以降の後半に分けられよう。安倍外交の前半は、一言で言えば「米国を対中戦略に巻き込む」のに腐心した時期だ。冷戦終結後の米国は共和党政権か民主党政権かに拘わらず「対中関与政策」をアジア太平洋戦略の基本として来た。経済・軍事の両面で台頭する中国をグローバル経済に取り込む事で、経済発展を阻害するリスクの有る戦争等の軍事的挑戦に向かわせないというのが対中関与政策。日本も米国と歩調を合わせ、01年の中国の世界貿易機関(WTO)加盟を後押しする等の対応を取って来た。
その結果、中国は共産党独裁という権威主義体制を維持しながら「世界の工場」として経済発展の恩恵を享受し、強大化した経済力を軍事力の拡大に注ぎ込んで行く。東シナ海・南シナ海への露骨な拡張路線を推し進め、経済・軍事の両面で米国と覇権を争う道を選択した中国の危険性に対し、欧米諸国より先に警鐘を鳴らしたのは日本の安倍政権だった。「巻き込まれ論」とは逆に、中国の台頭に対抗する民主主義陣営の連携に欧米を「巻き込む」側だったという認識が近年、ともすれば与党の一部でも薄れている様に思われる。
第2次安倍政権前半は、戦後70年の首相談話(15年)に象徴される歴史の清算外交に取り組む一方、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法を15年に成立させ、仮に台湾海峡有事等で米国と中国が衝突すれば日本も参戦出来る法的根拠が整備された。その当時もリベラル左派系の政党とメディアは「巻き込まれ論」を展開し、「日米の軍事的一体化」と「国民への説明不足」を非難したが、安倍政権は民主主義陣営が結束して中国に対抗する戦略に当時のオバマ米政権を「巻き込む」事に成功した。米国の戦略転換が安倍政権の働き掛けによるものだったとまでは言い切れないが、対中戦略で日米の足並みを揃える安倍外交の努力が実ったのは確かだ。
日米にインド、オーストラリア等を加えて民主主義陣営の連携を図る「自由で開かれたインド太平洋」構想は安倍政権が提唱し、オバマ政権からトランプ政権へと引き継がれた。だが、トランプ政権の発足した17年1月以降、安倍外交の方針が狂い始める。「アメリカファースト」を掲げて同盟関係を軽視するトランプ政権を日米同盟強化路線に繋ぎ止める狙いが有った事は十分理解出来るものの、当時の安倍晋三・首相がトランプ大統領との蜜月関係を築く中、大統領から求められた「武器爆買い」に応じた事で防衛力の体系的な整備に綻びが生じた。その象徴が陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の迷走である。
防衛費大幅増の足元で進む「官僚劣化」
背景には、安倍長期政権下で進んだ官僚機構の劣化が指摘される。防衛装備品の調達は本来、陸海空自衛隊の各幕僚監部内で所要性能を積み上げて決定されるべきだが、安倍政権下では首相官邸の顔色を窺う防衛省内局の官僚が各幕僚との調整を疎かにする傾向が強まった。イージス・アショアの肝と言える高性能レーダーの機種選定では、米海軍と共同行動を取る事の多い海上自衛隊の意見を聴けば当然、米海軍がイージス艦に採用したレイセオン・テクノロジーズ社の次世代レーダーを推した筈だが、イージス・アショアの導入先は弾道ミサイル防衛(BMD)の知見を持たない陸上自衛隊とされ、内局官僚の主導で選定されたのが米軍での採用実績の無いロッキード・マーチン社のレーダーだった。
この不自然な選定過程では岸田首相に近い国防族議員の暗躍も噂され、「第2のロッキード事件に発展するのでは」等の疑惑も取り沙汰された。自衛隊の現場が傍観する中、イージス・アショア計画は配備を想定した秋田、山口両県の関係自治体との調整に失敗し、一旦頓挫した。すると、防衛省内局は陸上配備用に調達した迎撃ミサイルシステムを海上配備型に転用し、イージス・システム搭載艦2隻を建造する計画に変更した。安定した地上と波に揺れる海上とではシステムの設計が根本から異なる筈なのに無理を通してでもシステム導入を強行したのは、レーダーの購入契約を異例のスピードで先行させた防衛省内局がその辻褄を合わせる為と見られている。
イージス艦導入やBMDの日米協力に携わった海自OBの香田洋二・元自衛艦隊司令官(海将)は年初に出版した『防衛省に告ぐ 元自衛隊現場トップが明かす防衛行政の失態』(中公新書ラクレ)の中で「倫理観と責任感のかけらさえ感じられない。いまの防衛省は日本と日本国民を武力で守る自衛隊を監督する省としてふさわしいのだろうか」と苦言を呈した。香田元海将は、岸田政権が決定した防衛費の大幅増額方針を歓迎しつつも「防衛力はカネだけで強化できるものではない。たとえば、政治と自衛隊の間で意思疎通ができていなければ、自衛隊が有効に機能することはない」として、劣化した官僚機構の改革を訴えている。
安倍外交の後半は、日露の平和条約交渉と日中関係の改善を外交レガシー(政治遺産)として遺したい安倍元首相の意向が優先された。その為にプーチン・ロシア大統領との首脳会談を重ね、習近平・中国国家主席を国賓として招こうとした事は権威主義国家との融和姿勢を印象付けた。強大な隣国と友好関係を保つ必要性は論を俟たないが、欧米諸国が「経済の結び付きを強めれば戦争は防げる」と考えて進めた対中・対露関与政策はロシアのウクライナ侵攻によって破綻した。折角、安倍外交の前半に民主主義陣営の結束を牽引しておきながら、その後半に権威主義国家への接近を図った矛盾は、レガシーではなく禍根を残した。
岸田政権はロシアのウクライナ侵攻後、民主主義陣営の要になる主要7カ国(G7)の結束を前面に押し出し、対露制裁とウクライナ支援に積極的に参画する事で、安倍外交後半の負の遺産と言えた親露・親プーチン色を払拭して来た。昨年末に決めた安保3文書の改定と防衛費の大幅増額方針も安倍元首相の敷いたレールに沿ったものだが、こちらは安倍外交前半で推し進められた民主主義陣営の結束路線。安倍外交前半を外相として支えた岸田首相がこの路線に自ら主体的に取り組む姿勢を国民に訴え、劣化した官僚組織に改革のメスを入れ、世論に根強い「巻き込まれ論」を跳ね返すリーダーシップを発揮出来るか。
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