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未来の会

第61回「日本の医療の未来を考える会」リポート

第61回「日本の医療の未来を考える会」リポート
病院と「健康の館」で役割の分担を
次の世紀に求められる病院建築とは

新型コロナウイルス感染症の拡大で感染症対策や医療体制に関する多くの課題が浮き彫りとなった。今回の様に多くの感染症患者が発生した時に備え、如何にして感染者を隔離出来る病床を準備しておくのかも重要な課題の1つだ。それには、今の病院施設の見直しや医療提供体制の見直しも必要となるかもしれない。病院建築の第一人者で、高度な医療に対応する「病院」と、かかりつけ医等を中心にした外来診療や病後のリハビリ等の地域医療を担う「健院」で役割を分担して行くべきだと提唱するハピネスライフ財団理事長の長澤泰先生に、これ迄の病院建築の考え方や今後の病院施設の在り方等について講演頂いた。

原田 義昭氏「日本の医療の未来を考える会」最高顧問(元環境大臣、弁護士):新型コロナ感染症によって、病院や医療の重要性を再認識させられました。私達は病院に固定的なイメージを持ちがちですが、歴史的な経緯も含め、改めて病院の有り方を学びたいと思います。

東 国幹氏「日本の医療の未来を考える会」国会議員団メンバー(自民党衆議院議員):医療施設の建築には医療特有の奥深さが有り、様々な苦労を重ねて確立されて来たのだと思います。今後の医療の在り方を考える上でも、建築面からの特色や課題について勉強する必要があります。

和田 政宗氏「日本の医療の未来を考える会」国会議員団メンバー(自民党参議院議員):2030年の訪日外国人観光客6000万人、消費額15兆円の目標実現にラグジュアリーツーリズムの推進は欠かせません。医療関係者の意見を聞き、勉強もしながら取り組んでいきます。

尾尻 佳津典「日本の医療の未来を考える会」代表(『集中』発行人):今回は日本の病院建築の第一人者である長澤泰先生にご講演頂きます。長澤先生には「癒しと安らぎの環境」フォーラムでも私達と共に活動し、建築の専門家としても指導して頂いています。

講演採録

感染症対策から見る病院建築

■癒やしから隔離、治療の場へと変遷

病院の歴史を振り返ると、古代から20世紀迄5つの波が有ったと言われています。第1の波は古代ギリシャ時代で、代表的な事例がアスクレピオス神殿です。神殿にはラジウム泉浴室があり、当時の患者は家族と一緒に来て、温泉に入り、体を動かし、ギリシャ悲喜劇を見たりしながら、体や心を癒やして病気を治しました。第2波はキリスト教が支配する中世ヨーロッパです。肉体よりも精神を重んじる時代で、修道院に施療院という療養施設が出来ました。当時の施療院の絵を見ると、大病室の正面に祭壇が有り、両側にキュービクルカーテンで仕切られたベッドが並んでいます。患者は修道女の手厚い看護を受けていたようです。

17世紀初頭にヨーロッパでペストが流行しましたが、その時にラザレットという施設が作られました。元々はハンセン氏病患者を収容する施設だったのですが、ペストの流行を受け、中庭に多くの掘っ立て小屋を建てて1つの小屋に40人の患者を詰め込んでいました。殆どが1度入ったら出て来られなかったようです。

これがルネサンス期の隔離施設の典型で、他にも宮殿や刑務所が転用された事例があります。疫病の患者を収容して外部との交流を遮断するのが目的で、感染していない社会を守る為に感染症患者を見捨てたという事です。治療法の無い当時はそれしか方法が有りませんでした。

19世紀にナイチンゲールが登場します。私は英国に留学していた頃にナイチンゲールの著書を読み、実は彼女は建築家でもあったという事を知りました。彼女はクリミア戦争に従軍して、衛生管理を徹底すれば負傷者が助かる事に気付きました。彼女は『看護覚え書』『病院覚え書』を始め、多くの著作を残しましたが、『病院覚え書』の冒頭には「病院建築の第1の条件は患者に害を与えない事」とあります。当たり前の事のようにも思えますが、私達が建設する病院は本当に患者に害を与えていないのか、私達への重い問い掛けだと思っています。

著書には、「良い病棟とは外観が綺麗な事ではなく、常時新鮮な空気と日光、室温を提供出来る建物」だと有ります。ナイチンゲールは病院の基本的な定義をした最初の人で、彼女の指導の下に病院が各地に建てられました。病棟ではベッドの間隔を1.5m確保し、天井を5m位に高くとり、1ベッド当たり40㎥の新鮮な空気を確保する。又、病室には縦長の窓を付け、窓を開けると下の方から外の新鮮な空気が入り、室内の暖かく汚れた空気が上から出ていく。機械換気は有りませんから、自然換気で空気の入れ替えをしていた訳です。感染の専門家に伺いましたが、これだけベッドの間隔を離すと、横の患者が咳をしてもウイルス等は届かないそうです。こうした事をナイチンゲールは経験上知っていたのでしょう。このナイチンゲール病院の登場で、看護観察を重視して療養環境を良くすれば、病院で病気が治る事を世の中の人は知りました。当時の大英帝国は世界の隅々まで勢力を伸ばしていましたから、ナイチンゲール病棟は米国やインド、東南アジアにも伝わり、19世紀の典型的な病院モデルとなりました。

■医学と建築の発展で効率を追求

病院建築は当然の事ながら西洋医学の進歩と不可分です。近代にコッホが病原菌を発見して以降、滅菌や止血、麻酔の技術が確立され、医学は飛躍的に発展しました。そして、機械による換気装置を利用すれば、自然換気をしなくても新鮮な空気が得られ、薬剤で消毒殺菌すればナイチンゲール病棟の基準を守らなくても感染は防げる。多くの医師がそう考えました。

一方、近代建築は20世紀後半、鉄とガラスとコンクリートによって飛躍的に発展します。これさえ有れば何処にでも建物が建てられるようになり、機能美という価値観が生まれました。近代建築の基本は「機能主義」だとも言われます。そして、病院も機能を追求した結果、工場の様な病院まで誕生しました。ドイツのアーヘン工科大学の医学部付属病院等は外壁に空調の配管が張り巡らされ、窓も少なく、まるで工場の様です。建築で最も機能が求められるのは工場ですが、病院も工場に倣った結果、体の修理工場になってしまったのではないでしょうか。

日本の病院建築は、戦後に米国から導入された病院管理学を基盤として、東京大学の吉武泰水先生が手術部や検査部を中央化した木造総合病院試案を作成し、それが日本の病院建築の基礎となりました。因みに、吉武先生は私の恩師です。

1950年代は、まだ木造の建物が一般的な時代ですから、180床で2階建ての木造総合病院モデルプランでした。特徴としては、1看護単位の病床が30床で看護単位がしっかり意識されていました。病棟スパンは6m、1ベッド当たりの延床面積は40㎡です。又、手術・検査等の診療部門と外来機能も分離され、それぞれ中央化されました。それ迄の病院は、診療科毎に手術室等が有ったのですが、それを1つにまとめ、滅菌や給食、洗濯等の供給部門も中央化され、これによって日本の病院も大変能率的になりました。

建築技術の近代化はナイチンゲール病棟にも変化を及ぼしました。先ず、機械換気の普及で換気が容易になり、隣棟間隔の無い病院が作られました。採光は天窓とライトです。エレベーターが普及すると「病棟を上に積み上げれば良いのではないか」と病院は高層化していきます。

20世紀の病院は第5波に当たります。機能と効率化の重視で中央化された部門には、空調設備や衛生設備が整備され、搬送器も導入されて、エネルギーの消費量が多い人工的環境主体の集約・高層型が特徴だと言えます。

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