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第59回 厚労省人事ウォッチング 濵谷保険局長が事務次官になれなかった理由は……

第59回 厚労省人事ウォッチング 濵谷保険局長が事務次官になれなかった理由は……
濵谷 浩樹氏

 今夏の厚生労働省幹部人事での「サプライズ」と言えば、濵谷浩樹・前保険局長の退任だろう。一時は事務次官の筆頭候補とも言われた濵谷氏だったが、今夏の人事では後輩に道を譲った形になった。驚きを持って迎えられた幹部人事だったが、なぜ濵谷氏は事務次官に昇り詰められなかったのか。背景事情を探りたい。

 先ずは、濵谷氏の経歴を振り返りたい。北海道函館市出身の氏は、函館ラ・サール高校、東京大法学部を経て、1985年に旧厚生省に入省した。社会・援護局や年金局、保険局等で課長補佐を務めた後、保険局国民健康保険課長や保険局総務課長、大臣官房人事課長を歴任した。文部科学省に出向し、初等中等教育局幼児教育課長を経験した事も有る。局長職では、老健局長を振り出しに、子ども家庭局長、保険局長の3ポストを計4年間、務めた。

 85年入省組の中では目立った存在で、早くから事務次官候補と見られていた。手堅い仕事ぶりで省幹部からの信任も厚い一方、中堅・若手職員からは手を抜かない仕事ぶりに、白髪というその容貌から「ホワイトデビル」(ある職員)と恐れられた程だ。人事の経歴でも大臣官房の主要3課長(総務課長・人事課長・会計課長)の1つを経験し、事務次官に就任する条件を満たしていた。

 風向きが変わったのは、新型コロナウイルス感染症が流行した頃からだ。コロナ下で事務次官に就任した樽見英樹氏(83年、旧厚生省)や吉田学氏(84年、旧厚生省)は、事務次官級の内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室長(コロナ室長)を歴任した。今回事務次官に就任した大島一博氏は、官房長時代にコロナ対応に尽力した経験が有る。濵谷氏は保険局長を2年務めたものの、コロナ対応の経験は乏しく、幹部の1人は「省全体のコロナ対策に携わった事が無いのが響いた」と指摘する。

 更に、83年入省組の2人が計3年間、事務次官を務めた事で「全体の人事が滞留していた」(中堅職員)という事情も重なった。

 決定打となったのは、首相官邸からの評判だ。コロナ対応を担う厚労事務次官は、政権の浮沈に影響しかねない程重要な人事となった。人事に詳しい幹部は「持って回った様なはっきりしない言い振りに菅義偉・前首相と杉田和博・前官房副長官からの評価が低かった。人事を決めたのは岸田文雄・首相だが、栗生俊一・官房副長官は杉田氏の子飼い。前政権時代の評判が影響したのだろう」と見る。昨年の幹部人事では、濵谷氏をコロナ室長に推す声も有ったが、菅政権時代で実現しなかった。

 省内では評価が高い濵谷氏だが、他省庁からの評判は芳しくなく、ある政策を巡って総務省幹部は「濵谷氏は堅くて融通が利かない」とこぼしていたという。こうした評判も事務次官人事には影響するのだ。

 濵谷氏には省内から同情する声も集まっているが、当の本人はサバサバしているという。厚労省のあるOBは「事務次官になるのが官僚として全てではないが、なれるかどうかは様々な巡り合わせが影響する等、運の要素も大きい」と話す。

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