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未来の会

第10回 栗よりうまい十三里

第10回 栗よりうまい十三里

 表題にピンとくる人がどれだけいるだろう。子供の頃、父から聞いて意味も深く考えずにいたが、十三里がさつま芋ということだけはなぜか覚えていた。10年位前に寝ていて突然閃いて、“そうか九里四里(栗より)うまい十三里だ!(9+4=13)”。栗はさつま芋より格上だが、時としてとびきり甘い芋に出会う。栗もさつま芋も現在ではごちそうとはいえない。ちなみに一里=約4km。

 私の20年以上の在宅医療歴の中で苦しかったことは、24時間365日体制を維持するための携帯電話当番である。そのうち1人2人と同志が増えて、オンコールも月20日、月10日、ようやく1年前から免除になった。

 在宅医療の醍醐味と言えるのは、様々な患者との出会いである。その中で印象に残っている一人が、今回の主人公T氏である。95歳、男性、認知症なし。この人とは特にウマが合った。

 4年前のある日の午後の訪問診療で「今日の昼飯は十三里だった」と言う。同行のアラフォーナースは「??」。私が即座に「栗よりうまかった?」と返したら、驚いた顔をして「オメエ、やるなぁー! ボーっとしているようだけど」と来た。私は「『ボーっとしている』は余計だよ」とさらに投げ返した。

 T氏は元関東軍の勇士で、シベリア抑留体験者でもある。彼が語ってくれた忘れられない話がある。彼との約2年間の訪問診療で聞けた戦争体験談は、この1回きり。以下はT氏の話をメモから再現した。実際と異なる点もあるかと思うが、ご容赦ください。

 また、メモからの再現では私の表現力に限界があり、五味川純平氏の『虚構の大義』を一部参考にさせていただいた。

 『昭和20年8月9日未明、突然ソ満国境を越えてソ連軍の戦車が大群で侵攻してきた。歩兵部隊も後方に付いている。最前線に居たT氏達の中隊は、情報も全く入らない中、やむを得ず応戦する。実際は日ソ中立条約が期限切れとなり、日ソ開戦! 上層部はいち早く情報をキャッチして逃走。T氏達の部隊は捨て駒だった。応戦と言っても、各自手榴弾2個と三八式歩兵銃しかなく、この武器でどうやって戦車と戦えというのだ。このあたりでT氏の興奮は最高潮に達する。味方には戦車も対戦車砲もない。教えられた戦法はただ一つ、肉弾特攻だ。火炎瓶(サイダー瓶にガソリンを詰めたもの)を持って戦車に突っ込み、炎上させる。生身の人間が時速60km以上で突進してくる鉄の塊に飛び掛かるなんて、正気の沙汰じゃない。ひき殺されるのがオチだ。まともな戦法じゃない。無敵関東軍の実態がこれかと思うとバカバカしくなって、そのうち捕虜になっていた。シベリアの生活も悲惨だった。雪の中での重労働や栄養失調で、仲間は次々と死んでいき、T氏が生きて日本に帰れたのが不思議なくらい過酷な状況だったという』

 それまでは勇ましい戦記に関心を持っていたが、T氏の戦争体験談をきっかけに戦争の悲惨さに目が向いた。ガナルカナル、ニューギニア、サイパン、硫黄島、沖縄等々全て同じだ。しかし、戦争を語れる実体験者は確実に少なくなっている。これらを私達も後世に伝えなければならない。戦って死んだ人より、病死や餓死による死者数の方が多かったのが戦争の実態だ。医師として胸が痛む。

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