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未来の会

第42回 研究不正は武田も含めた医学界の「構造的問題」

第42回 研究不正は武田も含めた医学界の「構造的問題」
虚妄の巨城 武田薬品工業の品行
研究不正は武田も含めた医学界の「構造的問題」


 
前号で取り上げた「CASE‐J」問題。国内製薬の最大手企業・武田薬品工業(長谷川閑史社長)も一枚かんでいるとあって、反響は大きい。

 本誌の報道を追うかのように、民主党衆議院議員(元厚労相)の長妻昭が国会質問でこの問題を取り上げた。そこで明らかになったのは19億円もの金が「奨学寄附金」という名の下に武田から大学に入っている事実だ。さらに臨床試験当時は武田の社員だった藤本明が自ら論文を書き、京都大学EBM研究センター部長研究員に天下っていた。

「著者」が見当たらない書物
 ここに一冊の本がある。書名は『CASE‐J物語─わが国の大規模臨床試験はこうして始まった─』。監修として猿田亨男、荻原俊男、中尾一和の3人が名を連ねている。それぞれ慶應義塾大学名誉教授、森ノ宮医療大学学長(大阪大学名誉教授)、京都大学名誉教授。2010年に先端医学社から刊行されている。目次には〈本書は雑誌「血圧」2008年7月号〜2009年9月号に掲載された連載「わが国の大規模臨床試験 エビデンス誕生の物語─CASE‐J─」を再編集したものです〉との断り書きがある。監修者はいるものの、「著者」が見当たらない。

 第6章〈Webシステムによる患者登録の導入〉に注目すべき記述がある。少し長いが引く。

 〈CASE‐Jの特徴の1つは、日本全国くまなく患者が登録されている点である。「日本人のエビデンス」を目指す以上、この点は譲れなかった。EBMセンターは頭を抱えた。どのようにしたら、ストレスなく遠隔のデータにも参加してもらえるのか──。全国に展開できるだけの多くのCRCを抱えるほど、経済的余裕はない。だからといって、登録・追跡・評価のあり方に、地域格差を生じさせることもできない。さらに、目前に迫った試験の開始日が、CASE‐Jのシステム構築に関して実質上責任者となっていた藤本明氏(現・京都大学EBM研究センター部長研究員)の焦燥感を高めた〉

 語るに落ちるとはこのことだろう。繰り返すが、この本は著者を明示していない。だが、事情を知る人の多くは藤本が筆を執ったとみている。

 藤本はなぜ捏造や天下りに走ったのか。こればかりは当人に聞かない限り分からない。だが、すでに各所で火の手が上がり始めている。

 「臨床試験に関わった研究者の中では中尾の評判が極めて悪い。京都大学内部から次々と告発が噴出し始めています」(高血圧学界関係者)

 京大(松本紘総長)において医学部は必ずしも学内力学の中心部に位置していない。この点では東京大学と相似形である。ただ、東大では宮園浩平医学部長や門脇孝病院長が小室の責任を追及するには至っていない。自らに累が及ぶのを恐れているからだろう。だが、この問題に関して京大執行部は中尾の責任を追及する可能性が高い。京大にとって守るべき対象ではないからだ。

 「論文捏造が象徴的な一連の不祥事が明るみに出て、社会は医学界全体を胡散臭い集団とみなしています。長妻にとってみれば、武田が登場してきたことで『医学界の構造的問題』として追及が可能になります。一般化でき、戦線を広げることができる。現在のところ、長妻氏の罠に武田はまんまと陥っている」(医療政策プランナー)

 ディオバン事件とCASE‐J問題。東大は小室一成教授という獅子身中の虫を抱え、京大は中尾に詰め腹を切らせる可能性を秘める。阪大はCASE‐Jの論文筆頭者・荻原の親元で、東北大学は前号で既報の通り捏造で処分歴のある下川宏明を九州大学に送り込んだ。名古屋大学に関しては論文を掲載した「Hypertension」誌に対し、静岡県内の医療機関から懸念の文書が出ている。旧七帝大が護送船団を組みながら沈没していく。

EBMが注目され始めた時代背景
 ディオバン事件の背景には外資系製薬企業の日本法人に共通する構造があった。営業部隊が主体で新薬の発売時に採用。繁忙期が終われば、新しい働き場を求めて渡り歩く。そうした集団こそが日本法人の実態である。では、そのディオバン事件と酷似しているといわれるCASE‐Jに関与した武田にはどのような背景があったのか。

 「臨床試験が行われた当時から武田は開業医への営業ルートを確保していました。臨床試験によって販売促進を図る必要は全くなかったんです。一つの鍵は当時流行の兆しを見せていた『根拠に基づいた医療(EBM=evidence-based medicine)』です。日本高血圧学会が強力に主導する形で『我が国から発信するエビデンスの構築』が進んでいく。1990年代までは市販後臨床研究は製薬企業が自ら行っていました。データセンターも社内に持っていた。臨床研究とは名ばかりです。治験のような契約はせず、任意の研究団体をつくり、データは企業が保存。論文も書いて発表する。実態はお手盛り。なあなあです」(同前)

 世界中で研究の透明性が叫ばれる中、臨床研究の体制も見直しが必要になった。このころ誕生したのが製薬企業から医薬品の開発業務を受託する開発業務受託機関(CRO=Contract Research Organization)である。00年代初頭には製薬→CRO→大学や病院という金の流れが生まれた。このころ、臨床研究や医師主導治験が流行を迎える。

 「CASE‐JもEBMが注目された当時のものです。医師主導治験というからにはあくまで高血圧学会が主導でなければならない。ところが、金が掛かります。従来は武田→CRO→京大というような流れだった。ただ、これでは医師主導とはいえない。そこで武田は奨学寄附金名目で金をつぎ込んだわけです。ただ、桁が違った。100万円単位が相場のところを総額19億円。誰がどう見てもおかしい」(国立大学教授)

 本来ならば、共同研究を締結しなければならなかった。ただ、当時はそうした慣習があった点で武田には情状酌量の余地はある。

 「武田は恐らく『高血圧学会にだまされた』と思っているでしょう。高血圧学会側は単に無邪気に振る舞っていただけです」(同前)

 CASE‐Jは始動後、思うように進まなかった時期がある。そこで藤本はどう動いたのか。本人の証言を待たなければならないところだ。

 「武田の命を受けて行ったのか。あるいは自分でも分かっていたのか」

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