
GUEST DATA:炭山 嘉伸(すみやま・よしのぶ)①生年月日:1942年7月17日 ②出身地:香川県 ③感動した本:『ハーバードの人生を変える授業』(タル・ベン・シャハー) ④恩師:鶴見清彦先生(東邦大学名誉教授)、ルース・小野先生(ハワイ大学)⑤好きな言葉:「一期一会」「自然・生命・人間」⑥幼少時代の夢:5人の姉・兄の末に生まれた私は、父、母、姉、兄に可愛がられ、何も大きな夢を持つ事なく、毎日楽しい日々を過していました。今の自分を考えると、想像もできない人生を歩んでいると思っています。⑦将来実現したい事:今の自分を大切にし、人として生きられるだけ生き、そして社会の為、人類の為に働けるだけ働いてみたい。それだけです。
病気を機に、医師になる為に二度目の受験を決意
瀬戸内海に浮かぶ小豆島の出身です。6人兄弟の末っ子として生まれ、両親と姉兄の愛情を一身に受けて伸び伸びと育ちました。幼少期には野山を駆け回り、夏は海や川で泳いだりボートを漕いだり、冬は山でリュージュと呼ばれる橇に興じました。小学生の頃は読書に夢中になり、学校の図書館の本を読破した程でした。校長からの薦めで作文コンクールに応募し、何度か入選した事も有ります。高校時代は弁護士になる事が夢でした。幼い頃から六大学野球のラジオ実況を聞くのが好きで、応援歌を全て暗記する程熱狂的な六大学のファンでした。
東京への憧れもあり、明治大学の法学部に進学しました。グリークラブ(男声合唱団)に入部し、部員の仲間と青春を謳歌しながら、弁護士になる為に基礎法学研究室に入室して勉学に励んでいました。ところが、3年次の春に急性虫垂炎になり、小豆島で開業していた義兄の執刀で手術を受ける事になりました。手術が終わると猛烈な痛みが嘘の様に無くなり、医療の素晴らしさに感動を覚えたのです。スポーツが得意で体力に自信が有り、手先も器用だった私は外科医に憧れる様になりました。そして明治大学を退学し、医学部を目指して再受験する事を決意しました。私が長男だったら許されなかった事でしょう。父に相談すると、私の意志を尊重して応援してくれました。
後輩への手厚い指導で教育者としての素質を顕す
東京にいては大学の友人らと遊んでしまうと思った私は、大阪に生活拠点を移し、医学部の受験に向けて予備校に通いました。文系だった私は、理数系科目で苦戦しました。東邦大学に合格する事が出来たのも、英語の配点が高かったからだと思います。
東邦大学では、島で唯一経験した事が無かった硬式テニス部に入部しました。夏の合宿が終わる頃にはレギュラーに昇格し、初めての大会に出場すると、そこから卒業する迄学内トップの座を譲る事はありませんでした。恩師となる鶴見清彦教授の研究室に入ると、テニス部の後輩が次々と入局してきました。先輩として熱心に指導をしていると、それを見ていた鶴見先生が大学に残る様にと声を掛けて下さるようになりました。有難い話ですが、実は両親は私の為に小豆島で開業する為の土地を用意してくれていたのです。すると、鶴見先生は小豆島に行って両親を説得すると言います。先生が実家を訪れたのは寒さが残る春先の2月。この時、未だ鳴く筈のない鶯がホーホケキョと鳴いたのです。後々知ったエピソードですが、大学の教授が会いに来ると知った両親は、未だ寒い内から夜も明かりを灯して部屋を暖かくし、先生を迎える準備をしていたという事です。
海外留学を経て、異例のスピードで教授に就任
大学に残る事が決まると、今が好機だと留学を勧められ、1981年からハワイ大学のクイーンズメディカルセンターへ留学する事になりました。鶴見先生の小豆島来訪から僅か2カ月後の事です。最初は病院実習と並行して語学研修コースにも通いました。語学研修の卒業試験は極めてユニークな形式で、3時間以内に100題の問いに答えるというものでした。問題は、例えば「今ルノアール展が開かれているのは何処の美術館か」等、教室の中だけでは到底答えられないものばかりです。皆が答えを求め手分けして街中を走り回る中、私は実習で知己を得た同僚の医師や看護師の力を借りて情報を集めました。これは、語学力以上に「現場での人間関係」や「対応力」が問われる試験だったと言えるでしょう。結果、私はトップの成績で試験を通過する事が出来ました。
ハワイ留学中に本学医学部第3外科の講師となり、その後はスタンフォード大学とメイヨークリニックに留学、3年程の海外生活を送り83年に帰国すると、助教授の職が与えられました。更にその3年後、45歳で教授になりました。普段は物静かな鶴見先生が熱弁を振い、未だ若いと反対する教授陣を制して私を教授に推薦して下さったのだそうです。
同窓会の推薦で理事長に就任後、半年で結果を出す
理事長選への出馬も又、全く思い掛けない出来事でした。大橋病院で病院長をしていたところに同窓会から呼び出しが掛かり、中でも私を熱心に推して下さったのが東邦大学医療短期大学名誉学長の故・五島瑳智子先生でした。接戦の末に理事長に着任すると、ありとあらゆる経営改革を行いました。それまでの人件費3割削減政策では、教師陣が次々と辞めていきました。そこで、これを撤廃して逆に人件費を増やして医療サービスの充実に力を入れました。支出に対する人件費比率が53%になり、文部科学省の管轄部門から教育に対する支出が少ないと指摘を受けた事もありました。しかし、この改革が功を奏し、雇用を増やした事で医療も教育も行き届く様になりました。そうして、2009年の9月に理事長に就任してから約半年後の3月末の決算で、14億円の黒字を達成したのです。こうした実績が評価され、2期目からは満票で続投が決まり、早16年が経ちました。
社会に貢献出来る教育機関・医療機関として改革を続行
つくづく幸運に恵まれている人生だと思います。趣味のゴルフでは、80歳にしてホールインワンとエージシュート(18ホールを年齢以下の打数で回る事)を同時に達成するという快挙を成し遂げました。窮地に立たされた時には、まるで奇跡の様に多くの方に助けて頂きました。振り返れば、幾度となく思い掛けない幸運──いわば“セレンディピティ”に導かれて、人生の節目を乗り越えて来た様に感じます。コロナ明けの経営難で苦しかった時には、卒業生の善意により莫大な寄付金が集まりました。これからの人生で、社会に出来る限りの恩返しをしなければなりません。
現在、多くの大学病院は消費税の負担によって苦しめられています。日本私立医科大学協会の会長として、物価高騰を反映した診療報酬の改定と臨床医に対するインセンティブに関する要望を含め、大学病院が教育、研究、地域医療への貢献という本来の役割を発揮出来る様、働き掛けて行きたいと思います。
本学は今年6月に創立100周年を迎え、創設者の額田晉先生が著した『自然・生命・人間』という建学の精神の下に、全学の結束力を示す事が出来ました。音楽と映像のコラボレーションをコンセプトに企画した記念イベントでは、多くの方から称賛の言葉を頂きました。社会の為になる教育機関・医療機関として、「スチューデントファースト」「ペイシェントファースト」の精神で、今後も様々な改革を推し進めていきたいと思います。
インタビューを終えて
学校に関係する全ての組織を1つに纏め上げ、創立100周年事業を見事に完遂されたその手腕に敬意を表します。ご自身も語られる通り、導かれる様に東邦人生が始まり、一途に心魂を注いできた。その道のりが今日の立場を築いた。教育以外でも不思議な力を発揮する。その象徴がゴルフライフだ。一流ゴルファーが憧れるエージシュートを幾度と無く達成するのみならず、同一ラウンドでホールインワンの偉業も達成してしまう。唯一無二の存在であり、「天は二物を与える」好例だ。少子化等、前途多難な大学運営に敢然と立ち向かう姿にはエネルギーが漲っている。(OJ)
国産 車海老 黒糖ガーリックシュリンプ
厳選した新鮮な車海老に、黒糖・ココナッツ・スパイスが調和したマイルドなガーリックソースを添えた人気の1皿。ザ・プレミアム・モルツ マスターズドリームのコクと旨味と好相性。
鉄板焼「けやき坂」
東京都港区六本木6-10-3
グランド ハイアット 東京4F
03-4333-8782
月〜金11:30〜14:30(L.O.)
土・日・祝11:30〜15:00(L.O.)
17:30〜21:00(L.O.)
無休
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