
若手離れで体制維持困難、死亡率上昇を懸念
2024年4月からスタートした医師の働き方改革から1年余りが経過し、現場では試行錯誤が続いている。長時間労働を是正し、医師の心身の健康を守りながらも医療の質と安全を保ち持続可能な医療提供体制を維持する為に始まった同制度だが、取り組みを通じて労働時間が可視化された事で、過酷な勤務実態が改めて明らかになった。その結果、新たに深刻な課題が顕在化している。例えば外科など業務負担の大きい診療科では、勤務実態から若手医師の敬遠が進んでおり、このままでは高度な技術を要する分野の医師不足が今後益々懸念される。
こうした中、同じく高い技術専門性と時間外対応を求められる循環器救急でも、担い手不足が叫ばれている。一般社団法人日本心血管インターベンション治療学会(理事長:上妻謙、以下CVIT)は今年5月、「循環器救急体制に関する学会からの緊急提言」と題して、実施したアンケートの結果を報道向けに発表し、現状を報告した。
働き方改革で懸念される診療の質の低下
この報告によると、24時間対応が必要な緊急心臓カテーテル治療に於いても医師不足が深刻で、働き方改革の完全な遵守は困難な状況だという。又、循環器内科を選ぶ若手医師が減少傾向にあり、将来的に医師が足りない地域の増加が予測される。こうした状況が続けば、現在の循環器救急体制は維持出来ず、急性心筋梗塞等の死亡率上昇は避けられない、と関係者は危機感を募らせているのだ。
医師の働き方改革で上限が定められた時間外労働は、原則として年960時間(A水準)だが、医師の派遣等により地域の医療体制を確保する為(B水準)、技能の修得や向上を集中的に行う為(C水準)等の理由が有る場合は、都道府県の指定を受けて上限を年1860時間とする枠組も設けられている。
こうした目標時間に基づき、各医療機関では労働改革を進めているが、実際の医療現場で直ぐにこの通り対応するのが難しい現状も有る。CVITが昨年末に所属する559施設に対して行ったアンケート調査では、「働き方改革で診療の質は維持出来ているか」という質問に対し、「維持出来ていない」が10%、「維持出来ているが今後は難しい」が46%、「維持出来ており今後も維持可能」は44%だった。半数以上が質の低下を危惧している現状が浮き彫りとなった。
又、循環器内科医が十分な代替休息を取れないという課題についても改善の兆しが無い。CVITの調査では、急性心筋梗塞の患者に対する緊急カテーテル治療について当直医師のみで対応しているのは僅か8%で、9割以上の病院で自宅待機医師の協力を必要としている。その為、「1週間に1回」のペースで自宅待機を担当している医師は4割近く、「2日に1回」、「3日に1回」の頻度で任されている医師の合計は2割強に上る。
緊急の業務が発生した場合には、翌月末迄に代替休息が与えられるという規定が有るものの、CVITが所属する2095人の医師を対象にした調査では、「代替休息は取れていない」が72%、「代替休息が取れる場合もある」という回答は18.9%で、9割以上が代休を取りづらいと感じている。
若手循環器医師の減少で医療体制崩壊の恐れ
「働き方改革」や、仕事とプライベートの両立を考える「ワーク・ライフ・バランス」といった言葉は、若手医師の志向にも変化をもたらしている。臨床研修医が専攻の診療科を選ぶ際に、循環器内科や心臓血管外科が敬遠されるのが最近の傾向だ。
12〜14年と20〜22年の研修医を比較したCVITのデータによると、全体の医師数は1万7097人で2678人増えた一方で、循環器内科を選んだ医師は796人で59人の減少(−6.9%)、心臓血管外科は184人で11人減少(−5.6%)だった。
過酷な勤務環境も影響しているとみられるが、CVIT副理事長の森野禎浩・岩手医科大学附属病院長は「〈やりがいがある〉〈人の命が救える〉といった我々が頼りに頑張ってきたものが有るが、現在では全く違う価値観を持った若者が増えている。そして、この現実が加速するリスクすら有る」と語る。
循環器内科を専攻する若手医師が減る状況が続けば、将来的な医師不足は避けられない。日本循環器学会の推計では、21年度に2万7000人強いる同学会の医師会員数は41年度に2万3000人強まで減少する事が予測されている。その中でも手術等で現場の中心を担う50歳未満の年齢層の落ち込みが大きく、21年度の約1万3000人から41年度には約8300人と現在の6割程に迄減ってしまう見込みとなっている。
50歳未満の医師の減少が示唆するのは、循環器救急体制の崩壊に伴う死亡率の上昇だ。CVITのまとめでは、急性心筋梗塞でカテーテル治療を受けた患者の死亡率は近年6%程度に抑えられている。これは技術の進歩や医療体制の整備によるところが大きい。実際東京都のデータでは、冠動脈内血栓溶解治療が主流だった1982年には死亡率が20.5%だったが、90年代にカテーテル治療が普及した事で、2010年には6%に迄減少した。
しかし、医師の減少によって医師がいない空白地域が増えてしまうと、患者が病院に到着する迄の時間が掛かり、現在の様な救命率を維持出来なくなる可能性が高い。急性心筋梗塞の治療は正に時間との戦いでもある。病院到着から血流再開までの時間が90分であれば死亡率は5.8%以下に抑えられるが、100分で7.7%、120分で9.8%に迄上昇する。
高水準の救命率維持に向けて行政も支援を
実際のところ、働き方改革で労働時間の適正化を進めながら循環器救急の体制を維持するのはかなり困難なテーマと言える。若手医師が減少する一方で、社会の高齢化は益々進む見通しであり、60歳以上で好発する急性心筋梗塞の患者数が今後大幅に減る事は考えにくいだろう。
その為にも、こうした状況を改善しようと、CVITは持続可能な循環器救急体制の構築に向けて、以下の様に提言を行っている。
先ず、急性心筋梗塞の治療に於いて最も重要な要素は「時間短縮」であり、発症から治療開始までの総時間短縮が救命率に直結する為、病院では「Door to Balloon時間」を90分以内に設定する事を目標としている。この実現には、患者の早期受診と適切な治療施設への直接搬送が不可欠であり、学会は患者啓蒙活動を通じて受診動機の向上と治療施設の直接受診を促進している。患者側への具体的な啓発内容としては、胸痛等の症状が起きた際に、受診すべき病院については予め決めておく事、出張先や旅行先での症状が発生した際の対応準備、居住地域の医療体制の把握等が挙げられる。学会は、これらの情報提供としてカテーテル治療を受ける事が出来る病院を地図上から検索出来る「ハートマップ」をホームページ上で一般公開し、患者が適切な治療施設を見つけられるよう支援している。
しかし、こうした啓発だけでは、当然ながら深刻な状況が続く循環器救急体制そのものの解消には至らない。前述の森野氏は「循環器救急は医療提供体制への依存度が極めて高く、個々の自助努力のみによる維持には限界が有る。行政や社会全体で現状を共有し、 我が国の高水準な急性心筋梗塞の救命率を維持していきたい」と話す。その為にも、若手医師が循環器内科を志望したくなる様な処遇・環境の改善や、循環器救急の特殊性を十分に踏まえた効果的な地域配置を実現する為の、地域の医療機関での支え合いの仕組み作り、看護師や救急救命士等、多職種と連携した更なるタスクシフト・タスクシェアの推進は不可欠と言えるだろう。同時に、こうした現状と課題については、行政や社会全体で共有し、体制維持に向けた建設的な議論を積極的に喚起していく事が重要である。
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