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「敵基地攻撃」提言で見透かされた岸田氏の〝覚悟〟

「敵基地攻撃」提言で見透かされた岸田氏の〝覚悟〟
安倍前首相に取り入る「外交より政局」の軽薄

バイデン米大統領就任後初の日米首脳会談が2週間後に迫っていた4月上旬、自民党の岸田文雄・前政調会長が日本の外交・安全保障政策に関する「三つの覚悟」と題した提言を発表した。米中新冷戦の最前線に置かれた日本に「①人類の基本的価値を守る覚悟」「②自国を守る覚悟」「③国際社会を主導する覚悟」を求めた提言内容は時宜を得ていたが、注目されたのはその政局的な思惑のみだった。

米中新冷戦のホットスポット

 岸田氏は①の覚悟として「日米同盟を基軸に民主主義、法の支配、人権を守り抜き、国際秩序の安定・強化に貢献していく」と説いた。中国の影響力が増大するアジアを「民主主義防衛のホットスポット(危険地帯)」と位置付け、「台湾海峡の安全、香港民主主義、ウイグルの人権を守るための日米協調」を唱えた。

 安倍晋三政権で4年半にわたって外相を務めた岸田氏である。日本政府の外交方針を熟知した上での提言であり、4月16日の日米首脳会談で話し合われた内容と重なったのは当然だろう。そして、台頭する中国に日米同盟の強化で対抗するためには、日本自身の防衛力強化を迫られる事も自明の理と言える。

 岸田氏は②の覚悟として「相手領域内でのミサイル阻止能力の検討」を主張した。憲法9条の下、「専守防衛」を国是としてきた日本は、外国の領域にあるミサイル基地を攻撃する戦力を保有しないという建前を維持してきた。我が国を標的とする敵国のミサイルが発射態勢に入った事が分かったとしても、それを阻止する攻撃は米軍に頼る他ない。安倍前首相が昨年退任する間際に「今年末までにあるべき方策を示す」との談話を発表しながら、後を継いだ菅義偉首相が議論を先送りした、いわくつきの懸案である。

 岸田氏は昨年9月の総裁選に立候補した際、「必要かどうか議論を進めていかないといけない」と述べるにとどめていた。派閥会長を務める宏池会(岸田派)は「軽武装・経済重視」の保守本流を自任し、伝統的に親中派の系譜でもある。岸田氏自身もどちらかと言えば慎重論と目されていただけに、②の覚悟は唐突感を持って受け止められた。

 そもそも敵基地攻撃能力の保有は、北朝鮮の核・ミサイル開発に対抗する手段として検討されてきた経緯がある。それが米中新冷戦下の日米同盟強化という文脈で語られた場合、何を意味するか。北朝鮮からのミサイル攻撃を想定した従来の議論は、ミサイル発射の兆候を早期に探知し、艦船や航空機からの巡航ミサイルや誘導弾でミサイル発射を阻止する能力を自衛隊が保有するかどうかだった。しかし、仮想敵が核大国の中国となると、話は根本から違ってくる。

 政府は既に、中国が尖閣諸島等に侵攻してくる事態を警戒し、占拠された島嶼部を奪還するため、敵ミサイルの射程外からの「スタンド・オフ攻撃」が可能な長射程の巡航ミサイル開発を進めている。北朝鮮のミサイル基地攻撃への転用は政府内で当然、想定されているだろう。だが、中国大陸からの核ミサイル攻撃を阻止出来るものではない。

 米中間では相互に核戦力による抑止が働いている。中国が米国の同盟国を核攻撃したら、米国が核で反撃する事が想定されるため、日本は米国の「核の傘」に守られているとされる。これを「拡大抑止」と呼ぶ。

 日本が自前で中国のミサイルを阻止する能力を持つとしたら、核ミサイルを保有するか、米国がアジア太平洋地域への配備を検討している新たな中距離核戦力(INF)ミサイルシステムを日本本土で受け入れて共同運用するしかない。岸田氏が③の覚悟として強調した「核兵器のない世界を目指す不退転の決意」と矛盾するのは明らかだ。

 では、なぜ岸田氏は日米首脳会談の直前というタイミングで、あえて敵基地攻撃能力の保有検討に踏み込んだのか。政府・与党の議論を先送りした菅首相への当て付けだとしても、「岸田政権になれば、これをやる」とアピールしたかった相手は誰か。INF配備を受け入れる覚悟等、岸田氏にない事は、はなから見透かされており、米国へのアピールにはならない。だとすれば、岸田氏がラブコールを送った相手は、敵基地攻撃能力の保有を長期政権のレガシー(政治遺産)として遺したかった安倍前首相という事になる。

 昨年の自民党総裁選で菅首相に敗れた岸田氏としては、今年9月の総裁選で何としても雪辱を期したい。安倍前首相の出身派閥・清和政策研究会(細田派)の指示を取り付けたくて安倍氏にすり寄っていると永田町では受け止められた。外交・安全保障の政策提言という形を取りながら、国内政局にらみの思惑だけが際立ってしまい、かえって岸田氏の覚悟の「軽さ」を印象付けたのだ。

 提言通りの「三つの覚悟」が岸田氏自身にあるなら、米中対立が激化する中で中国に苦言を呈し、日本政府にもっと強い対応を求める事も出来たはずだ。台湾への軍事的・経済的圧力、香港の民主化運動弾圧、新疆ウイグル自治区等の少数民族への人権侵害に対し、岸田氏が率先して行動を起こした実績はない。取って付けたように「覚悟」を唱えても国民の胸には響かない。

広島再選挙でも汗はかいたが

 岸田氏は4月25日投票の参院広島選挙区再選挙で、自民党県連会長として陣頭に立って敗北した。2019年の参院選における大規模買収事件で、河井案里・元参院議員が当選無効になったのに伴う再選挙だった。

 19年参院選で自民党は2人の候補を擁立し、安倍氏の不興を買っていた宏池会のベテラン現職が落選の憂き目に遭った。安倍総裁率いる自民党は河井陣営に1億5000万円の選挙資金を投入し、それが大規模買収に使われたとみられている。

 再選挙の原因を作ったのは自民党の不祥事であり、候補の擁立を見送って禊とする判断もあってよいケースだ。ベテラン現職を失った宏池会の岸田会長は被害者として振る舞う事も出来た。にもかかわらず、火中の栗を拾う形で新人候補を擁立し、選挙戦の陣頭指揮を取った岸田氏。19年参院選で党を挙げて河井陣営についた安倍氏も菅首相も、再選挙の応援に入る事はなかった。

 結果として「保守王国」と呼ばれる広島で手痛い敗北を喫した。岸田県連会長の責任を問う声までは上がらなくとも、9月の総裁選へ向け求心力の低下は避けられない。安倍氏が招いたに等しい再選挙の窮地で「汗をかいた」との見方も党内にあるが、あくまで永田町の内輪の評価であって、国民、広島県民の胸に響くものが何かあっただろうか。

 報道各社が参院広島再選挙の投票所で行った出口調査では、自民党支持層の3割近くが当選した野党系候補に投票したとのデータもある。岸田県連会長がかいた汗は安倍氏やその取り巻きの歓心を買う事はあっても、政治家としての評価を高める事には繋がるまい。

 安倍長期政権下、岸田氏は外相、党政調会長として安倍氏を支え続け、後継首相に指名してもらう禅譲を狙って失敗した。いま再び首相の座を目指すに当たり、菅首相との違いを外交・安全保障政策でアピールしようとするのは分かる。しかし、それが安倍氏の支援を取り付けるためなのだとしたら、昨年の総裁選と同じ轍を踏む事にならないか。

 岸田氏の提言通り米中対立のホットスポットに位置する日本は大きな覚悟を迫られている。それは国民の命と生活を守り抜く覚悟であって、安倍氏に取り入る覚悟ではない。

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