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未来の会

第72回 医師が患者になって見えた事 うつ病と併走しながら患者の伴走を

第72回 医師が患者になって見えた事 うつ病と併走しながら患者の伴走を

医療法人幸啓会北本心ノ診療所(埼玉県北本市)
院長
岡本 浩之/㊦

岡本 浩之(おかもと・ひろし)1978年奈良県生まれ。2003年東京大学医学部卒業後、同精神神経科入局。獨協医科大学病院で研修後、埼玉県済生会鴻巣病院などを経て、2011年診療所を開院。

2010年秋、東京大学医学部を卒業して精神科医になって8年目。開業を計画していた矢先、31歳の岡本を人生4度目の大うつ病が襲った。

薬の力を借りてどん底から再起

勉強至上主義の両親に育てられ、いつも大人の顔色をうかがう子どもだった。中学校、高校、大学でも経験したうつ病、今回は、前のエピソードから10年近く時が流れていた。親元を離れ、医師として仕事を確立して家庭を持ったことが、気分も安定させていたようだ。趣味のランニングも再開しており、フルマラソンで記録を狙い、ウルトラマラソンに参加するなど、走る喜びも取り戻していた。研修医時代からハードワークは慣れっこだが、何でも全力投球する性分で無理が重なった。そこに母の死が追い打ちをかけた。

入眠剤で寝入っても、心から安まることはなく、これまで以上に希死念慮が強かった。職場で私物を片付け、通勤電車に飛び込みたい衝動に突き動かされた——しかし、すんでの所で踏みとどまった。

我に返ってみると、医師に不信感を抱いた経験から、きちんと抗うつ薬を服用したことがなかった。うつ病での受診には恥ずかしさもあったが、薬の力を頼りたいと真剣に思った。精神科の地域医療を待つ患者たち、そして家族のためにも、とにかく乗り切らなくてはならなかった。

「もし医師でなかったら、立ち直れていなかった」。心の専門家として自分の病を見つめたことが、岡本を救った。

2011年4月、待望の開業の日を迎えた。「心ノ診療所」と冠したのは、精神科受診のハードルを低くしたいとの思いだ。地域のニーズを汲み上げ、患者も次第に増えた。2017年から非常勤医師を徐々に増やし、毎日医師2人から3人の体制とした。岡本自身は日々60人の患者と向き合う。患者は勤め人が多いが、一般の人だけではない。自分の経験を生かして、心の不調に悩むスポーツ選手の支援にも取り組んだ。

走る気力、体力もよみがえり、フルマラソンでは2時間48分台の自己記録を出した。走ることがうつ病発症の要因の1つとなった反面、走って心の淀みが吹っ切れる部分もあった。運動には、精神疾患への効果も認められている。血流が改善され、ストレスホルモン分泌が抑えられ、脳に栄養物質が放出される……。岡本は、患者の治療に運動療法を採り入れ、有酸素運動やストレッチなど、無理なく体を動かすための運動教室を開くことにした。「これまでの体験を踏まえて、“心の運動療法家”を目指そう」。

うつを公表し動画を配信

薬の種類も量も減ったが、その後も定期的に主治医を訪ね、服薬はずっと続けている。最後の大うつのエピソードから10年が経とうとしていた。それまで、自身のうつ病体験を公表することはなかった。病歴を振り返るのは苦痛を伴い、冷静に病気に向き合うことができなかったからだ。うつ病を抱えながら診療していることを知られ、後ろ指を指されることも怖かった。しかし、いつしかそうした思いは昇華されていた。自分の経験が誰かのために生かせるのであればと、岡本は自分のうつ病を公表することにした。自分の言葉で発信するのに、うってつけの場があった。SNS、そしてインターネットの動画配信サイト、YouTubeである。

2020年10月、「うつ病精神科医」として実名を名乗り、精神科医として診療も行う傍ら、自身もうつ病の治療も受けていることを包み隠さず話した。その上で、精神科診療を“見える化”しようと、症状への対処法や精神科医療の仕組みについて、自分の体験を交えながら語りかける3分ほどの動画を作成し、週に1回配信している。自撮りで、凝った編集はしないが30分ほどかけてキャプションを入れる。癒やしの映像として、診療所で飼育しているハムスターもたびたび登場している。院内に掲示しているが、意に介さない患者も多い。一方で、YouTubeをきっかけとして、遠方から受診する患者もいる。

21年には、『伴走 〜こころの隣に〜 うつ病ドクター奮走記』という著作を出した。「伴走」という言葉には、病気の症状は闘うものではなく、併走していくものだという処世術、そして、医師として患者を高見から指導するのでなく、伴走していきたいという意味を込めた。

心臓の不調で3カ月の転地療養

コロナ禍にあっても、自分ならではの診療をし、メッセージも発信し続けることができていた。オーバーワークだと感じる時は、診療のコマ数を減らした。薬は飲み続けており、かつてのようにどん底に落ち込むことはなくなった。しかし、体には異変が生じていた。まず、局所ジストニアを発症した。足が意思に反する向きに勝手に動いたり、思うように動かなかったりする症状に悩まされつつも、走ることは自身の運動療法にプラスだと感じ、無理のないように続けていた。

しかし、さらなる病に見舞われた。安静時にも動悸や胸痛を感じることがあった。21年暮れにはその頻度が増し、明らかな心臓の不具合を実感した。大学病院で精密検査を受けた。慌てて治療を要するような重篤な不整脈ではないが、頻度が過ぎると致死的な心房細動を起こしかねないと診断された。原因ははっきりしないが、長年の服薬が無関係とは言い切れない。かと言って、抗うつ薬をやめることは不安だ。

岡本は思い切って、しばらくペースダウンしようと考えた。札幌にいる先輩を頼り、転地療養を試みることにした。診療所は非常勤の医師たちに任せ、22年4月から札幌のホテルで過ごした。回復を期しながら、心臓と心に負担をかけない範囲で仕事をしたり、近くを軽く走ったり、自分を見つめ直して軌道修正する時間もできた。

3カ月の療養を終えて心臓の症状は安定し、100%ではないが日常に復帰した。8月には3歳上の兄と同じく産業医の資格を取り、企業の嘱託医の仕事もこなしている。10月に新型コロナ感染症に罹患したが軽症で済んだ。多忙な日々にも、何とか心身の健康を保っている。

精神科医として振り返ってみると、子ども時代に兄と自分を厳しく叱責した両親は、ともに精神疾患の範疇に入るかもしれない。教育虐待が、うつ病発症の一因ともなっていた。岡本には息子が3人いるが、勉強でもスポーツでも子どもたちの個性を生かすことを最大限に尊重している。子どもは親の分身ではないと考えるからだ。

うつ病はマイナスな要素ばかりでない。「何ごとも無理をしてしまう性格だが、病をきちんと自覚したことで、無理をしないという力の抜き方の加減が分かってきた」。それが、親身の治療にも生きている。(敬称略)

〈聞き手・構成〉ジャーナリスト:塚﨑 朝子

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