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未来の会

第159回 患者のキモチ医師のココロ マイクロアグレッションの弊害

第159回 患者のキモチ医師のココロ マイクロアグレッションの弊害

 アルコールなどの依存症、糖尿病や高脂血症、COPD、その他さまざまな疾患の患者に「自己責任の結果」「性格の問題からなった病気」といったレッテル貼りをする。それを「スティグマ化」と呼び、そこに私たち医療従事者も加担してしまうことがあるという話を前回した。

 「いやまさか、糖尿病の患者に“あなたが不摂生だからこうなった”なんて言わないよ」と思う医師も多いだろう。では、これはどうだろう。

 「今日の検査でヘモグロビンA1cが上がっちゃいましたね。でもまあ、もう年だから食事制限なんてムリだろうし、あまり意味ないかな」

 これはたとえば「こんな数値になるなんて、食事制限を怠けてるんじゃないですか。あなたの親の代から診てるけど、親のだらしないところが子どもにも遺伝してる」などとはっきり侮蔑、偏見の言葉を投げかけるよりは、よほどマイルドな言い方だろう。数値の悪化をとがめるのではなく、一応は理解を示しているところも評価できる。

 ただ、問題は「年だからできない」「意味ないか」という言葉だ。そこには明らかな差別の意図はなくても、耳にした方はどう思うだろうか。チクンと心に小さな傷がつくのを感じながら、「ええ、そうなんですよ」と苦笑いするしかないのではないか。

マイクロアグレッションがないか点検する

 こういった受け取った側の自尊心がほんのわずかに傷つけられるような表現を、「マイクロアグレッション(小さな攻撃性)」と呼ぶ。ひとつひとつは強い怒りや悲しみを掻き立てることはなく、苦笑いや沈黙で受け止められる程度のものであっても、たび重なることで意外に深い傷を当事者に与えることがある。

 最近、社会学の分野で注目されているこの「マイクロアグレッション」の概念の理解がむずかしいのは、話し手側には侮蔑や差別の意図はいっさいなく、むしろほめたり驚いたりする意味で発した言葉も含まれることだ。

 知人のひとりが言っていた。その人のルーツは北欧にあり見た目はいわゆる白人なのだが、日本生まれの日本人で、母国語はもちろん日本語だ。それでもお店などでは英語で話しかけられることが多く、それに日本語で応じると「わあ、日本語がお上手ですね!」と目を丸くされる。若い頃は「いや、日本人なので」とまじめに答えていたが、いまでは説明も面倒になり作り笑顔で「ありがとう」と言うのだそうだ。

 「ぱっと見がこうだから日本語ができないと思われるのは仕方ないけど、こっちが日本語で話し出したらふつうに会話してほしいよね。それなのに、話が始まってからも“いつ来日したのですか”とか“お寿司食べました? 納豆は?”とか言われると、さすがにウンザリするよね」

 このケースでは、「日本語がお上手ですね」と声をかけてくる人には決して偏見の意図はなく、単純に外見から非日本語話者と勘違いしてその日本語をほめるつもりでそう言ったのだろう。ただ、言われた方としてはうれしさよりも「日本人なのに」という残念さを感じる。これが続いたり「日本人です」と説明してもわかってもらえなかったりすると、次第に相手に悪意がないことはわかっていても、イラ立ちを感じることは本人の言葉の通りだ。これがマイクロアグレッションだ。

 先ほどの糖尿病の例は、もう少しわかりやすい。まず「年だから」という表現自体にアグレッション(攻撃性)が秘められている。この言葉自体は事実そのものだとしても、一般的に「もう年だ」というのは決してポジティブな表現ではない。患者が自ら「私も年ですからね」と言うならまだしも、医師の方から「年だから」という表現を使うのはなるべく避けたい。

 実は私も、患者を安心させるつもりで、「この検査データ、一見、異常に見えますが加齢による変化ですから」とか「いわゆる年相応ってやつですよ」などと言ってしまうことがある。ただ、もし自分がたとえば美容院に行って「最近、白髪が増えて憂うつ。染めてくださいね」と言って、「もう年なんだしこんなものですよ」などと言われたらどうだろう。実際には美容室では決してそんなことは言わず、「大丈夫ですよ、いまはいい染料もあるのでおまかせください」とポジティブなことを答えてくれる。「年」という単語に含まれるわずかな攻撃性をきちんと知っているのだ。

 さらに、先の糖尿病の例では「年だからムリ」と加齢をはっきりネガティブな意味でとらえているのに加えて、「食事制限は意味がない」とも言っている。まだ「好きなものを食べて暮らす方が人生の質が高まりますよ」ならよいが、「意味がない」と言われた人は「この先、長く生きられないと言いたいのか。それともサジを投げられたのか」と受け取るかもしれない。そういう意味で、投げかけた言葉が「性格がだらしない」「怠け者」「糖尿病は自己責任」といった直接の差別的なフレーズでなかったとしても、患者は意気消沈して診察室を後にするだろう。

患者の立場になって考え、寄り添ってみる

 誤解してほしくないのは、スティグマ化やマイクロアグレッションは患者への接遇マナーの観点からそれを防ぐべき、と言っているのではないことだ。そうされることで患者は気持ちが落ち込むだけでなく、治療へのモチベーションも大きく下がるだろう。「逆に気が引き締まったりファイトがわいたりして治療意欲も高まるはず」と思う人がいたら、それは間違いだ。前回、このコラムで依存症者へのやみくもな脅し(「このままじゃ死にますよ」など)は治療効果がないばかりか、逆に依存を促進する結果にもなるという話をしたが、それはほかの慢性疾患にも通じる定理であろう。

 私は現在、へき地診療所に勤務しているがあるときこんな経験をした。夫を最近、亡くしてひとり暮らしとなった糖尿病の高齢女性の血糖値が急に上がったのだ。「検査の数値があまり良くなかったのですが、ごはんの食べすぎなどありませんか」ときくと、彼女はこんな話をしてくれた。

 「夫がいなくなってからちゃんとごはんを作る気にもなれず、きちんとした食事はほとんどしてないんですよ。あ、でも、もしかしたらあれが原因かな。おそなえは欠かさないようにしよう、と毎日、夫が好きだったくだものやお菓子を買ったりこしらえたりして仏壇にあげてます。次の日にそれを捨てるのなんだか悲しいので、仏壇の前で夫におしゃべりしながらいただいてるんです。それで糖分が過剰になってるのでしょうかね……」

 この人に「お菓子なんてとんでもない! 食べてよいのは野菜やお肉だけです」と言うことは、私にはとてもできなかった。また、悲しみに暮れる女性に「ごはんを食べすぎているのでは」と疑い、そう言ってしまったのはまさにマイクロアグレッションだったとおおいに反省した。

 「そんなに言い方に注意が要るのでは、必要な指導も何もできない」という声も当然、出るだろう。次回はそんなドクターのために「望ましい声がけ」について考えてみたいと思う。

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