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未来の会

第160回 患者のキモチ 医師のココロ シンプルな言葉が患者の心に火を灯す

第160回 患者のキモチ 医師のココロ シンプルな言葉が患者の心に火を灯す

 前回は、患者が医者など医療従事者からの「ちょっとしたひとこと」で傷ついたり自尊心を失ったりする、という話をした。その中でもとくに気をつけたいのは、それが医療者側に悪意がない場合でも起きる場合があるという「マイクロアグレッション」の事例だ。「ああ、今月の検査結果の数値、よくないですね。どうしちゃったんだろう」という何気ないつぶやきが、「私の努力不足なのかな」「もう先生に見離されるのでは」と患者の罪悪感や不安を呼び起こす。

言葉が心の灯火になる

 ただ、「それじゃ何も言えない」と心配しすぎる必要はない。一方で患者は、医療者からのちょっとしたひとことで励まされ、元気づけられることも少なくないのだ。少し前の情報にはなるが、「糖尿病ネットワーク」のホームページにある「主治医や医療スタッフからかけられた『嬉しかった言葉』」というコンテンツを見てみてほしい(https://dm-net.co.jp/honne/

002/kanja/001.php)。そこに並ぶのが実にシンプルな言葉であることに驚くのではないか。その一部を紹介したい。

 「『一緒にがんばりましょう』」

 「頑張っていることを認めてくれる。うまくいかなくても、できないことをわかってくれるのが嬉しいです。『がんばってるね』だけで救われます」

 「1型糖尿病です。コントロールが良好なとき、『よくコントロールしてますね』と言われると当たり前でもうれしい」

 「(当日測定した血糖値が高かったにもかかわらず)『この程度で、がっかりする必要ありませんよ』『必ず下がりますよ』と、ポンと肩を叩かれたとき」

 つまり、気のきいた言葉や含蓄のある言葉ではなく、「いっしょにがんばりましょう」「がんばってますね」「がっかりする必要はありませんよ」などのあまりにもベーシックな言葉がいつまでも患者の心に残り、治療意欲をかきたてるということだ。

 こういう経験は、実は多くの人が持っているのではないだろうか。私も同様だ。私は本当は理学部に進学したかったのだが、国立大学の受験に失敗し、私立医大に進むことになった。学年が進むにつれ基礎、臨床と専門科目が増え、周囲の同級生は「いよいよ医学部らしくなってきた」と張りきっているが、私は「理学部に進んだ友人はそろそろ研究室に所属しているんだろうな」と残念な気持ちが増すばかり。授業にも身が入らず、試験も落第スレスレだった。

 そんなとき、キャンパスでドイツ語の教授とすれ違った。その先生の授業はとてもおもしろく、不本意な大学生活の数少ない楽しみだった。会釈をして通りすぎようとする私に、教授は名前を呼んで声をかけてくれた。「私の名前を覚えてくれているのか」と驚いていると、教授は言った。「専門科目はどう? あなたはがんばり屋だからねえ。一生懸命やってるんでしょう?」。そんな風に私を見ていてくれただなんて、と私は泣きそうになった。そして、「よし、いつまでも落ち込んでばかりいるのはやめよう」と少し立ち直ることができた。

 このように、もう40年も前に教授からかけられたほんのわずかな言葉が、いまだに心の中の灯火として輝き続けることもあるのだ。まして病気で通院している患者にとっては、医者からの「がんばってますね」「大丈夫ですよ」といったひとことは、どれほど励みや希望になるだろう。

医療者が前向きな姿勢を見せる

 とはいえ、私たちは安請け合いや事実と異なる発言はできないから、状態が悪い人に「絶対よくなりますよ」「(悪い結果なのに)とても良い結果なので安心してください」とは言えないだろう。「悪い情報や知らせをどう伝えるか」ということも医療者には重要な問題であり、そのためのテクニックも開発され(「SHAREプロトコール」など)、本が出版されたり、研修会が開催されたりしている。

 ただ、そういうときでも有効な言葉はある。そこで大事なのは、先述した糖尿病ネットワークのコンテンツにもあるように、「いっしょにがんばりましょう」「私たちも全力でがんばります」など、医療者側の姿勢や決意を示すことだ。患者にとって何より絶望的な気持ちになるのは、「もうあなたのためにできることはありません」と医療者から文字通り“さじを投げられる”ことなのである。

 これは、私がいま勤務するへき地診療所でも実感している。この診療所では検査、治療ともできることは限られているので、高度な医療が必要になれば60キロ以上離れた都市部の総合病院や専門病院に紹介するしかない。「〇〇市の病院に行った方がいいですね。電話して向こうの先生にお願いしてよいですか」と言うと、とくに高齢の患者の中には「もうここでは診てもらえないんですね」と心細そうな顔になる人が多い。「はい、専門機関でぜひ治したいと思いますので、ぜひお願いします」と前向きなのは若い世代だけだ。

 だから、高齢者に遠隔地の専門機関への紹介を打診するときは、「もちろんこのままここで診させてもらうという選択肢もありますが」と必ずつけ加えることにしている。また、転医を受け入れてくれた人には、「また落ち着いたらその後はここで診ますよ。待っています」と伝える。決して“片道切符”ではない、という安心感が高齢患者の治療意欲をキープするためには必要なのだ。

 こうやって考えてみると、医療現場でのコミュニケーションはそれほどむずかしくない、ということがわかるのではないか。たとえば私は一般向けの書籍を執筆する活動もしているが、「ずいぶんがんばりましたね。これからもいっしょにがんばりましょう」だけを延々と繰り返すような原稿を書いたら、編集者から「これでは本になりません」と却下されるだろう。原稿では、古今東西の学者や文豪の名言を引用したり、自分自身の考察を展開したりして言葉を重ねなければならない。それでも本になれば読者から、「内容が薄い」「こんな本はすでにたくさんあります」と酷評されることも少なくない。

 それに比べたら、医療現場では「あ、今回の数字、だいぶいいじゃないですか」「今月はいまいちでしたね。よし、来月に向けて目標ができましたね」といったとてもシンプルな言葉で患者は笑顔になってくれる。それどころか、何年かあとになってから「あのときの先生の言葉で希望が見えました」と感謝してくれることさえある。

 いや、言葉すらいらないかもしれない。患者の声を集めた掲示板で、「先生の笑顔を見るだけで元気になる」という書き込みを見た。「おだいじに」「また来月」とにこやかに送り出してくれるだけで、患者は「がんばって治療を続けよう」という気になれるのだ。

 もちろん、医療者にも体調が悪い日もあれば、自分の悩みで頭がいっぱいなときもある。ただ、診察室ではちょっと自分を奮い立たせて、患者に「がんばってますね」のひとことをかけられるようにしたい。それだけで何種類ものクスリより効果があるならば、実に“お安い御用”なのではないだろうか。

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