SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

私の海外留学見聞録 ⑥ 〜蔗を嚼む境に入る〜

私の海外留学見聞録 ⑥ 〜蔗を嚼む境に入る〜

堤 治(つつみ・おさむ
山王病院 名誉病院長・同女性医療センター/
リプロダクション・婦人科内視鏡治療部門長
国際医療福祉大学大学院 教授

1985年7月、ワシントンDCの空港に降り立った私を迎えてくださったのは、留学先となるアメリカ国立衛生研究所(National Institutes of Health:NIH)のLMCB(Laboratory of Molecular and Cellular Biology)の岡孝己先生と、東大医学部での同級生・辻省次君でした。

辻君には、学生時代の解剖実習から大変お世話になっており、留学でも先回りしてNIHで私が暮らすアパートの契約までしてくれていました。初日は辻先生宅に泊まらせて頂き、翌日からは新居に移り、辻君が事前に調達してくれたベッドで眠ることができました。留学中はもちろん、その後共に東京大学教授を務め、現在は国際医療福祉大学教授としてお世話になり、頭が上がりません。唯一お役に立てたと言えるのは先生の2人のお孫さんを私が取り上げさせて頂けたことでしょうか。

岡先生のラボは、当時は未知に近かった上皮細胞増殖因子(Epidermal Growth Factor:EGF)を研究されておりました。私は78年の世界初の体外受精成功以来、生殖医学を目指し、卵子の研究で学位を取得したばかりでしたから、EGFの生殖生理における意義解明に取り組ませて頂きました。大学時代は臨床の片手間の研究でしたが、NIHでは時間も研究費も限りなくあり、森鷗外の小説「舞姫」の主人公がドイツ留学で感じた“をむにる”とはこのことかと思いました。

岡先生からは論文の書き方、特にインパクトの高い雑誌への勝負の仕方をご指導頂き、科学を志す者として夢であった『Science』に最初の論文が掲載され、精子や卵子を中心に2年間で16本の論文をまとめられたのは幸いであり、自分の財産となっています。

生殖生理の研究では、雄マウス、雌マウス、妊娠マウスさらにがんにも手を出し、ヌードマウスの飼育もあり、時間割を作って「回し車」のハツカネズミのように研究に没頭しながらも、オフの時間もありました。NIHには東大の先輩で『アメリカNIHの生命科学戦略』などの著書で知られる掛札堅先生がおられ、NIH鉄門会もしばしば開かれました。NIHには日本各地から研究者が集まり、当時400名近くが在籍しており、エイズ治療薬の発見で飛ぶ鳥を落とす勢いだった満屋裕明氏ともテニス仲間として知り合えたのも思い出です。

カフェテリアに集う日本人の話題の1つはアメリカ国内の旅行のことでした。ナイアガラの滝、グランドキャニオン、イエローストーンなど、子供のころ図鑑で見た景色を求め2年間で10万マイル走破し、子供たちにも良い経験をさせることができました。

2年の留学期間の終盤、延長のオファーを頂きました。ありがたいことで内心興奮してお話を伺ったのですが、産婦人科の臨床医として生きていく自分には身に余ることとして辞退させて頂きました。実は、その時心に浮かんだ本があります。野口英世の無鉄砲とも言えるアメリカ留学、その後の栄光と最期を、医師でもある渡辺淳一氏が描いた『遠き落日』です。子供のころ、野口の猪苗代の生家を訪れ、床柱に刻まれた「志を得ざれば再び此地を踏まず」という文字を見た時の衝撃も蘇りました。アメリカで得たものを持ち帰り、自分なりに志を果たしたつもりですが、もしかして別の決断をしていたらと思うこともあります。

若手医師や医学部の学生さんには、留学を志し、思う存分成果を上げてもらいたいものです。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top