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第148回患者のキモチ医師のココロ 医師が“政治家的視点”を持つ事

第148回患者のキモチ医師のココロ 医師が“政治家的視点”を持つ事

 医師は政治家に向いているのか。今回はそんな話をしてみたい。

 10月31日、第49回衆議院議員総選挙の投開票が行われた。今回の立候補者のうち医師資格を持つのは30人。うち12人が当選した。全体では1051人が立候補し465議席を争ったので、“合格率”は全体とほとんど同じだ。

 医師資格を持つ立候補者と当選者について党派別に見ると、自民党が12人中5人、立憲民主党は4人中3人、日本維新の会6人中2人、無所属は7人中2人が当選。日本共産党は1人が立候補したが当選には至らなかった。

 意外だったのは、前回の総選挙では41人の医師候補がいたのに、今回、その人数が減ったことだ。コロナ禍に「医療と政治」は密接に結びついていることを知った有権者、医師も多かったはずだが、「先生、ぜひ出て」「よし、私が政治の世界から医療を変えよう」という声は少なかったのだろうか。

 実は私も、これまで何度となく、衆院選や参院選、知事選などの出馬要請をされた。何も私に政治の才能があったからではない。どの党も“候補者不足”で悩み、本を書いたり新聞にコメントを寄せたりしている人などには手当たり次第、声をかけているのだと思う。いずれのときも「お声がけはありがたいが、これ以上、臨床に使う時間を減らすつもりはないので」と断ったが、それでも「〇〇議員もドクターで、週1〜2回、診療を続けているんです。だから両立も可能ですよ」と言われ、答えに窮したこともあった。

 これは今だから言える話だが、連絡してきた政治家に「どうして政治経験もない私をそんなに熱心に誘うんですか」と尋ねたところ、こんな言葉が返ってきたことがあった。

 「弁護士や医者は出馬を頼みやすい。なぜなら万が一、落選してもまた仕事に戻りやすいですからね。会社員だと退職して出馬してもし落ちたら、生活の基盤がなくなってしまうんです。あまり気軽にお願いできませんよ」

 そのあまりに正直な答えに思わず爆笑しながら、「なるほど。よくわかりました。でもやっぱり私は医療の方が性に合ってるので」とお断りの返事をしたのだった。

若手時代に感じた、患者との距離感の難しさ 

 医師は政治家に向いているのか。もちろん答えは「人による」だが、医師という職業そのものが政治にも応用可能な性質を持つかといえば、必ずしもそうは言えないと思う。「標準治療」という考え方が普及し、いまはどんな疾患の診断でもガイドラインができているとはいえ、医療の基本はやはり「一対一」であり、個別のものであるからだ。目の前の患者さんと向かい合い、その人の疾病だけではなく家族や生活の状況も考慮しながら、「教科書的にはここでこういう治療を選択すべきですが……でも、あなたの場合はそうもいきませんね。よし、こうしましょう!」と“オーダーメイド”で方針を決める場合も少なくない。

 もうかなりの昔、私がまだ“若手”と呼ばれていた頃の話だ。精神科で研鑽を積んでいた私は、「患者との距離をうまく保つことも精神科医にとっては大切」と先輩から繰り返し教えられた。病院以外の場所で患者に会ったり、個人の連絡先を教えたりするのは、たとえそれが治療的な目的であってもやるべきではない。倫理的に問題があるだけではなく、患者の依存度が高まり、回復が遅れることもあるからだ。

 私が外来で受け持っていた患者の中で、自傷行為を繰り返す若い女性がおり、リストカット等を繰り返していた。同居していた家族もへとへとに疲れていて、そのうち母親までが「私も死にたい」「娘と心中する」などと言い出し、家庭は危機的な状態に陥った。ある日、母親は私にこう頼んだ。

「先生の携帯番号、教えていただけないですか」。

 私は型どおりの答えをした。「夜間や休日は、何かあれば当直医がいますから、まず病院にかけてもらえますか。主治医の私の判断も必要となれば、当直医経由で私に連絡がありますので」。

 それでも母親は納得しなかった。「娘のことをよくご存じない当直の先生が出ると、『また死ぬと言ってます』と伝えても、『ご家族で今晩は見守って、明日の日中、外来受診してください』と言われます。そういうとき、ひとことでも先生とお話できれば、私もずいぶん落ち着くと思います。なんとかお願いします」。

 私は、ここで突き放せば母親は「もう誰も助けてくれない」と絶望し、何をするかわからないと思った。そこで「わかりました。では病院には、私の番号を知っていることは言わないでくださいね」と伝えて、電話番号を教えたのだった。本来ならせめてミーティングで先輩の意見も聞いてからにすべきだったが、事態は切迫していてその余裕もないと感じたのだ。

「目の前のひとり」と向き合う難しさ

 その母親からは数回、深夜に電話があったが、その後、彼女は別の病院に長期入院することになり、私は主治医の座をそこの医師にゆずった。もし、母親から「先生、娘がいま命を絶つと言ってるんです、すぐ来てください!」と言われたら、私はどうしていただろう。番号を教えてしまったからにはと責任を感じて、もしかしたら夜遅く、その家まで駆けつけたかもしれない。しかし、診療の手続きも踏まずに患者宅に行くなど、まさにルール違反だ。いや、でも命がかかっているわけだから……と、それから何度も頭の中でシミュレーションを繰り返した。どんなに科学的であろうとしても、医療行為にはこのように、体系化したり蓋然的に論じたりするのがむずかしい部分が本質的に残ると思う。

 もちろん、政治も同じかもしれない。いくら万人のために法律などの制度を作っても、必ず例外は生じる。しかし、あまりにも「ひとりひとり」のことを考えすぎていては、多くの有権者に選ばれた責任を果たすことができない。また国家や社会の青写真を描くこともできない。政治家により求められるのは、大局的なものの見方や広い視野ということになるはずだ。

 さて、今回の選挙で政治家となった医師たちはどうか。再選された人もいるが、今回が初当選という人もいる。彼らは、臨床の場で「ひとりひとり」に細やかに対応してきた経験を生かしつつ、今度はより多くの人のため、より広い社会のためにその手腕を発揮することができるのだろうか。

 そしてもう1つ言いたいのは、臨床の場にいる私たちも、ときにはこの“政治家的視点”を持つ必要がある、ということだ。「目の前のひとり」に対応しつつも、状況を客観視し、広く社会に目を向けて医療の立ち位置、自分の立ち位置をそのつど確認する。私が政治の世界で仕事をすることは今後もないが、この“政治家的視点”は忘れないで臨床を続けていきたいと思っている。

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