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東京五輪「無観客カード」で中止論を封じ込めた首相

東京五輪「無観客カード」で中止論を封じ込めた首相
「トーキョー・パンデミック」のリスクも抱える

新型コロナウイルスが依然猛威を振るう中、菅義偉首相は東京に4度目の緊急事態宣言発令を迫られた。最後まで「有観客」にこだわった東京五輪も、8割超の会場が集中する6都県で「無観客」を余儀なくされた。土壇場まで「無観客カード」を残しておく事で争点を「開催の規模」に持ち込んで何とか五輪中止こそ封じ込めたものの、最悪の場合、「トーキョー・パンデミック」というとてつもない代償を負うリスクも抱えた。

 首相の思いは一貫して「観客を入れた五輪開催」にあった。大会を成功裏に終わらせ、秋までにある衆院選と自民党総裁選に弾みを付ける事が最大の狙いであり、五輪で国民の一体感を醸成するには「観客あり」がベストと考えていた。

専門家の「無観客」提言の機先を制す

 コロナ禍での五輪開催に国民の賛否は割れているが、首相は「コロナ禍を乗り越えた五輪開催」は必ず政権の評価に結び付くと確信している。政府内にも「日本人選手のメダルラッシュは今の反五輪の空気をひっくり返す」との期待がある。

 「首相にでもなったつもりなのか。いい加減おとなしくさせろ」。

 6月に入り、政府の専門家の会合、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長ら有志が東京五輪・パラリンピックについて「無観客が望ましい」との提言を出そうとする動きをみせていたのに対し、首相は「野球もサッカーも観客を入れているのにクラスターは起きていないじゃないか」と周囲に不満を募らせていた。緊急事態宣言が解除されたら、五輪では「収容定員の50%」の観客を入れる意向を温めていたためだ。

 しかし、感染力が極めて強いインド発の変異ウイルス「デルタ株」流行の兆しに、政府内からも異論が相次ぐ。「身内」の抵抗にあって首相は、「収容定員50%」と並んで「上限1万人」へと絞り込む案を受け入れざるを得なかった。

 その首相は尾身氏らが提言を出す前日、6月17日の記者会見で「上限1万人」とする意向を表明し、「無観客」にこだわる尾身氏らの機先を制した。週明け21日にあった政府、東京都、大会組織委員会等による「5者協議」もその方針を踏襲した。ただ、「尾身氏らの提言を無視すれば、国民の反発が避けられない」との判断から、緊急事態宣言が再発出された場合は「無観客も含めた対応を基本とする」との条件も付けた。

 前日の20日、この方針を聞いた首相は、かなり苛立った様子だったという。それでも渋々了承し、21日は記者団に、初めて「(緊急事態宣言が再び発令された場合は)無観客も辞さない」と表明した。追い込まれて後手後手に回った格好ではあったが、最後に側近から切らされたとも言える「無観客カード」は、「どんな事があっても五輪は開催する」という不退転の決意表明ともなった。

 ワクチン接種の進展具合をにらみつつ、首相は「観客をどこまで入れるかはギリギリの段階で判断する」と周囲に言い続けてきた。その間、閣僚や官邸幹部からでさえ、「五輪を中止しても政権に傷は付きません」等と中止を進言する声が出ていた。

 これに対し、首相は「五輪はやれば必ず盛り上がる」と反論してワクチン接種の加速に前のめりになり、国民の反発をよそに五輪を特別視する言動を繰り返してきた。

 主要7カ国首脳会議(G7サミット)では五輪開催への「支持」を取り付け、当初提言に「五輪中止」も盛り込もうとしていた尾身氏に「(国際公約になった事で中止の提言は)意味がなくなった」と言わせた。「開催ありき」の空気を作り出し、争点が「開催か中止か」に傾かないようあの手この手を打ってきた。

 尾身氏ら専門家の指摘に対し、菅政権は「自主的な研究の成果の発表」(田村憲久厚労相)「別の地平から見てきた言葉」(丸川珠代五輪担当相)等と軽視した挙げ句、「五輪開催判断の前にリスク評価を」という提言を無視した。

 また、宮内庁の西村泰彦長官が、天皇陛下は五輪による感染拡大を懸念していると拝察する、と述べたのに対し、首相は「長官の見解」と黙殺した。ワクチンを過信し、9月5日のパラリンピック閉幕後の衆院解散にひたすら照準を合わせているようだ。

「安全・安心な大会」にはほど遠い状況

 ただし、東京では6月下旬に入ると、新規の感染者数が連続で前週の同じ曜日を上回り始めた。人の流れは増大する一方だ。7月7日には東京都の新規感染者数が920人に上った。6月末時点で既に週平均で見た数値は緊急事態宣言発令の目安「ステージ4」に達していた。この日の専門家会議では、対策を強めない限り、オリパラ期間中(7月23日〜9月5日)の8月初めに1日4000人を超え、首都圏では8月末に感染力の強いインド由来のデルタ株に全て置き換わるとの試算が示された。

 政府は高止まりの後、上昇に転じた感染者数について、「病床の状況が大事だ」等と言って軽視する姿勢も見せていた。ワクチン接種が進めば高齢者を中心に重傷者が減り、それほど入院病床を圧迫しない、と踏んでの事だ。しかし、ワクチン接種が進んでいない40代、50代の重症化が問題視されるようになり、働き盛りの世代が病床を埋めてしまう恐れが浮上。結局、7月8日には東京にまたも緊急事態宣言を出す事が決まり、数日前までは想定していなかった五輪の無観客開催を飲まざるを得なくなった。

 「無観客」の決定から一夜明けた9日、首相は「緊急事態宣言を発した場合は無観客も辞さない、と発言してきた。政府としては水際対策をはじめ、安全安心のために全力で取り組んでいきたい」と記者団に語ったものの、自民党内からも首相の責任を問う声が出始めている。

 五輪開幕間近となりいろいろ穴も見えてきた。6月19日には、成田空港に到着したウガンダ選手団9人のうち1人から陽性反応が出た。出国時は陰性で、ワクチン(アストラゼネカ製)の2回接種も済ませていた。大阪府泉佐野市にバスで移動した残り8人のうち1人も陽性となり、市職員やバスの運転手ら計15人が濃厚接触者と認定された。

 通常、濃厚接触者は空港で特定し隔離する。慌てた政府は濃厚接触者も空港で特定する方針に急きょ転じたものの、8万人が来日する五輪では検疫機能がパンクしかねない。

 組織委は6月末になって、約7万人の大会ボランティア全員にワクチン接種をする方針を打ち出した。とはいえあまりにも遅過ぎた。全員が2回目の接種を終え、抗体が出来る頃、五輪は既にほぼ終わっている。

 「安全・安心な大会」にはほど遠く、専門家会議のメンバーからは「感染症対策を賭けでやるのは危険」との声が漏れる。

 ワクチンの供給力不足への懸念から、現役世代に浸透させる切り札だった職域接種の申請は中止となった。

 「第5波」の到来が予見される中、未知の部分も多いデルタ株が猛威を振るい、再び日本で医療逼迫を引き起こさない保証はない。五輪で新たな変異株が生じ、感染者がそれぞれの国に持ち帰って感染を広げる事態の発生も否定出来ない。その時、菅政権は解散戦略どころではなく、立っている事すら難しくなる。

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