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未来の会

がん患者ではなく体の中にがんがあるだけ

がん患者ではなく体の中にがんがあるだけ

 循環器、心療内科を専門として、男性更年期の診療や講演を精力的にこなしつつ、孫育てにも奔走していた石蔵に、2020年2月、全身の骨に転移した前立腺がんの診断が下った。

ホルモン療法が奏功し日常を取り戻す

 比較的予後が良いとされる前立腺がんだが、全身の骨に転移しているとなれば、状況は厳しい。3月に入るとホルモン療法がスタートした。男性ホルモンの働きを抑えるザイティガを内服して、ステロイド薬を併用する。さらに、月1回リュープリンの注射をする。

 ステロイドは、“元気の出るホルモン”だ。服薬して程なく、石蔵は見る見る生気を取り戻し、食欲も戻ってきた。

 新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、「消耗したらあかん。食べられる時に食べて体力付けとかんと」と、普段以上に食べた。昼食後にラーメンを食べるなど明らかに過食で、一時は8kg減った体重は3月末には元通りになった。それも、生活習慣病の黄信号付きだ。

 血液検査をしてみると、前立腺がんの特異的マーカーであるPSAは、2000ng/mLを超えていたのが6ng/mL台にまで落ちていた。一方で、コレステロール値は急上昇、HbA1cも正常範囲内だったのが7%を超えた。さすがに“不健康”を反省し、「がんなのにダイエット」とエッセイのネタにして、4月は節制し改善に努めた。

 診断がついた後、治療と同時に開始したのが、「終活」だった。主治医は医師である石蔵を慮り、はっきりと予後を告げなかった。受診を勧めてくれた長女の夫は内科医で、論文を探してくれた。生存曲線を見ると、全身転移がある場合に3〜5年生きられるのはせいぜい半数程度だった。10年以上生きている人が2割いる一方、1年以内に亡くなる人も2割。「3年をメドに、終活は急いだほうがええな」。

 新型コロナウイルス感染症のパンデミックで、講演会は続々と中止が決まり、終活に集中した。まずは、エンディングノートに書き込んでいった。金銭や不動産などのリストアップは1週間もあれば十分だった。後は、きちんと遺書を作成して、法務局に預ければ良いと分かった。

 ノートを記しながら石蔵は、自分の死についての思いを反芻した。突然死、いわゆるピンピンコロリを理想と考える人は多いが、何も準備しないで逝けば、残された家族は困る。さりとて認知症になれば、家族の負担が大きくなり過ぎる。スポーツに親しみ、飲酒もあまりせず、喫煙歴もほぼないため、自分が急性心疾患や脳卒中になるとは考えにくかった。「60歳すぎたら何枚かカードが用意されとる中で、『がん』っちゅうカードは悪ないやろ」。その通り、がんになった。

 全身への骨転移があると分かり、高校時代から続けているテニスをすることは諦めかけた。しかし、思いがけないことに、主治医は石蔵にテニスを勧めた。骨折のリスクよりも、良い効果がはるかに勝るという。ステロイド薬を長期使用すると骨粗鬆症の恐れがあるが、日光に当たればビタミンDが増加し予防になるという。石蔵はこれ幸いと毎週ボールを追いかけ、自宅屋上での園芸に毎日汗を流す。家庭菜園で育てた野菜を並べ、自家製の梅酒を振る舞いながら、長女一家と食卓を囲むことも多い。

高度医療は先のある若い人に譲りたい

 日常を取り戻しつつある一方で、新型コロナウイルス感染症患者が増加し、医療現場は緊張していた。胸を痛めた石蔵は知恵を絞り、4月になると新たな仕組みを提案した。名付けて「譲(ゆずる)カード」。集中治療を譲る意志を示すもので、「新型コロナウイルスの感染症で人工呼吸器や人工肺などの高度治療を受けている時に機器が不足した場合には、私は高度医療を譲ります」と記してある。

 石蔵はアイデアマンだ。東日本大震災後の電力危機に対し、2014年には「日本原始力発電所協会」なる団体を立ち上げた。自転車のように漕ぐ発電型の健康器具を普及させ、「カロリーをワットに!」を旗印に、蓄電とメタボ・高齢者対策などに一挙に取り組もうとチャレンジしている。「譲カード」は協会のウェブサイトからダウンロードできるようにした。

 これに対して、高齢者に圧力をかけるものではないかと、一部から批判の声も挙がった。しかし、石蔵の信念が揺らぐことはない。カードの発表と同時に、自分が全身の骨に転移した前立腺がんであることも世間に告白した。

 「私は医師であり、高度の治療を譲ることで、患者を1人助けることができれば本望。人生が長い若い人に心から譲りたいと思う」

 今は全員医師となっている3人の娘を育て上げ、自分も眼科医の妻も多くの患者の治療に携わってきた。そして、石蔵は60歳を過ぎた頃から、その先は「オマケの人生」だと自然に思うようになった。専門とする循環器内科からすれば、心拍数などは60歳で寿命に達する。もうすぐ65歳の坂を越えれば、その先は「オマケのオマケ」だ。

 阪大に勤務していた2010年、社会学者で僧侶でもあり名誉教授の大村英昭と共に、生き方と逝き方の勉強会を立ち上げた。直後に、大村には末期の大腸がんが発覚したが、そこから5年ほど生き永らえた。大村を交え、様々なゲストを招いての勉強会をする中で、石蔵の人生観、そして死生観が確立していった。

 61歳で大坂樟蔭女子大学の教授職を潔く辞めて組織を離れ、孫育てと自院での診療に専念するのも、次世代に“命のバトン”を託し、それを支えたいと考えるからだ。生物界では、例えばある昆虫が卵を抱いたまま亡くなると、孵化した幼虫がそれを餌にして育つといった“命のリレー”は珍しいことではない。

 4人の孫に恵まれ、“イクジイ(爺)”として孫育てに力を注ぐ石蔵は、命のバトンを自覚しやすい。自身は母親の海外生活が長かったことから、少年期は長らく住み込みのお手伝いさんに面倒を見てもらった。石蔵が医師になったばかりの頃、70代になっていたその女性ががんになり、石蔵が診た。「身寄りもないが、あなたを育てることで色んな経験ができた。残せた物があると思うから安心して死ねる」と、最期に告げられた。

 そうした経験から石蔵は、同世代の友人が、1人、2人と欠けていくことを嘆く単身者には、1世代も2世代も若い友達を持ち、世話をする機会を作るよう助言する。自身は保育園で、“園芸のおじいちゃん”としてボランティアをしている。

 「がんが見つかってから、人生の密度は滅茶苦茶濃いなった。がん患者やのうて、体の中に消えんがんがあるだけ」。もし死因を選べるならば、肺炎か熱中症で、長患いすることなく逝きたいと考えている。                (敬称略)

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