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未来の会

まちづくりと地域医療を担う病院経営

まちづくりと地域医療を担う病院経営
~中小病院は地域と運命共同体~
鈴木邦彦(すずき・くにひこ)1954年茨城県生まれ。80年秋田大学医学部卒業。仙台市立病院、東北大学医学部第3内科、国立水戸病院、医療法人博仁会志村大宮病院副院長を経て、96年同病院院長。98年医療法人博仁会理事長。2000年社会福祉法人博友会理事長。10年学校法人志村学園理事長。中央社会保険医療協議会委員、社会保障審議会介護給付費分科会委員、日本医師会常任理事などを歴任。現在、日本医療法人協会副会長、茨城県医療法人協会会長、茨城県医療機関企業年金基金理事長、茨城県リハビリテーション病院・施設協会会長。日本内科学会認定医、日本消化器病学会専門医、医学博士。

人口減少や医師不足で地方民間病院の経営が厳しい中、志村大宮病院は1990年代に地域リハビリテーション重視に転換。現在、茨城県の回復期医療機関として欠かせない存在となっている。地域医療構想や地域包括ケアを先取りした体制を整え、看護学校を設立して医療人材も確保。人口が減少する地元のまちづくりも担う。同病院を主軸とする志村フロイデグループの鈴木邦彦代表に話を聞いた。


——「志村フロイデグループ(SFG)」の原点を教えてください。

鈴木 母体となる志村大宮病院は1951年に、茨城県水戸市の志村病院の分院として常陸大宮市(旧大宮町)に開院しました。町の誘致によって開院したのです。病院名の「志村」は創設者である母方の祖父の名字から、「大宮」は地名の大宮から取ったものです。内科や外科、産婦人科などを備えた、市内唯一の病院でした。私は秋田大学医学部を卒業後、東北大学大学院に進学しましたが、同時に東北大学第3内科に入局し、消化器病を中心に学びました。そして仙台市立病院やドイツ留学、国立水戸病院を経て、1993年に志村大宮病院に入職しました。当時から当地域は高齢化が進んでいたため、医療だけでは高齢者を支えられず、在宅や介護にも取り組む必要がありました。そこで1995年に訪問看護ステーションを開設し、父の跡を継いで院長に就いた1996年に老人保健施設、2000年に療養病棟、2001年には特別養護老人ホームを立て続けに開設しました。

地域医療構想や地域包括ケアを先取り

——SFGの現在の状況はどうなっていますか。

鈴木 「お客様が住み慣れた地域でいつまでも安心して暮らしていただくために必要な保健・医療・福祉の総合的なサービスの提供」を経営理念に、「県央・県北西部のリハビリセンターと高齢者・障がい者総合ケアシステムの確立の実現」を経営目標に掲げ、リハビリ機能強化型デイサービスの拠点なども各地に作っていきました。結果的に、地域医療構想や地域包括ケアを先取りする形になったのです。また、地元に福祉用具の販売店がなかったことから2002年に福祉用具を販売・貸与する有限会社いばらき総合介護サービスを設立し、2010年には地域の看護師不足の改善のために茨城北西看護専門学校を開設しました。SFGは現在、医療法人博仁会、社会福祉法人博友会、学校法人志村学園、いばらき総合介護サービスで構成しています。職員数は1100人以上にのぼります。

——地域の高齢化が背景にあるとはいえ、介護保険制度(2000年)が始まる前に、在宅介護や地域リハビリに舵を切ったのですね。

鈴木 直接的なきっかけは地元で公的急性期病院の誘致運動が起きたことです。結局、2006年に160床の常陸大宮済生会病院が開院しました。当院は地域で唯一の病院から突如機能分化を迫られることになったのです。医療資源の乏しいこの地域で「補助金付き税金なし」の公的病院と、「補助金なし税金付き」の民間病院である当院とは、同じ土俵では勝負にならないと考えました。がんや脳卒中、心臓病などで急性期の治療を受けた方が寝たきりや認知症にならないように、かかりつけ医機能を中心にリハビリと介護に特化することにしたのです。

——体制はどのように整えたのですか。

鈴木 リハビリの充実を図るには創設されて間もない回復期リハビリ病棟が必要と考えたのですが、当院には当時、高齢のPT(理学療法士)が1人しかいませんでした。しかも、茨城県は人口当たりのリハビリ専門職数が全国最下位クラスで、回復期リハビリ病棟は県都・水戸市にもなく、郡部にある当院での開設は不可能といわれていました。しかし、この状況に対して危機感を持った幹部職員と、挙手による全員一致で開設に取り組むことを決意しました。彼らの取り組みによって、2003年に県内で4番目、県央・県北西部では初めての回復期リハビリ病棟「スイス館」(50床)の開設に漕ぎ着けることができ、その後のSFGの発展の大きな原動力となりました。

——東日本大震災では被害を受けたようですね。

鈴木 志村大宮病院が被災したことは試練でした。しかし、この時も「ピンチはチャンス」と考え、築後40年以上経ち老朽化していた病院本館を約2年かけて建て直し、2015年に新本館「ドイツ館」(60床)が完成し、県内7番目の緩和ケア「エーデルワイス病棟」(20床)も開設しました。また、仮病棟として使った建物を改装して元気な高齢者も利用できるアクティビティセンターを開設し、敷地内にサービス付き高齢者向け住宅やリハビリ公園を整備してまちづくりに役立つようにしました。

——ドイツ語の名前が多いようですが。

鈴木 志村フロイデグループの「フロイデ」はドイツ語の「歓喜」の意味ですし、施設名もドイツ語から取っています。私はベルリンの壁が崩れた時に、5カ月程ベルリンに留学していたので、ドイツに対する思い入れは元々強かったのです。その後も、民間病院の経営者有志と医療制度を研究する学者と共に海外訪問調査を2008年から毎年1回行っている中で、12回中3回ドイツを訪問しました。ドイツは医療制度を含む社会保障制度も、そして医師会だけでなく、日本では医師会に含まれる保険医協会もしっかりしていて、すっかりドイツびいきになりました。ですから、施設名などをドイツ語から取っているのです。

海外訪問調査で日本の医療制度を再認識

——海外訪問調査のきっかけは?

鈴木 小泉内閣当時のアメリカ型医療の導入方針に疑問を感じ、同じ社会保険方式のドイツ・フランスと、税方式ではあるが対GDP(国内総生産)比での医療費が同程度であったイギリスを詳しく見れば参考になるのではないかと考え、民間病院の経営者の有志を募り、学者の同行も得て訪問調査を行い、報告書を作成する活動を始めました。私が日本医師会の常任理事に就いた2010年からは、日医の支援を得て調査を継続しています。

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