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全国初の市立病院統合でパワーアップ ~研修医が魅力を感じる医療機関に再生~

全国初の市立病院統合でパワーアップ ~研修医が魅力を感じる医療機関に再生~
宮地正彦(みやち・まさひこ)1955年岐阜県生まれ。80年名古屋大学医学部卒業。同年同大第一外科入局。85年岡崎国立研究機構生理学研究所。89年米ジョンズ・ホプキンズ大リサーチフェロー。92年名古屋大第一外科助手。97年愛知医科大第二外科講師。2001年同大消化器外科准教授。09年同大消化器外科特任教授。17年掛川市・袋井市病院企業団立中東遠総合医療センター企業長兼院長。日本外科学会専門医、日本消化器外科学会指導医、日本消化器病学会指導医など。医学博士。

医師不足、建物の老朽化のため静岡県内の2つの市立病院が全国で初めて統合し、新病院として開院してから6年。この間、旧病院職員間の“壁”は消え、医師数は増加、「断らない救急」も実現し、研修医数も年々増えている。2018年度には遂に黒字化を実現した。ボトムアップ型のコミュニケーションで職員の心をつかんだ宮地正彦院長に、再生の鍵と新たな展開について話を聞いた。


——センターが設立されたいきさつは?

宮地 袋井市民病院と掛川市立総合病院が医師不足に陥ったことで、いずれも診療科が減少し、病棟閉鎖や救急医療も十分に対応できない状態になりました。医師不足の原因には、2004年に始まった新医師臨床研修制度により大学からの派遣医師が両病院に来なくなったことがあります。医師が開業で抜けたり、大学の人事異動で医師が戻されて補充がなかったりして、医師不足に拍車が掛かりました。また、袋井市民病院が1979年、掛川市立総合病院が84年と同じような時期に建てられ老朽化していました。単独で建て替えるか、統合して1つの病院を造るか、財政面や将来性とともに、どちらの方が名古屋大や浜松医科大は医師を派遣しやすいかを総合的に考えて両市が決断しました。

2市で構成する病院企業団が管理・運営

——市民からの反対はなかったのですか。

宮地 両市議会と市民に納得してもらうのは極めて大変だったようです。市民の多くは病院の現状を知らず、統合によってどちらかの病院がなくなることに非常に抵抗がありました。当時の2病院の病院長が自ら市議会や市民集会で現状を説明し、病院の厳しい実態を伝えることで理解を得ようとしましたが、簡単ではなかったようです。全ての情報をオープンにして病院や医療の実態を伝え、両市関係者はもちろん、医師派遣大学、有識者などの委員により構成された協議会を設置し、統合の是非について協議が行われました。開院までは協議から2年、そこから2013年の新病院の開院まで4年と計6年かかりました。

——両市による病院企業団が管理・運営している?

宮地 そうです。病院企業団は地方自治法上の特別地方公共団体という位置付けで、地方公営企業法を全て適用した組織です。トップの企業長を私が担い、議会構成は両市から市議が5人ずつの計10人が当院に来ていただいて議会を開いています。

——就任のいきさつは?

宮地 初代の企業長兼院長は掛川市立総合病院の院長を務めた名倉英一先生(名古屋大学医学部卒)です。任期満了に伴い17年3月末に退任しました。前年の秋、名古屋大学医学部附属病院の病院長に両市から適任者を招聘したいとの打診がありました。病院長は私の同級生で、彼から誘われました。私は当時、愛知医科大学の特任教授で、私の後輩が教授になって間もない時期だったので、最初は断りました。後輩の彼から最初は慰留されましたが、後にその彼が私にとっては大変いい話だと、心配する私の背中を押してくれました。また「是非来てくれ」との要請もあり行くことに決めました。私が、当院に医師を派遣している名古屋大学第一外科の出身であること、愛知医科大からはいずれ離れるだろうということが誘いの理由だったのではないかと思います。

——こちらの地方には縁があったのですか。

宮地 いいえ。静岡県内で働いたこともありませんでしたし、この病院についても知りませんでした。逆に言えば、掛川市と袋井市の両者で対立があったとしても、私は中立的な立場で間に入れるという利点があります。

——管理職としての経験はありましたか。

宮地 院長や副院長を務めた経験はありません。ただ、愛知医科大学で新病院の病棟運営に関する委員会の委員長を経験したことが役に立っています。新病院はうまくいかないことがたくさんあり、私は委員長として問題点を見つけたり、原因を探って解決に向けて対応したりしていました。病棟に限らず全病院に関わることをさせていただき、その時のノウハウが当院で生きているのかなと思っています。愛知医科大学の委員会では、私が意見を言っても上が認めてくれませんでしたが、ここではやろうと思ったことはできてしまいます。

ボトムアップ型リーダーシップが奏功

——初代の名倉先生はトップダウン型、宮地先生はボトムアップ型と言われているようですが。

宮地 赴任当初、病棟などを回っている時、私が「こうするといいよ」と言うと、職員は検討もせずにすぐ行動に移していました。前院長との違いはそこだと思います。私はアイデアを出すけれど、皆で話し合った上でより良くしてほしいと思っています。物事は練ってから案にすると、出すのが遅くなってしまうし、考え過ぎてしまうと無理かなと思って引いてしまうので、まず出してみる。それで皆の反応を見て、皆で協議する。その中で「できない」という発言はせず、対案を出してほしいと言っています。会議は報告から質疑する場、話し合いの場にしています。

——具体的なコミュニケーションは?

宮地 職員の大半は旧2病院から移って来た人達なので、最初は摩擦もあったようです。そこで年2〜3回、各科のドクターや看護師、コメディカルへのヒアリングを行っています。話のある人は私の日程表の空いている時間にアポを入れてもらい面談に来てもらっています。また、職員間で揉めている案件では間に人を入れると話が複雑になるので、当事者同士で話し合ってもらっています。話し合いができると譲り合い、サポートし合う機運が高まってきます。今では院内の風通しも良くなっています。

——中東遠総合医療センターの特徴は?

宮地 病床数は500床ですが、700〜800床クラスの高度医療を支える最新鋭機器がそろっています。全身のがんを検査できるPET/CT、外科医にとって大切な手術支援ロボット「ダ・ヴィンチ」、放射線治療装置「リニアック」、3Dの血管造影装置などです。維持するためのコストがかかりますが、良い病院を作ろうとして、こうした機器を入れています。ただ、医師がまだ足りないこともあり、十分使い切れていません。これらの機器を使い切れるようになったら、もっと素晴らしい病院になると思います。

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