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ハンセン病裁判控訴断念で首相談話と政府声明にねじれ

ハンセン病裁判控訴断念で首相談話と政府声明にねじれ
「心からのお詫び」の一方で、熊本地裁判決を強く批判

元ハンセン病患者の家族への国の責任を認めた熊本地裁判決に対し、政府は安倍晋三首相の強い意向で控訴を断念した。首相は国と被害者の協議の場を設け、早ければ秋の臨時国会で被害者救済の立法措置を講じると表明した。

 しかし、法務省とともに控訴の準備を進めてきた厚生労働省は困惑を隠せずにいる。「家族」や補償の範囲をどこまで認めるのか、他の訴訟への影響など詰めるべき内容が山積しているからだ。

 「法的に受け入れ難い点があるのはその通りです。しかし、厳しい偏見や差別を受けてきた家族のご苦労をこれ以上長引かせるわけにはいかない。これは政治判断です」

 7月9日朝、安倍首相は官邸の執務室に根本匠・厚労相、山下貴司・法相らを呼び、「控訴断念」の意向を伝えた。両大臣は「高裁の判断を仰ぐべきです」と翻意するよう訴えたものの、首相は「政治判断」で押し切った。

 そして、7月24日には首相官邸で福岡市在住の原告団長、林力さん(94歳)ら原告団と面会。「本当に長い間、大切な人生において大変な苦痛と苦難を強いることとなってしまいました。内閣総理大臣として政府を代表して深くお詫びを申し上げます」と述べ、林団長らと握手を交わした。

 訴訟は、ハンセン病患者への誤った隔離政策で差別を受け、家族離散などを迫られたとして元患者の家族561人が国に損害賠償と謝罪を求めたものだ。熊本地裁は6月28日、国の責任を認め、2002年以降に被害が明らかになった20人を除く541人に対し、総額3億7675万円を支払うよう命じた。

 01年には元患者らへの国家賠償を命じる判決が確定、政府も受け入れて謝罪をしており、02年以降、国に責任はないというのが年限を区切った理由だ。

 国の責任を広くとらえた熊本地裁判決が確定すると、係争中の他の裁判へ影響する——厚労省や法務省はそう懸念し、控訴に傾いていた。国が差別をなくす義務を怠っていたことは違法と断じた判決には、抵抗感を持つ官僚も多かった。

官房副長官時に見た小泉首相の決断

 官僚が最も拒絶していた判決内容は、時効に関する部分だ。民法は損害賠償請求権の時効を、当時者が損害と加害者を認識した時点から3年以内と定めている。熊本地裁判決はその起点を15年9月とした。これは別の元患者の家族が原告となった鳥取地裁判決のあった時期。「鳥取地裁判決の後、弁護士の指摘で原告らは国の不法行為を初めて認識した」というのが熊本地裁判決のポイント。

 しかし、官側は「判決後、弁護士の指摘で初めて時効の進行が始まるという判決を受け入れるなら、時効の消滅が意味をなさなくなる」と強く反発していた。

 首相が「受け入れがたい」と指摘した点は、まさにこの部分だ。にもかかわらず、首相が控訴断念を決断したのは、小泉純一郎政権を官房副長官として内部から見てきたことが大きい。01年5月のハンセン病元患者による国賠訴訟で国に賠償を命じた熊本地裁判決。政府内は大勢が控訴に傾いていたにもかかわらず、小泉首相(当時)は判決を受け入れ、世間から喝采を浴びた。厚労省幹部は「当時の世論の動きを最も知る政治家の一人が安倍さんだ」と言う。

 こうした中、原告団と親交がある衛藤晟一・首相補佐官は7月1日、首相に「政府にとって悪い話ばかりではないですよ」と控訴を断念するよう直談判。翌日、衛藤氏は首相の取り計らいで官僚トップの杉田和博・官房副長官と会った際も強く控訴断念を迫った。杉田氏は「控訴した上で救済策を」と最後まで抵抗したが、既にこの時点で首相の腹は固まっていたようだ。3日、日本記者クラブ主催の党首討論会で、社民党の吉川元・幹事長から控訴断念を求められた首相は、「本当に責任を感じなければならないと思っている。どういう対応をとっていくか真剣に検討して判断したい」と、踏み込んだ発言をしていた。

 結局、政府は12日に公表した首相談話で、家族への差別を「厳然たる事実」と認め、「心からお詫び申し上げる」との謝罪を盛り込んだ。ただその一方で、時効の起算点などを巡って判決を強く批判する政府声明も同時に出した。

 首相談話と政府声明は、明らかにねじれている。それでも、林原告団長は国が家族への差別があったことを認めた点について「予想以上の判決」と評価し、差別解消に向け「政府には啓発活動に力を入れてほしい」と訴えた。野党も「選挙目当てだ」(又市征治・社民党首)と文句は付けながらも、概ね評価せざるを得なかった。

 今後、焦点は被害救済制度の設計に移る。だが、控訴断念が参院選の期間と重なったこともあり、政府側の動きはまだ鈍い。

 熊本地裁判決が賠償を認めた541人の大半は、元患者の子や兄弟姉妹。中でも子の被害を重視し、弁護士費用を除いて1人当たり33万〜143万円を賠償するよう命じている。一方、おい、めい、孫については「本人が患者家族と認識していれば、差別被害を受ける立場にあった」としつつ、親子や配偶者らとは差を付けた。

家族や補償の範囲で頭抱える厚労省

 首相談話は補償の対象について「訴訟への参加・不参加は問わない」としている。厚労省によると、ハンセン病療養所に入所している元患者は1215人。それでも配偶者や兄弟が何人いるかは調べていない。原告団は患者が隔離される前に同居していた親族を含め、補償額を一律とすることを「譲れない一線」と主張している。また、原告団のうち請求が棄却された20人も救済対象と受け止めている。だが、厚労省幹部は「どこまでを『家族』とみなすかもはっきりせず、救済対象者の数すら分かっていない。本当に真っ白だ」と頭を抱える。

 元患者の家族を救済対象とする理由について、根本厚労相は「誤った立法で人権制約をしたため」と説明し、ハンセン病は特殊だと強調している。しかし、家族の被害はつい最近も、旧優生保護法の訴訟で問題化したばかり。今年5月、仙台地裁は旧法を違法だと指摘しつつ、被害者への賠償は認めなかったが、当事者だけでなく家族らも被害を訴えている。旧法の下、国に不妊手術を強いられた被害者の配偶者らは「被害の構図はハンセン病と同じ」と受け止めている。

 7月18日午前。官邸で「国の利害に関係のある争訟等への対応に関する関係府省庁連絡会議」が開かれた。杉田官房副長官は「ハンセン病」に一切触れないまま、「近年、国益に重大な影響を及ぼす法的な問題が相次いで発生している」と述べ、国が被告となる訴訟を避けるよう呼び掛けた。

 

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