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〝五輪開催の是非〟に触れなかった専門家「提言」の舞台裏

〝五輪開催の是非〟に触れなかった専門家「提言」の舞台裏
政治に翻弄されて公表時期・内容は政府に「忖度」

政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長ら専門家有志が6月18日に公表した提言は、東京五輪・パラリンピック開催の在り方に少なからず影響を与えた。提言は「無観客開催は会場内の感染拡大リスクが最も低く望ましい」と強調し、政府と大会組織委員会は4度目の緊急事態宣言に伴い、首都圏を無観客とすることを決めたからだ。

事実上「有観客」を認めた提言

 ただ、4月から提言を練っていた専門家達だが、内容も公表時期も当初思い描いていた通りには進まなかった。それは政治の影響を受けたためだが、翻弄されながらも提出までに至った紆余曲折ぶりを振り返りたい。

 提言をまとめたのは、厚生労働省に感染症対策をアドバイスする専門家組織である「アドバイザリーボード」や政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会に所属する医療や感染症、公衆衛生の専門家だ。中でも中心的な役割を果たしたのは、尾身氏の他、脇田隆字・国立感染症研究所長や押谷仁・東北大大学院教授、西浦博・京都大大学院教授、岡部信彦・川崎市健康安全研究所長、武藤香織・東京大大学院教授、釜萢敏・日本医師会常任理事、舘田一博・前日本感染症学会理事長らだ。

 専門家達は4月頃から自主的な勉強会を東京都内で月に数回のペースで重ねてきた。当初から西浦氏らは「東京五輪は開催すべきではない。これからインド株がまん延する可能性がある中、五輪を契機に日本中、世界中に感染爆発を引き起こす可能性が高い」等と主張。専門家の中にはこの意見に対して消極的な意見もあったものの、開催の是非をどう取り扱うかが当初の主要なテーマだった。

 しかし、最終的にまとまった提言には、開催の是非については触れられていない。観客の取り扱いは「無観客が望ましい」としつつも、観客を入れる場合には政府が作成している大規模イベントよりも厳しくし、観客は開催地の人に限るとした。開催の是非はおろか、事実上「有観客」を認めている事になる。

 こうなったのには理由がある。新型コロナの感染症対策を担う西村康稔・経済再生担当相が事前に提言について尾身氏とやり取りしていたからだ。尾身氏は5月頃の提言公表前から西村氏に対して提言内容を説明しており、その過程で提言の内容は次第に変遷していった。ある大手紙記者は「当初は五輪開催が最大のリスクだ、というトーンで提言をまとめようという動きもあった。しかし、尾身氏が西村大臣と交渉する中で、開催の是非に踏み込まない方向になっていった」と明かす。

 また、ある省庁の幹部は「西村大臣は中止に踏み込もうとしかねない尾身氏に手を焼いていた」と証言する。政府が専門家の提言内容に難渋した様子が浮かび上がる。

 一方で、こうした政府側の「抵抗感」が専門家側に伝わっており、専門家も対応に苦慮していた。事情を知る関係者は「政府側も開催ありきで突っ走っており、中止を提言して顧みられなかったら専門家のメンツは丸つぶれになる。中止となれば巨額の賠償も発生しかねず、世論の反発も確実に沸き起こるといった考えも彼らの頭の中をよぎっていたはずだ」と指摘する。

 こうした状況に政府側が更にたたみかける。公表時期についても西村大臣が尾身氏に「6月16日の通常国会が終わるまで待ってほしい」と懇願してきたのだ。国会会期中に提言を公表すれば、野党の攻撃材料として使われかねず、専門家としても本意ではない。公表時期は国会の閉会を待って6月18日になったものの、「もっと早い段階での公表を考えていた」(専門家の1人)のが実情で、大幅にずれ込んだ形になった。このような経緯については西浦氏が『週刊文春』で暴露している通りだ。

 尾身氏はこうした事情を飲み込み、6月初旬に「個人」として国会で立て続けに発信を続けた。例えば、6月2日には衆院厚生労働委員会で、「今のパンデミックの状況で(五輪を)やるのは普通はない。そういう状況でやるなら、開催の規模を出来るだけ小さくして、管理の体制を出来るだけ強化するのは主催する人の義務だ」と踏み込んだ。いわば、封印された提言を先取りしたような発信をし、多くの専門家の「思い」を代弁した形を取ったのだ。

 しかし、そうこうするうちに、6月11〜13日にイギリスのコーンウォールで開催された主要7カ国首脳会議(G7サミット)で菅義偉首相が五輪開催を表明し、五輪開催は「国際公約」となってしまった。尾身氏は6月18日に提言を公表した際の記者会見で、なぜ開催の是非に踏み込まなかったのかを問われ、「当初は、そもそもオリンピックを開催すべきかどうかという事や開催の方法も含めて議論した」と明かしたが、「菅首相が国際的な場で開催を表明し開催の是非を検討する事は実際的にほとんど意味がなくなった」と説明している。

 つまり、提言は外形的に「外堀」を埋められた形で公表された経緯がある。そうした中で提言公表に漕ぎ着け、「無観客開催」まで踏み込めたのは、専門家の訴えが結実した結果と捉える事も出来なくもない。ただ、専門家の1人は「そもそも尾身さんは中止に踏み込むつもりはなかったのではないか。初めから無観客が落としどころだったんだろう」と推察する。

政府と尾身氏が「握った」内容か

 一方で、政権側の事情を知る政府関係者は「政府としては五輪開催は至上命題だが、観客を入れるかどうかには政権内でも意見が割れていた。専門家から開催中止という提言が出て来なければ、無観客等の表現内容は許容範囲だったのでは。観客をどうしても入れようとする『外圧』にうんざりする声もあったのは事実だ」と明かし、無観客を求める提言の内容が政府と尾身氏が「握った」上で提出されたものだとの認識を示す。

 提言の内容にインターネットでは、「ゆるゆるの提言だ。(尾身氏は)政府の忠犬ではなく国民の命を守る目線で戦ってほしいと思っていたが、期待外れの連続だ」「いつまで同じ事を言っているのか。どこにエビデンスがあるのか」「俺でも書けそうな提言だ」等の批判も上がる一方、「結論は妥当だ。サイエンティストでなければ見えない領域がある」等の擁護する意見も散見された。ただ、総じて国民に自粛一辺倒を求める専門家への不信感も相まって、世論の支持は大きく広がっていない。

 提言がこれまで顧みられなかった五輪の感染リスクの在り方に一石を投じた事は間違いない。ただ、内容面でも時期についても政府側に「忖度」した事は否めない。提言内容は大きなインパクトは残せなかった。今の世間における専門家の立場を象徴する出来事だったかもしれない。

 厚労省幹部の1人はつぶやく。「提言を出すなら、もっと早い時期に出して関係者を巻き込んで議論、検討が出来れば良かったが、ずるずるいってしまった。専門家の限界が見えてしまった感じで残念でならない」

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