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未来の会

前途多難な「高額療養費制度」の見直し

前途多難な「高額療養費制度」の見直し
野党・患者団体・日本医師会の調整で迷走か

政府が患者負担の上限額の引き上げを一旦発表した後、患者団体等の反発で仕切り直しとなった「高額療養費制度」の見直し問題。政府は今秋を目処に再度方針を決める予定だ。しかし、野党からは社会保険料の引き下げを求める声が挙がる一方で、医療従事者の賃上げ等、国民の負担増に直結する課題も山積している。少数与党政権下、国民の痛みを伴う改革には踏み込めず、議論が停滞する可能性が出ている。

 神奈川県に住む20代後半の公務職の女性は2021年以降、乳がんの切除手術を2度受け、今も治療に通いながら月に10万円程度する薬を服用している。高額療養費のお陰で薬代を含む毎月の自己負担額は4万4400円に抑えられている。それでも決して負担は軽くは無く、より家賃の安い賃貸住宅に転居せざるを得なかった。この女性は、「一人暮らしで、色々切り詰めても限度が有ります。今の治療費でもギリギリ生活出来るレベルなのに、これ以上負担が増えるならとても暮らしていけません」と訴える。

 高額療養費制度は医療費の窓口負担が高くなり過ぎるのを防ぐ仕組み。年収に応じて月毎の自己負担に上限を設けている。この女性の年収は約450万円。70歳未満でこの水準の年収なら月の医療費が100万円だったとしても、3割負担の30万円ではなく通常は8万円強で済む。女性の負担額が更に低い4万4400円に抑えられているのは、12カ月以内に3回上限額に達した場合、4回目以降の限度額が下がる「多数回該当」という仕組みが有る為だ。

 只、近年は超高額薬剤の保険適用が続いている。脊髄性筋萎縮症の点滴薬「ゾルゲンスマ」は1億6708万円、白血病等に用いられる「キムリア」は3350万円だ。又、患者数が桁違いに多い認知症では、アルツハイマー病の進行を抑える薬が相次いで開発され保険を使える様になった。健康保険組合連合会によると、23年度に1カ月の医療費が1000万円以上だった診療報酬明細書は2156件。13年度の6・4倍に膨らんだ。上位100件の内74件は悪性腫瘍(がん)、14件は先天性疾患となっている。こうした高額薬剤の登場によって医療保険財政が圧迫され、日本の医療が立ち行かなくなる可能性が指摘される様になってきている。更に先の岸田文雄内閣は23年末、「国民の負担増無く」少子化対策を実施する「こども未来戦略」を閣議決定した。所要財源は3・6兆円。社会保険料の軽減によってその一部、1兆円を捻出する事とし、その結果、法律でなく政令の改正で負担の上限額を変更出来る高額療養費がターゲットにされた経緯が有る。

見直しスタート時から批判が噴出

 岸田政権を継いだ石破茂政権は24年11月に社会保障審議会等で高額療養費の見直しに着手し、厚生労働省は約1カ月で案を示した。現在の年収毎の上限額を25年8月に2・7〜15%引き上げる他、26年8月、27年8月と2年続けて年収の区分を細分化し、段階的に、より多くの人の負担をアップさせる内容だった。これには患者団体等から「当事者の声を聞かずに決めた」との批判が沸き起こり、野党からも「負担を避ける為に受診を躊躇う人が出てくる」等の指摘が続出した。政府は今年2月、「多数回該当」の上限額据え置きを表明したものの沈静化せず、石破首相は見直し案の凍結と秋迄に再検討する考えを表明せざるを得ない事態に追い込まれた。

 首相の方針を受け、厚労省は5月26日、社会保障審議会医療保険部会の下に患者団体の代表も委員に名を連ねる「高額療養費制度の在り方に関する専門委員会」を設置し、関係者からのヒアリングを重ねている。患者団体側が「他の手段による医療費節減を優先すべきだ」と訴えているのに対し、一部委員からは「上限額の一定の引き上げはやむを得ない」との意見も出されている。厚労省幹部は「仮に上限額を引き上げるにしても、昨年示した案の様な大幅なアップはとても出来ない」と漏らしているが、8月末時点で決着の行方は見えていない。

患者団体も問題点を追及

同省のヒアリングに対し、患者団体枠の委員に就任した天野慎介全国がん患者団体連合会理事長は、医療費抑制に向けた代替策の検討と共に患者の生活実態を踏まえた上限額の設定を求め、大黒宏司日本難病・疾病団体協議会代表理事は高額療養費が「人生で最も厳しい時期に必要となる」事や、難病患者の多くは医療保険料を払っている点に留意する様訴えている。又、天野氏や参考人として臨席した患者団体代表等は多数回該当に焦点を当て、上限額が引き上げられれば、今迄多数回該当によって自己負担を抑えられていた人の多くが多数回該当の対象から外れて自己負担が大きく膨らむ可能性を指摘。これに加え、転職等で加入する医療保険が変わると多数回該当の履歴がリセットされてしまう問題点も追及した。

 以前の高額療養費は一旦自己負担分の全額を医療機関の窓口で支払い、後に限度額を超えた分が還付される仕組みだった。だが、「戻って来るとは言え、立て替えでも全額を負担するのは厳しい」との声を踏まえ、医療機関に最初から上限額分を払えば済む様に変わってきている。負担感は軽くなった半面、自分の治療にどの位医療費が掛かっているか把握し難い仕組みに変わった格好だ。専門委では高額薬を服用せずに捨てている患者の事例等が取り上げられ、「高額療養費の恩恵をどれだけ受けているか、個人に周知する必要がある」といった意見も出された。

 この他にもこれ迄のヒアリングでは、「月額数百円の保険料の減額と引き換えに、患者には月額数万円負担が増える可能性が有る。納得のいく説明が必要だ」といった声や、「治る傷病で医療費が高額になるケースと、生涯付き合わなければならない傷病で医療費が高額になるケース、両者を同じ多数回該当で一括りにしている制度には問題が有る事が明確になった」との指摘が出されている。3回目となった8月28日の会合でも、有識者から自己負担を一律に引き上げる事への懸念が示された。

「破滅的医療支出」に達する懸念

 高額療養費は日本の公的医療保険の重要なセーフティーネットとされている。世界保健機関(WHO)は、住居費用や光熱費、食費等を差し引いた家計所得の内、医療関連の支払いが40%を超えるケースを「破滅的医療支出」と定義しており、日本の他、米国を除く独、仏、英、加等の先進国は何れも自己負担額を低く抑える仕組みを設けている。だが、3月に凍結された案を日本で完全実施すれば、ほぼ全ての年収区分に於いて「破滅的医療支出」の域に達してしまう、との指摘も示されている。

 先の参院選で大きく議席を伸ばした国民民主党は「手取りを増やす」事に懸命で、「現役世代の負担軽減」を迫る日本維新の会は社会保険料の引き下げを求めている。政府は維新の主張する「OTC類似薬」の保険適用見直しによる保険料の負担軽減は視野に入れているが、一方で経営難の病院が続出している問題や医療従事者の賃上げといった喫緊の課題への対応に診療報酬を充てるなら保険料負担が増える要素となる。少数与党政権下、保険料アップに対する野党の反発は必至だ。片や自民党を支持する日本医師会は医療機関の経営に影響を与える観点から、OTC類似薬の保険外し等に強く反対している。

 超党派の議連「高額療養費制度と社会保障を考える議員連盟」会長の武見敬三前厚労相(自民)が夏の参院選で落選し、制度見直しを巡る与野党の協調は揺らいでいる。野党の分断も進み、単純な「自民・公明VS非自民」の構図にならない中、与党のスタンスは極めて悩ましい。迷走した揚げ句、議論がストップして結局財源を生み出せず、医療従事者等の待遇改善は棚上げされ、医療機関は閉鎖が相次ぐ等、患者にもマイナスになる事態に陥る可能性も有る。 厚労省幹部は「高額療養費は重い病というリスクに備えるもので、重症者の負担だけを重くする議論はバランスを欠いていた。軽症者の負担見直しも含め総合的に手を着ける必要が有る」と話すのだが……。

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