
『Newsweek』誌の「World's Best Hospitals」で、5年連続で国内ランキングの首位に立つ東京大学医学部附属病院。大学病院の雄として、社会からの期待値も高い。がんゲノム医療や臓器移植、ロボット支援手術等の最先端医療を始め、東大工学部との共同研究による新規医療技術の開発等、移り変わる社会のニーズに応える為、常に新しい医療を切り拓いている。日本の医療をリードする東大病院の取り組みについて、田中栄病院長に話を伺った。
——貴病院の理念と大学病院の社会的役割について、見解をお聞かせ下さい。
田中 当院では、「臨床医学の発展と医療人の育成に努め、個々の患者に最適な医療を提供する」を理念に掲げています。「臨床医学の発展」に研究は欠かせません。「医療人の育成」とは、つまり教育です。研修医、若手医師には様々な教育の機会が有りますが、学生の教育は大学でしか行えません。特に医学部の6年間は、医師としての意識の形成に関わる重要な時期でもありますので、専門的な知識だけでなく、医療者としての倫理観を養う事も重視しています。「最適な医療を届ける」為には、先端的な医療のみならず、個々の患者さんの病状やニーズに応じた治療が必要です。そうした医療を提供していく事が当院の目指すところであり、大学病院の社会的役割だと考え、「患者の意思を尊重する医療の実践」「安全な医療の提供」「先端的医療の開発」「優れた医療人の育成」「働きやすい職場環境の実現」の5つの目標に向かって邁進しています。
——2024年に「東大病院改革プラン」を策定されました。その進捗と成果はどの様なものですか。
田中 改革プランの中でも、当院の理念に沿った形で「診療」を軸としながら、その為の「研究・研修」と「教育」を3本柱として取り組んできました。診療に関しては、がんゲノム医療や臓器移植といった高度・先進医療の機能強化に注力し、ロボット支援手術も展開してきました。これらの取り組みの結果、24年度の手術件数は過去最多となりました。研究については、臨床研究中核病院として、医師主導治験に従事する研究者への財政支援を行い、企業治験の活性化に向けたタスクフォースを設置する等、臨床研究の活性化に努めてきた他、競争的資金を獲得し、革新的な医療技術の開発や、世界に貢献出来る研究成果の創出に注力してきました。教育・研修に関しては、看護師のキャリアアップ支援に力を入れ、看護師特定行為研修では12名を認定し、麻酔科医との協働による専門的な実践が進んでいます。臨床検査技師や他の職種に対する研修も強化し、資格取得支援制度を拡充しました。その他にも、eラーニングやオンデマンド教材の導入による効率化や、病院長と研修医の意見交換会を開催して研修環境の改善も図ってきました。
高度医療の提供には収益性の点で課題も
——がんゲノム医療、臓器移植、ロボット支援手術等の最先端技術の状況と、今後の展望をお聞かせ下さい。
田中 最先端医療が当院に期待される中で、特に研究的側面を持つ医療として積極的に取り組んでいる領域の1つが、がんゲノム医療です。東京大学が開発したがん遺伝子パネル検査は、従来の検査と比べて対象遺伝子の数が多く、より詳細な検査結果が得られる様になっています。23年には一部が保険適用となり、適切な化学療法の選択に繋がる症例数が増加しています。肺移植や心臓移植は国内で群を抜いた件数を誇っていますし、ロボット支援手術は食道がんや大腸がん、泌尿器がん、婦人科の良性腫瘍、人工関節置換術等で導入が進んでいます。なるべく保険適用で実施しますが、適用外の場合は高難度新規医療技術として研究の一環で行うケースも有ります。今後は更に多くの領域でロボット支援手術の活用が進むでしょう。
——他国に比べて日本の移植技術は優れている?
田中 比較すると、日本は圧倒的に成績が優れていますね。診療科によっては、海外からの移植希望の患者さんも受け入れています。厚生労働省が積極的に働き掛け、最近は運転免許証でも臓器提供の意思を示す事が出来ます。又、移植で人生を取り戻した方々の経験が発信される様になり、臓器提供者が増えつつあります。これは良い傾向だと思います。
——病院運営や高度医療を提供する上での課題について、ご意見をお聞かせ下さい。
田中 高度医療は、医療の質や先進性を追求する一方で、経済的な効率とは必ずしも一致しない場合が有ります。その様なジレンマは多くの病院が共有していると思います。特に大学病院に紹介される患者さんは合併症が多く、平均年齢も80歳以上と高齢です。その為、手術が成功しても術後のリハビリに時間が掛かったり、心機能が低下したりといった問題が生じ易い。つまり、大学病院は他の施設と同じ手術を行っても、収益性が低い傾向にあるのです。こうした大学病院の危機的状況について理解して頂きたいと思います。
——点数が低いのが問題なのでしょうか。
田中 点数は多少加味されますが、例えばロボット手術に使用するアームといった器具はとても高価な上に、使い捨てのものが沢山有ります。トータルとしてのコストが高くなる為、加算だけでは追い付かないのが実情です。国民皆保険の日本は、米国等と比べると医療費は安価です。それは患者さんにとっては良い事ですが、診療報酬は2年間据え置きです。当然その間にも物価は上昇し、手術に使う材料のコストも上がるので、病院にとっては厳しい状況です。
——補助金が削減されている影響は有りますか?
田中 国からの運営交付金等の補助金は見直しが進められている一方で、科研費については個々の医師の不断の努力により、一定の水準が維持されています。高度な研究には相応の資金が必要であり、研究費の確保は今後も重要な取り組みの1つと考えます。
医療の高度化に伴い診療科間の連携が重要に
——24年2月に「臨床腫瘍科」が設置されました。
田中 臨床腫瘍科は、消化器がんを中心とする固形がん全般に対して、薬物療法を軸に総合的ながん診療を行う診療科です。薬物療法は、近年では化学療法や免疫チェック阻害薬等、従来の抗がん剤とは異なる新しい機序を持つ治療薬が沢山誕生しています。それら薬剤の使用の順序や組み合わせも様々で、それぞれの診療科が単独で治療する事が難しい時代になってきました。そこで、がん薬物療法のスペシャリストが治療を一手に引き受け、安全性の高い治療を提供しようという発想から、当診療科を設置しました。
——どの様な診療体制なのでしょうか。
田中 現状は臨床腫瘍科の専任医師は多くありませんが、ワンフロアを化学療法と薬物療法の為のスペースとして確保しています。そこには胃・食道外科、呼吸器内科、消化器内科、大腸・肛門外科、泌尿器科の5つの診療科から臨床腫瘍科を兼務する医師が加わり、互いにディスカッションを重ねながら治療を進めています。単独の診療科でも治療は可能ですが、医療が複雑化・高度化するに伴い、診療科間の連携が益々重要になっています。私が専門とする整形外科の例を挙げれば、現在では一般外科や泌尿器科、形成外科など多診療科で協働して手術を行うケースが増えています。臨床腫瘍科の設置によって診療科間の連携が進み、がん薬物療法に於いてもより専門性の高い治療が可能になり、今後は当院の目玉の1つになっていくと考えています。
LEAVE A REPLY