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第17回「精神医療ダークサイド」最新事情 自殺に「意志的な死」は稀

第17回「精神医療ダークサイド」最新事情 自殺に「意志的な死」は稀

「自死」の多用は原因隠す

 今年5月、筆者が長野県松本市で行った精神医療関連の講演後、福祉施設の職員からこんな指摘があった。「自殺のお話の部分でひとつ気になりました。自殺はすべて自死と言い換えた方がよいのではないでしょうか」。

 コロナ禍で幕を開けた2020年代、日本では若者や女性の自殺が目立っている。著名人の相次ぐ自殺も社会に衝撃を与えている。そのため筆者は、松本でも自殺問題に触れたのだが、自死という︎言葉は使わなかった。

 明らかに非業の死であり、「やってはいけない」というニュアンスが強い「自殺」と、覚悟の死や美学としての死までもイメージさせる「自死」は、使い分けが必要だと考えているためだ。

 筆者の考えとは少し異なるかもしれないが、全国自死遺族総合支援センターなどが作成した表記ガイドラインでも、遺族に関しては「自死」を使うが、追い込まれた末に死に至る行為に関しては「自殺」を使うべきだとしている。

 日本で自殺問題が政治的な関心事となったのは、1998年に年間自殺者数が急増し、3万人を超えたことによる。だが、それ以前から日本人の自殺率は高かった。なぜなのか。

 従来、日本人の自殺の多くは、本人の「意志」や「理性」に基づく死だと専門家も考えていた。そのため「結局は自分が決めたこと」と思われがちだった。まさに「自死」である。日本自殺予防学会理事長で精神科医の張賢徳さんは「キリスト教などの宗教は自殺を戒めているが、切腹文化があった日本は自殺に寛容な面がある。そのような背景が自殺の多さに関係している可能性はある」とみる。︎しかし張さんは、それだけで日本人の自殺を説明できるとは思えなかった。

 そこで90年代、東京で自殺の心理学的剖検調査(遺族らに面会して自殺原因を探る調査)を行った。その結果、「意志的」「理性的」とみられる自殺はごく少数で、欧米の調査結果と同様に、自殺の9割に精神疾患が強く影響していたことが分かった。

 人は誰でも死にたくなる時がある。自殺に寛容な社会では、その頻度はより高くなりがちだ。だが踏みとどまる。それは家族のためかもしれないし、単に痛いのが嫌なためなのかもしれない。

 そうした心理的な抵抗力が自殺の歯止めとなるが、うつ病を中心とした精神疾患がそれを無効にする恐れがあることが、その後の国内調査でも示された。過酷な環境下で発症した精神疾患が、不十分なケアのため治らぬまま死神化すると、極端な視野狭窄や衝動性の高まりが生じて自殺させられてしまうのだ。

 筆者の周囲にも、自殺未遂経験者が複数いる。ホームに侵入してくる電車に身を投げたものの、勢いがつき過ぎて隣の線︎ 路まで飛び、命拾いした女性もいる。精神疾患が落ち着いた今、国家資格の勉強で頑張る彼女の姿を見ると、自殺行為は死神の悪戯だったとしか思えない。

 現在の精神医療では自殺衝動を封じ切ることはできない。不適切な投薬がかえって衝動性を高めることもある。自殺を防ぐには、生活環境の改善や周囲のサポートが欠かせず、魔が差した瞬間の衝動的行為を防ぐホームドアの普及なども必要だ。

 そして何より、精神疾患の効果的な予防や悪化を防ぐ取り組みが欠かせない。もちろんそれは、精神科への丸投げだけで済ませてはならない。

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