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高齢者ワクチン接種「7月末完了」に潜む首相の思惑

高齢者ワクチン接種「7月末完了」に潜む首相の思惑

五輪成功で衆院解散・勝利、自民総裁再選のシナリオ

1日100万回打ち、7月末までに完了——。菅義偉首相が号令をかけた新型コロナウイスルワクチンの高齢者への接種目標に、多くの自治体は困惑の色を隠せない。「100万回」は自治体の能力を積み上げた数字ではなく、根拠がないからだ。

 しかし、ワクチンの普及を9月末の自民党総裁選での再選戦略に組み込む首相は、なりふり構わず突き進んでいる。

 5月24日、東京と大阪に設置された自衛隊が運営する大規模接種センターで、高齢者向けの接種が始まった。この日、東京の会場、大手町の合同庁舎に姿を見せた菅首相は、自衛隊の医官や看護官を「自衛隊は最後の砦として国民から期待されている」と激励した。この後、記者団に「ワクチン接種の加速化という未知の事に挑戦するが、なんとしてもやり遂げる」と述べ、「高齢者への接種を7月末までに完了する」という方針に不退転の決意を示した。

 首相は4月23日、ワクチン担当の河野太郎・行革担当相の反対を振り切り、「7月末完了」を宣言。東京等への緊急事態宣言の延長を決めた5月7日には、完了目標を「1日100万回の接種」によって達成するとぶち上げた。

 日本の高齢者は約3600万人。全員に2回打つには7200万回の接種を要する。「7月末」から逆算すれば、ざっくり1日100万回打たねばならない。発表直前に耳にした田村憲久・厚生労働相は「無理です」と伝え、河野氏も「インフルエンザの実績で1日60万回。10万回の上積みが限界です」と引き留めたが、首相は「やるんだ!」と言って押し切った。

 首相がワクチン普及の先に見据えるのが東京五輪・パラリンピックだ。五輪成功の余勢を駆って9月に衆院を解散し、勝利した上で自民党総裁選での再選を果たすシナリオと目されている。

  首相は周囲に「オレはワクチンに賭けた」と漏らしており、成否は政権の命運を左右する。首相周辺は「首相の頭の中はほとんどがワクチンで占められている」と話す。

 「7月末完了」を打ち出す直前の4月21日、首相は河野氏と武田良太・総務相を官邸に呼び、自治体の接種の加速化策を協議した。自治体に出向経験がある総務省の職員約60人それぞれに旧知の自治体幹部に働き掛けさせる事を決め、首相は「どんどんやらせろ」と発破を掛けた。

 また、加藤勝信・官房長官や河野氏は自民党の派閥に協力を打診、派閥を通じて国会議員に選挙区の接種状況や課題を探らせる異例の手段に出ている。

 しかし、唐突に「7月末」と聞かされ、戸惑う自治体は少なくない。4月下旬時点で「7月末完了可能」と回答したのは全1741市区町村のうち、約1000市区町村だった。

 東日本のある市では、2回目の接種を9月に行うとして予約の受付を始めた矢先、総務省幹部から「7月末完了でお願いしたい」と電話があった。担当者は「医師への接種も終わっていません」と抵抗したものの、交付税を握る同省に逆らうのは難しく、受け入れざるを得なかった。こうした圧力に「7月末」を了承した自治体は5月12日に全体の85・6%に増え、21日には92・8%に達した。

「調整中」の自治体も「完了」扱い

 ただし、数字にはからくりがある。同省は7月末完了で調整中の自治体も「完了」扱いとし、「完了」の定義も自治体任せにしている。5月12日時点で全国最低の56%だった秋田県の佐竹敬久知事は「総理の顔を立てろという事だ」と不満を募らせ、千葉県の熊谷俊人知事は「市区町村の『頑張ります宣言』だ」と皮肉った。

 5月末現在、1日の接種数は50万回程度にとどまっており、100万回の達成には遠く及ばない。首相は27日にも武田総務相を呼び、「更に自治体に加速させろ」とねじを巻いた。ただ、それにはまず自治体が不安視するワクチンの打ち手を確保する必要がある。

 既に政府は約70万人とみられる「潜在看護師」に、接種に従事してもらう方針を打ち出している。結婚等で退職し復帰していない看護師免許を持つ人達だ。研修後にワクチンを打てば3万円を支給する仕組みを整えた。

 歯科医についても規制を緩和し、協力を得ている。また、5月25日には救急救命士のうち、現場に出ない消防職員(約1万2000人)や、臨床検査技師(約20万人)も打ち手に回ってもらう方針を公表した。

 河野氏は薬剤師(約30万人)も巻き込めないか検討している。厚労省は「医師法上難しい」と消極的で、5月24日に首相を訪ねた日本薬剤師会の山本信夫会長も「越えなければいけない壁がある。1つは法律の壁。もう1つはトレーニング」と語った。ただ、「研究なり準備だけはしておきたいと思っている」とも述べている。

 「通常診療に影響が出る」「まだワクチンを受けておらず、感染のリスクがある」等と接種への協力を渋る開業医もいる。信州地方のある村では、村長が地元医師会に相談したところ、ローテーションを組めるまでの協力は得られず、やむを得ず自分のつてで都市部から医師を派遣してもらう事にした。日本医師会の中川俊男会長は首相の要請を受け「全面的に協力する」と応じたとはいえ、まだ地方には十分浸透していない。

 これに対し、国は5月25日、診療所対策を軸とした支援策も明らかにした。今助成額は接種1回で2070円(休日等は4200円)となっているが、週に100回以上打ち、4週間以上続けるなら1回2000円増額する。週に150回以上なら3000円の加算が付く。一般的な開業医の場合、週に150回以上打てば、月に180万円の増収になるという。

「予診をする医師の確保が大変」

 市区町村からは「打ち手も課題だが、予診をする医師の確保が大変」との指摘も出ている。接種前には問診の上、過去のアレルギー症状等も確認し、接種可か不可かを判断する必要がある。数分で終わる接種よりも、予診に時間を要するのが実情だ。

 英国等では看護師や薬剤師らも「予診」に動員しているが、日本の法体系は予診を「医療行為」と定めており、医師でないと出来ない。加藤官房長官は5月25日、オンラインでの問診を「現行法上可能だ」と述べたものの、必要数を確保出来る見通しがついたわけではない。

 厚労省幹部は一連の対策について、「実際、やってみないと、どれだけの効果があるのかは分からない」と言う。それでも菅首相は「俺が指示すれば皆やる」と言って強気だという。

 厳密には接種を7月末に終える事は難しくとも、8〜9割の自治体は目標を達成する。そうなると各地でワクチン効果が出始め、五輪中止に傾く世論も和らいでくる——。首相はそうにらんでいるようだ。日々接種回数が積み上がるにつれ、一時失っていた自信を取り戻してきたという。

 ただ、東京や大阪等は緊急事態宣言の6月20日までの再延長を余儀なくされた。感染がなかなか下火にならない中、〝ワクチン一本足打法〟が万一こけたら、全ての予定が崩れる脆さはある。

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