持続性・安全性は 十分検証されなければならない
夏の終わりを迎えても、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による感染症(COVID-19)には収束への糸口が見つからない。感染拡大に歯止めがかからない中、集団免疫の切り札として、世界中で開発されているワクチンへの期待が殊更に高まっている。
しかし、ワクチン開発を巡っては、政治的にきな臭い思惑も働く中、科学的に道筋を追っていく必要がある。
ヒトに感染するコロナウイルスとしては、今回の新型は7種類目である。ありふれた風邪のコロナウイルスとして4種類が知られていたが、2002年にSARS(重症急性呼吸器症候群)、2012年にMERS(中東呼吸器症候群)の原因となったコロナウイルスが見つかっている。これらのコロナウイルスに対するワクチンはまだない。
人類がワクチンによって唯一根絶出来たウイルス感染症は、天然痘である。その大きな理由は、天然痘のウイルスがDNAウイルスである事だ。
DNAウイルスは遺伝情報として相補的な2本鎖構造のDNA(デオキシリボ核酸)を持ち、世代を超えても遺伝情報は安定的で変異しにくい。このため、特定のワクチンが効果を発揮しやすかった事が撲滅に繋がった。
変異起こしやすいRNAワクチン
一方、コロナウイルスやインフルエンザウイルスはRNAウイルスであり、遺伝情報として1本鎖構造のRNA(リボ核酸)のみを持つ。バックアップとなる対の鎖がないため、複製の際に遺伝情報の再現性が低くなり、変異に繋がりやすい。
インフルエンザウイルスは変異を起こしやすく、新型ウイルスが出現した場合は既存のワクチンや薬剤が効かず、パンデミックを招くリスクがある。
インフルエンザワクチンで終生免疫を獲得する事は出来ず、毎年流行の型を予測し、株を選んでワクチンを製造している。
ウイルス共通の部分に働き掛けるようなワクチンが出来れば備蓄も可能だが、そうしたワクチンの開発は難しい。
一方、RNAウイルスにも2通りあり、コロナウイルスはRNAウイルスの中では例外的に変異を起こしにくい。これは、ゲノムRNAを複製する酵素であるRNAポリメラーゼが校正機能を持つためで、仮に変異が起きてもそれを除去して正しく遺伝情報を複製する事が出来る。
日本でも最初にCOVID-19の治療薬として承認されたレムデシビルは、元々エボラ出血熱の薬として開発されており、エボラウイルスのRNAポリメラーゼの校正機能の阻害活性を持っている。この校正機能が失われれば、多くの変異が生じるようになり、それによって増殖出来ないウイルスにする事を狙ったものだ。
新型コロナウイルスについても、同様に校正機能を阻害していると見られている。
変異は比較的少ないとはいえ、コロナウイルスに対するワクチン開発には、いくつも難しい課題がある。SARSやMERSは、ワクチン開発の試みが実を結んでいない。動物実験で「抗体依存性感染増強(ADE)」という現象が確認されたためである。
ADEは、最初の感染によって出来たウイルスに対応した抗体(IgG)が、2回目の感染時に免疫細胞のウイルス感染を促進してしまい、逆に重症化するという現象である。
デング熱やネコのコロナウイルスでもこうした現象が見られており、ワクチン開発は中止された。ADEの詳細なメカニズムは不明だが、中途半端な量の抗体が誘導された場合に問題が生じるとみられている。
当然ながら、新型コロナウイルスのワクチン開発では、この現象をクリアする努力をしなくてはならない。
また、ウイルスが突然変異する可能性ももちろんあり得る。ただし、新型コロナウイルスが、致死率の高いSARSやMERSのような強毒型ウイルスとなるには、複数の変異が蓄積する必要があり、その確率は極めて低いと考えられている。
インフルエンザワクチンは、ウイルス表面の突起部分のヘマグルチニン(HA)というタンパク質に結合するが、この部分は変異が多いため、毎年株を選んでワクチンを製造する必要がある。
新型コロナウイルスワクチンの場合も、受容体との結合部位であるスパイク(S)タンパク質を抗原としたワクチンが主流となっている。
もし、Sタンパク質の変異が大きいとすれば、やはり毎年接種が必要なワクチンとなる可能性もある。
ワクチンを投与する際は、免疫原性を高めるアジュバントを共に投与するが、汎用されているのがアルミニウム塩を主とするアジュバント(アラム)だ。その安全性は認められているものの、抗体価を上げる効果については不十分な点がある。
本来であれば、ウイルスごとに適したアジュバントを開発すべきだが、そこは十分考慮されていないようだ。
時には急がば回れのペースダウンも
新型コロナウイルスのワクチンは、製薬会社や研究機関等により、世界中で優に100種類を超す研究開発が進められている。
厚生労働省の2020年度第2次補正予算では、コロナ対策に2719億円の予算が計上されており、検査体制の充実、感染拡大防止、ワクチン・治療薬の開発に当てられる。中でも、「ワクチン・治療薬の開発等」(600億円)、「ワクチンの早期実用化のための体制整備」(1455億円)と、ワクチン関係は突出して多い。
海外でワクチン開発に成功した場合、開発国が自国で優先的に使うと予想されるため、日本政府は海外で開発されたワクチンについても十分な量を確保するような道筋を付けている。
ワクチン開発には通常は10年近くかかるとされるが、世界中で喫緊の課題として取り組んだ結果、ヒトにおける安全性や有効性を調べる臨床研究、更には承認を目指した治験に入ったものもいくつかある。
一過的であれ、抗体が出来る事は間違いないだろうが、その持続性や安全性については、十分検証されるだろうか。
治療薬とは異なり、ワクチンは多くの健康な人が用いるもので、それが1年足らずで実用化の可能性があるとしたら、驚異的なスピードである。効果が不十分なワクチンでも無害であればまだしも、有害事象が生じるようなワクチンだったとなれば深刻である。拙速との誹りを免れられないだろう。
ワクチン開発は、国家の威信をかけた闘いでもあり、国内の政治も絡んでくる。とりわけ、延期された東京五輪を控えた日本の思惑は複雑だが、「科学」が軽んじられる事があっては決してならない。
時には、急がば回れのペースダウンも受け入れなくてはならないだろう。
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