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未来の会

第2回 私と医療 ゲスト 天野 篤

第2回 私と医療 ゲスト 天野 篤

ゲスト 天野 篤
順天堂大学医学部附属順天堂医院
心臓血管外科 教授

天野 篤(あまの・あつし)①生年月日:1955年10月18日 ②出身地:埼玉県 ③感動した本:点と線、砂の器、青が散る、言志四録 ④恩師:須磨久善先生(新東京病院時代に師事) ⑤好きな言葉:一視同仁、一途一心 ⑥幼少時代の夢:政治家 ⑦将来実現したいこと:アジアへの医療貢献 
——どのような幼年時代でしたか?

 1955年10月、東京北区の旧大蔵省病院で生まれました。実はこの病院には父方の叔父で東大医学部出の医者が勤務していて、後に院長にまでなったのですが、そのお陰で私達の家族はここが掛かりつけでした。当時の院長室には歴代院長が使用した聴診器や外科のメスなどが陳列されていて、子供ながらに興味津々で院長室を訪問した時には見入っていました。これが切っ掛けでしょうね。いつかは外科医になりたいと思うようになっていました。それから政治家志望でもありましたね。子供ながらに総理大臣は戦後の日本を高めていく牽引者のイメージがあり、人として輝くシンボルのような印象で憧れていました。

 好奇心旺盛な、色々な事に興味を持つ子供でしたね。小学校3年の時に母親が小学館の「世界原色百科事典」全8巻を買ってくれました。見聞した事や経験した事をこの事典で確かめるようになり、自然科学への研究心が芽生えたと思います。今、事実や出典を確認する習慣はこの時からですね。そんな時間が楽しかったので1人の時間が貴重でした。そんな子供でしたので友達付き合いはどちらかといえば、苦手な方でしたね(笑)。子供の教育方針は母親の全権でした。小学校時代はほとんど満点を取る優秀な子供でした。また、鼓笛隊に入っていましたが、先生から指揮者をやるように言われパレードの先頭で指揮棒を振って行進していました。今、振り返ると楽器を担当しておけば良かったと後悔しています。外科医になって楽器が弾けると息抜きが出来るなと思います。趣味の幅も広がりますしね。

 6年の時に塾に通い始め本格的に受験勉強を開始し、目標だった埼玉大学教育学部附属中学校に合格出来ました。中学時代は水泳部に入り一生懸命に泳いでいました。そして東大進学校としても有名な埼玉県立浦和高校にはすんなりと合格しました。通称、浦高は平成時代の東大累計合格者数で公立高校全国1位の名門校です。入学時には志を高く持ち東大を目指していたはずでしたが、青春時代を存分に謳歌した結果、成績は急降下(笑)。同時にこの頃の家庭内は父親の病気のことがあり私の教育どころではなく、放任主義になっていて、急降下に歯止めは掛からなかったようです。

——3浪の末に念願の医学部に

 しかし、私が医師になることは天野家の悲願でも有りました。両親や一族で大病を患った人がいたことや前述の父方の叔父一家が医者の一族でしたので、私には大きな期待が掛かっていました。高校2年の時に、父が弁膜症の心不全になり、自分自身でも相当に意識をするようになりました。当時、1県1医大構想が誕生した事もあり、浦高からであれば地方の国立大医学部に行けるだろうと甘く考えていました。しかし、3浪をした時には焦りましたね。崖っぷちに追い込まれた事が最高の特効薬になったのかもしれません(笑)。農獣医学部(当時)に遠縁の教授がいたことから日本大学医学部に入学出来ました。入学後は金持ち集団の子弟ばかりで驚きました。この仲間と同じ職場にいたらいつまでも這い上がれないと感じてもいました。大学2年の時に父親が僧帽弁置換術を受けていたので、将来は腕を上げたら実力が認められる外科医になろうと決めました。また、無医村の地域医療に貢献したいとも考えていました。

 私大医学部に入るには「ある程度の成績とコネと金」が必要で、タイミングも重要なんだと知りましたし、大学教授になる時も「実績とタイミングと人脈(コネ)」が揃わないと取れないポストだと感じましたね。教授選の選考委員になる事も多いのですが、この要素を事前に準備出来ている人は強いと思います。

——天皇陛下の手術を執刀されました

 天皇陛下の冠動脈バイパス手術の日は私にとって生涯で最も予想し得なかった1日です。しかし、いつも通りに朝5時に起き、心身共に準備万端、普通に医局前からタクシーで東大病院に向かいましたが、迎え撃つ報道のカメラに「ここに手術する外科医がいるからしっかり捉えておけよ」という思いで前を向いて玄関に到着したのを覚えています。

 この日のことは生涯忘れることは出来ないと思います。そして、3カ月後にエリザベス女王戴冠60周年記念式典に出席され、帰国された時のご様子を見て「手術は成功したんだ」と実感しました。嬉しかったです。

——日々心掛けていること・今後の医療について

 私は平成の30年間で成長し、経験を積んだ結果、円熟して期待に応えられる心臓外科医になれたと感じています。しかし、後半にはEBM(Evidence Based Medicine)が確立されて期待値と結果の食い違う医療の見直しを余儀なくされました。患者さんの安全を守るために新規の低侵襲治療や高額な医療機器を取り入れることは外科医が真摯に向き合う今後の課題だと感じています。どの世代の患者さんでも合併症を来すことなく「佳く生きる」「佳く永く生きる」ことを後押ししてあげなければ真の外科医ではありません。自分のエビデンスを振りかざして自己利益相反の高い手術になっていないかを常に反省する重要性を次世代に伝えていきたいです。しかし一方で、前に向く力を後押しする必要性も感じていて、過去にはエントリーされなかった患者さん達へのエビデンスづくりにも積極的に関わる強い気持ちを持つようにしてほしいと願っています。後輩達の元気な姿を確かめながら現役の外科医を終えられたら最高の外科医人生だと思っています。

 

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