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未来の会

第192回 患者のキモチ医師のココロ
職場での「こころの健康」は意外にむずかしい

第192回 患者のキモチ医師のココロ職場での「こころの健康」は意外にむずかしい

 今回は患者とのコミュニケーションの話題から少し離れて、職場内の心の健康、さらには自分自身の心の健康について考えてみたい。

 働く現場で近年の最大のトピックのひとつといえば、「メンタルヘルス対策」。これに異論を唱える人はいないだろう。

 ただ、その「対策」の目標の解釈については、千差万別のようだ。たとえば先日、ある医療機関の経営者との雑談でこんな話を聞いた。

「うちはここ何年か、うつ病などのメンタル疾患で休職する従業員はひとりもいないんだ。休みも取れるようにしているし、こころはけっこう健康なんじゃないかな」

 もちろん、メンタル疾患での休職者や離職者をなくすというのは、対策の基本中の基本だろう。ただ、それだけで「こころが健康」と言えるかどうかは、また別問題なのだ。

ハードルが高い厚労省の「こころの健康」

 厚生労働省が出している「厚生労働白書」は、「こころの健康」(=メンタルヘルス)をこう定義している。これはあまり知られていないので、その“ハードルの高さ”に驚く人もいるのではないか。以下は『令和6年度版厚生労働白書—こころの健康と向き合い、健やかに暮らすことのできる社会に——』からの引用である。

 本白書では、「こころの健康」を、「人生のストレスに対処しながら、自らの能力を発揮し、よく学び、よく働き、コミュニティにも貢献できるような、精神的に満たされた状態」と定義して用いている。これは、世界保健機関(WHO)が2022年に刊行した報告書“World mental health report: Transforming mental health for all”( 以 下:「WHO2022報告書」)で用いられている用語であるmental healthの定義を参考にしているものである。同報告書では、mental healthについて、「健康とウェルビーイングに不可欠な要素」であり、「精神障害(mental disorder)の有無に関わりなく定義されるものである」とされており、本白書でもこころの健康をそのように捉えている。

 つまり、精神疾患がなければ即、「こころの健康」が保たれているとは言えないし、逆に精神疾患があっても一部では「こころの健康」が保たれる場合もある、ということだ。

 ここでこころが健康であるかどうかの決め手になるのは、「精神的に満たされた状態」かどうかで、そのためには「自らの能力を発揮し、よく学び、よく働き、コミュニティにも貢献できる」ことが不可欠だろう、と厚労省は考えているのである。

 前述の経営者の医療機関はどうだろう。たしかにうつ病などで長期休職する人はいないかもしれない。しかし、上司からのハラスメントを苦々しく思いながら「でも給料はいいし」と働いていたり、忙しすぎて職場の同僚たちとコミュニケーションを取る時間がまったくなかったり、自分の専門性がまったく発揮できない部署に所属させられたりしている人がいたとするなら、その人たちはとても「こころの健康」が保たれているとはいえないのだ。

 これは最近、注目されている「ポジティブ・メンタルヘルス」の考え方とも共通する。メンタル不調者を出さないのがこれまでのメンタルヘルス対策だったとするならば、これから求められるのは、働き手が職場で活力や誇りを感じたり、やりがいや達成感を手にしたりできるようなよりポジティブな対策だとされる。それは生産性の向上につながるばかりではなく、メンタル不調者や離職者の減少にも効果的であることが知られている。

 ここまでのことを簡単にまとめるならば、職場における「こころの健康」で大切なのは、疾病があるかないかではなく、「いきいきと働けているかどうか」なのだろう。

 先日、昼食時に食堂のテレビで流れているニュースをなにげなく見ていたら、「障害者がワイン畑で害虫駆除」という話題を取り上げていた。障害者とともにワイン生産を目指している会社が、ぶどうにつく害虫駆除を障害者施設に委託し、それが行われたというのである。「炎天下でそんな重労働を」と一瞬、心配になったが、映像を見たらその懸念は払拭された。指導員に説明を受けた人たちは、真剣な面差しで害虫駆除作業を行っている。インタビューでは「最初は怖いと思ったけど、これで良いワインができると思って一生懸命にやった」「思ったよりたくさん取れた、またやりたい」などとうれしそうに語っていた。働き手は心身に障害を持つ人たちだが、これぞまさに「いきいきとした職場」だと感じ、その意味では「心の健康」が守られているともいえる。

 さて、読者のみなさんの職場はどうだろう。いや、その前に自分自身はどうだろう。仕事を通して、「自らの能力を発揮し、よく学び、よく働き、コミュニティにも貢献できている」、という実感はあるだろうか。生活の糧のためだけに働いているという人は医療従事者には少ないかもしれないが、仕事を通して誇りや活力が与えられているか、となるとどうだろう。若い時代、よく仲間と「宝くじでいくら当たったらいまの病院をやめるか」という話をしたが、中には「たとえ何億あたってもやめない」と言い切る人もいた。その人はまさに「自分は職場でこそいきいきと生かされる」と実感しているのだろう。

職場をいきいきとさせるために

 では、経営者や施設長が自分の職場をそのような場にするにはどうすればよいのか。

 まず大切なのは、それを阻害している要因を取り除くことだ。ハラスメントが最大の阻害要因であることは言うまでもないが、従業員に自主性や裁量権を与えずすべてを上司が指示しようとしたり、同僚同士で失敗を見つけてはとがめあったり、一部の人だけがいわゆる“えこひいき”されたり、といった要因も「いきいき」を削いでいく。働く人たちが「ここでなら多少、うまくいかなくても院長や医局長がサポートしてくれる。だから思う存分、自分の力を出したり新しいことにもチャレンジできたりする」と思えれば、「さあ、今日もがんばろう」と自分を奮い立たせる気もなるだろう。ただミスがないように働けばよい、というわけではない。ただ疾病で休職しないように働けばよい、というわけでもない。「職場のこころの健康」で大切なのは、働く人が「ここで私は生かされている、いきいきと仕事ができる」と思えるかどうか。

 そう言われたら、「そんなむずかしいこと、とても自分にはできない。従業員が病気にならないようにするのが精いっぱい」と思う人もいるかもしれない。そのときはまず、自分自身がもっといきいきと日々をすごすにはどうすればよいか、を真剣に考えてみるとよいと思う。トップが仕事や仕事以外の活動を通して楽しそうにいきいきとしている姿を見ると、従業員も「私もああなりたい。そのために自分の部署で必要な改善はなにか」と足元を見直し、さまざまな提案を行う人も出てくるのではないか。

 職場で必要な「こころの健康」について、厚労省の定義に立ち戻り、もう一度、自分の職場に照らし合わせて考えてみてほしい。きっと「そうか、こうすれば」という新しい気づきがあるに違いない。

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