
医師を志した妹が臨床研修医に
「精神科医になりたいです」
今年3月、医師国家試験に合格した20代の女性Aさんは迷いなく言った。まさかの答えに驚いた筆者は、思わず言ってしまった。
「えっ!やめた方がいいんじゃない?」
約15年前、筆者はAさんの母親と知り合った。当時の母親は、精神科で誤診や大量投薬の被害を受けた患者を助ける活動を行っており、筆者も大学病院のヤブ医者の診察室に一緒に乗り込んだことがあ↖る。実はAさんの姉も精神医療の被害者だった。中学生の時に陥った不登校の背景に「統合失調症がある」と決めつけられ、多くの薬を飲まされた。そのため生じる様々な副作用は「病気の悪化」にすり替えられ、長期入院を強いられた。家族は主治医の指示で面会を拒まれ、やっと会えた時には変わり果てた姿になっていた。
「このままでは本当におかしくなってしまう」。母親はインターネット掲示板などで情報を集め、愛媛県松山市の精神科医・笠陽一郎さんが無料で電話相談を受けていることを知った。2024年11月号で紹介した「ガラケーで1万人を助けた精神科医」である。「患者さんに育ててもらった」という笠さんの波乱万丈の人生は、またの機会に紹介する。
2000年代は多くの子どもが「精神病」の予備軍扱いをされ、ずさんな投薬の餌食になった。統合失調症の前兆を見つけ出し、早期治療を始めれば予後が良くなる、という考えが注目された時期と重なる。幻聴のような現象は発達特性のある子どもに起こりやすいのだが、これを「精神病になる証」と決めつけたことで誤診・誤投薬の大混乱が巻き起こった。
「ひどい時代でしたよ。統合失調症と言われて↖薬を飲まされた女子中学生たちが、おむつをして、よだれを垂らして次々とうちのクリニック(味酒心療内科)にやって来たのですから。児童精神科医が余計なことをした東京、三重、長崎の被害が特にひどかった」と笠さんは振り返る。

Aさんの母親も、退院を渋る病院から姉を連れ出し、飛行機に乗せて味酒心療内科を受診した。「大丈夫、あなたは病気じゃない。薬をゆっくり減らして環境を整えれば必ずよくなります」。笠さんの言葉に励まされた親子は、家の近くで協力医を見つけて減薬を開始した。向精神薬の減薬は一筋縄ではいかない。減らした反動で暴れたり、叫んだりすることもある。だが、再び病院に連れて行ったら「それみたことか」と言われてまた薬漬けになる。親子は笠さんの言葉を信じて耐え続けた。
姉が精神科で薬漬けになった頃、小学校高学年だったAさんは大混乱の家庭で成長した。理不尽な人間社会に関心を持ち、文化人類学を学びたいと考えて高校は文系コースを↖選んだが、母親が以前に漏らした「あなたが医者になって治してよ」という言葉を忘れられず、進路を変えた。
「笠先生のように子どものことが分かる医師になりたい。精神科で最も大事なのは対話力だと思うので、精神療法をしっかり学びたい」
姉はすっかり元気になり、結婚して子どもができた。3月末、Aさんは臨床研修病院の近くに引っ越すため、実家のある東京を発った。日用品をたくさん詰め込んだ荷物の中に、ヒエラルキーのない対話の力で統合失調症などを劇的に改善する「オープンダイアローグ」の本を入れて。
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