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未来の会

第204回 政界サーチ
自公連立崩壊で政界「ガラガラポン」

第204回 政界サーチ自公連立崩壊で政界「ガラガラポン」

初の女性総裁となった自民党の高市早苗氏は党の要職に旧安倍派の裏金議員を起用したのを契機に長年の友党・公明党の連立離脱を招き、政権発足手前で立ち往生の危機に見舞われた。政界の空気は一変し、野党による連立政権発足と自民党下野が囁かれる等、混沌としている。初の女性首相が誕生したが、政界では「出来ても短命は避けられまい」との見方が強く、行く手には暗雲が立ち込めている。

 高市総裁は麻生太郎副総裁等支持勢力と呼応し、旧来の右派色を薄め、自らを「保守中道」と位置付ける等、穏健派へのアピールに腐心した。自民党内の融和や連携せざるを得ない野党への配慮からだが、足下に広がる不穏な空気を見逃していた。

 「党内融和、全員活躍」を掲げ、幹事長代行に旧安倍派の萩生田光一元政調会長を起用した事に公明党の支持母体が猛反発。本来、密かに進められるべき国民民主党との連立協議の舞台裏がテレビで報じられる等、公明党を逆撫でする事態が続いた。

友党へのケア怠り、不信招く

 「公明党がギリギリの状態だったのに気付けなかった。最終的には政権の旨味に釣られるだろうと、根拠も無いのに高を括っていた。不覚だった」

 高市支持派の中堅議員が述懐する様に、高市支持派は新たな連立相手の確保に血眼になっていた。政権基盤を固め、政策遂行を図る為だ。麻生副総裁と国民民主党の榛葉賀津也幹事長が会談する等、連立拡大への手は着々と進む。その一方で、26年来の付き合いの有る公明党へのケアは後回しになっていった。

 「表には中々出てこない公明党の裏の空気を読めるパイプ役が高市支持派にはいなかった。麻生副総裁はダメだし、茂木敏充前幹事長に至っては、嘗て〝公明党切り〟を口にしてしまっている。気付いた時にはもう手遅れだった」

 高市支持派の中堅議員はそう語るが、自民党右派内には元々、公明党不要論が有り、度々首をもたげては連立政権に波紋を広げてきたのも事実だ。裏に有るのは、自民党と宗教団体の複雑な関係だ。公明党は元々、旧田中派→旧竹下派と結び付いていた。嘗ての衆院中選挙区制時代、自民党同士で議席を争っていた際に、公明党の支持母体である創価学会の票の塊がモノを言ったからだ。他派閥も黙ってはいない。創価学会とは異なる宗教団体と気脈を通じ、何時しか派閥による宗教票の住み分けが出来上った。小選挙区制に移行後は、公明票は「接戦区での最後の一押し」として機能し、自民党議員には欠かせない集票の材料となった。但し所属する派閥によってそれには濃淡軽重が有り、公明票を上手く差配出来る事が選挙を仕切る幹事長の仕事の1つだった。

 同じ右派で長期政権となった安倍晋三内閣では、竹下派出身の二階俊博幹事長と、やはり創価学会と繋がりの深い菅義偉官房長官の二枚看板が強力な支えになった。高市総裁下の鈴木俊一幹事長は麻生副総裁の義理の弟。父は鈴木善幸元首相という名門であるが、二階氏や菅氏の様な公明パイプは無い。就任直後の事だから、無理も無いのだが、力不足というのは否めない。

 「自公連立は自動更新だという慢心が有ったのは否めない。かと言って、総裁選でライバルだった小泉進次郎農水相を推す菅さんの手前、公明党に顔を出すのは何処か憚られたし、それを成し得る人材も居なかった。公明党嫌いの勢力からも支持を得ないといけなかったしね。妙手は無かったんだよ」

 しょぼくれる高市支持派だが、異なる意見も少ないながら存在している。若手議員が語る。

 「元々、今回の総裁選は自民党らしさを取り戻す為の戦いだった。だから、石破茂首相が辞任しないのなら党を割って、下野してもいいと思っていた。公明党は何様か知らないが、只の宗教屋だろ。彼らの意見には何の意味も感じていない。だから、連立離脱は基本的に喜ばしい事だ。野党が政権を取るなら出来るならどうぞって感じかな。下野したら政策を磨き、本来の自民党になる為、純化するしかない。高市さんは本来の自民党を蘇らせる機会を作った偉人として歴史に刻まれる筈だ」

 下野の悲哀を知らない若手らしい物言いなのだが、半分はヤケクソ、半分は本音と聞いた。確かに自民党は右から左まで異なる意見を内包する包括政党で分かり難い。度々言及しているが、こうした包括政党はボリューム(議員数)が維持出来ないと立ち行かない。ボリューム不足なら純化も一手なのだろうが、それには大掛かりな政界再編が必要となる。

 現在の日本の政党は自民党にしても立憲民主党にしても内部に異なる意見を抱える形でバランスを取っている。時間は掛かるが内部で揉まれる事で急進性を避け、国民の多様なニーズを汲める様にしているのだ。スピード重視の時代には合わないとして、基本政策での純化を求める意見も確かに有る。激変をエネルギーに変えて、前進する米国型への移行等が指摘されるが、それには2大政党型への再編が不可避だろう。そうでないと、憲法改正等の基本政策で国論が二分している現状で、国民の意見を十分に汲み取る事が出来ないからだ。

 但し、それには野党も含めた大規模な再編が不可避となる。やっとデフレからの出口に差し掛かった日本にその時間が有るのかが問われる。繰り返しになるが、その余裕は無いと言わざるを得ない。

窮余の自民少数単独政権も

自民党幹部が重い口を開いた。

 「公明党との親和性に問題が有るとは思っていたが、ここ迄とはね。1からやり直しという事だろうな。国民民主党とはいい感じになっているが、それでも足りない。野党もそう簡単に一塊にはなれないだろう。共産党と参政党が手を携えるのは想像出来んしな。昔の言葉で言えば、『ガラガラポン』の状況だね。自民党なのか立憲民主党なのか。その他なのか。窮余の自民党少数単独政権で繋ぎ、野党有志に協力を得るスタイルになりそうな気もするが、正直、〝神のみぞ知る〟だな」

 「ガラガラポン」とは、祭り等で目にする「ガラポン抽選機」から派生した珍妙な言葉だ。ガラガラとハンドルを回して、小さな穴から出て来る玉の色で等級が決まる仕組みで、その予測不能な様子から、「一度全てをリセットし、結果をランダムに生み出す」という意味に転じて使われる。政界では馴染みの用語で、1990年代に政界のドンと称された自民党の金丸信副総裁が多用した事で知られる。

 政界の成り行きが〝ランダム〟とは、自民党幹部の物言いもかなり無責任なのだが、先々が読み難くなったというのはその通りだろう。先に言及した様に公明党は自民党旧竹下派との付き合いで、政権中枢への進出を果たした。99年の小渕恵三政権の時代である。小渕元首相が竹下派出身なのは言う迄も無い。但し、それ以前にはやはり竹下派出身で、非自民連立政権の立役者となった小沢一郎衆院議員と結び付いて、政権入りを果たしてもいる。小渕元首相は既に亡くなっているが、小沢氏は健在で、立憲民主党に在籍している。自民党幹部の脳裏には小沢氏の姿が浮かんだのかも知れない。

 「90年代からの不安定な政治、〝失われた20年〟は絶対に繰り返してはいけない。そこは麻生さんも高市さんも分かっている筈だ。綺麗事かも知れないが、ここは国家、国民の為に何が出来るのか。虚心坦懐に各党と、膝詰めで話を前に進める他無い。それは下野しても同じ事だ。高市さんも陣営も少々浮かれ気分だった。『ワークライフバランス(仕事と私生活の調整)は捨てる』と公言しているのだから、雑巾掛けでも何でもやってもらわないとな」

 高市総裁周辺は旧交や伝手を手繰り、国民民主党や参政党の台頭で影の薄くなった日本維新の会の引き寄せに成功した。初の女性首相誕生は実現したものの、前途が明るい訳でもない。荒波に揉まれる秋の臨時国会が始まる。

10月10日、自民党の高市早苗新総裁(右)との会談後、公明党は連立離脱を表明

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