
退陣の決断は日本の政治を前に進めるか
石破茂首相が参院選敗北の責任を取る形で自民党総裁の辞任を表明した。10月上旬に新しい総裁が選ばれるが、自民、公明の与党は衆参両院で半数を割っている為、自民党の新総裁が後継首相に就任出来る保証は無い。7月20日の参院選投票から9月7日の辞任表明迄の約1カ月半、石破氏が強く固執したのが、「石破降ろし」を仕掛けた自民党内の自称「保守派」との闘争だった。
消えた「石破らしさ」、垣間見えた被害者意識
「保守主義」とは「旧来の伝統・慣習・考え方等を尊重して、急激な改革を好まない主義」、「保守本流」とは「ある集団で最も伝統的中核となるグループ。特に、保守政党のもの。自民党のなかの吉田茂元首相の系譜に連なる議員グループとされる」と大辞林に有る。吉田派の流れを汲む田中角栄元首相を師と仰ぐ石破氏には、自分こそが「保守政治家」との自負が有る。先の大戦が誤った戦争だったと認め、東京裁判の結果を受け入れて国際社会に復帰した事実を尊重し、A級戦犯の合祀されている靖国神社には参拝しない。その一方で、自民党の党是である憲法改正をライフワークと位置付け、集団的自衛権の行使をフルスペックで可能とする国家安全保障基本法の制定を主張してきた。

その石破氏からすると、我が国を亡国の淵に追いやった先の大戦を正当化したり、東京裁判の結果を否定したりする自民党内保守派の主張は歴史を軽視するものであり「保守主義」とは言えない。ましてや、外国に拠点を置く宗教団体と結託して選択的夫婦別姓制度の導入に反対する事が「保守主義」である筈もない。彼・彼女等を「保守派」と呼ぶのも納得がいかないからカギ括弧付きの自称「保守派」。第2次安倍政権以来、その自称「保守派」が我が物顔で振る舞い、真の保守政治家を自任する石破氏を党内非主流派として10年もの間、排除してきた。
旧安倍派等の裏金問題で自称「保守派」が自滅し、漸く石破氏に出番が回って来たのが昨年の事。衆院選、参院選と続いた与党過半数割れの敗因とされた物価高は、本を正せばアベノミクスの長期化に伴う円安が招いた事態。アベノミクスにしろ、「政治とカネ」問題にしろ、石破氏が批判してきた「安倍一強」時代の負の遺産であり、その責任を負うべき自称「保守派」が「石破降ろし」を先導した事への石破氏の恨みは根深い。退陣を表明した9月7日の記者会見では「石破なら変えてくれる、石破らしくやってくれという強い御期待で総裁になった。しかし、少数与党という事で、或いは党内に於いて大きな勢力を持っている訳でもない。本当に多くの方々に配慮をしながら、融和に努めながら、誠心誠意努めてきた事が、結果として、らしさを失うことになった。どうしたら良かったのかという思いは有る」と吐露した。自称「保守派」に配慮した結果の衆院選・参院選の敗北だと言っているに等しい。自称「保守派」に虐げられてきた被害者意識とも言えようか。
「石破降ろし」を仕掛けた側の振る舞いも見苦しい限りだった。石破首相に辞任を迫るなら、首相が取り組んだ、或いは取り組まなかったどの政策に問題が有ったかを指摘し、自分達であればどの様に党改革、政治改革、経済再生に取り組むかを明示すべきなのに、ひたすら選挙の敗北の責任を追及するばかり。石破氏でなくとも「負けた責任はお前らにも有るだろう」と言いたくなる。只、石破政権が党内融和を優先した結果、自称「保守派」が声高に批判する材料が無かったという見方も出来る。石破氏は退陣会見で、トランプ関税への対応や賃上げ、防災対策、地方創生等々を政権の成果として強調したが、石破氏に期待した人々の思いは正に「政治を変えてくれ」「自民党を立て直してくれ」だったのではないか。自称「保守派」と刺し違える覚悟で「石破らしさ」を前面に押し出していれば、7月の参院選では「石破自民党」が喝采を浴び、右派ポピュリズム政党の台頭を許す事は無かったかもしれない。
1年間の政治停滞が招いたポピュリズムの台頭
石破氏は退陣会見で「我が自民党は、今さえ良ければいいとか、自分さえ良ければいいとか、その様な政党であっては決してならない。寛容と包摂を旨とする保守政党であり、真の国民政党であらねばならない。我々自民党が信頼を失う事になれば、日本の政治が安易なポピュリズムに堕する事になってしまうのではないか」と語った。その言や良し、ではあるが、高邁な理想を語る事と、現実の政治に於いてそれを実行に移す事は別物。石破氏と側近議員達の間では「石破降ろし」に対抗する為に衆院解散・総選挙に打って出る案も検討されたという。「石破降ろし」に加担した者は非公認とし、党内闘争の決着を国民に委ねる案だが、これは自民党が分裂して選挙を戦う事を意味する。それ程の覚悟が有ったなら、首相就任直後から政治改革・党改革に取り組むべきだった。結局は、その覚悟も準備も出来ていなかったという事。退陣表明の段になって「どうしたら良かったのか」等とぼやかれても、石破氏に期待した側は幻滅するだけだろう。
とは言え、自称「保守派」との闘争は続く。石破氏が辞任を拒んだまま自民党総裁選が前倒しで実施されていたら、石破氏は再選を目指して出馬し、無惨な敗北を喫していた可能性が高い。そうなるよりは、自ら辞任する事により、石破内閣に在って農政改革に取り組んだ小泉進次郎農水相や、トランプ関税への対応等、外交面の調整を担った林芳正官房長官の当選を後押しした方が良い。小泉氏は自称「保守派」とは一線を画す穏健保守の改革派。林氏も保守本流派閥の旧宏池会で経験を積んできた。石破氏と敵対する自称「保守派」から総裁選に出馬するであろう高市早苗前経済安全保障担当相や小林鷹之元経済安保担当相の当選を阻む為にも得策だ。
今回の自民党総裁選は、野党との関係も判断要素となるだろう。本稿執筆時点で選挙戦の構図は固まっていないが、仮に小泉氏が新総裁に選ばれれば、穏健保守の改革路線を旗印に立憲民主党や日本維新の会との連携が視野に入ってくるだろう。高市氏が新総裁になれば、減税・積極財政の右派ポピュリズムを共有する国民民主党や参政党、日本保守党との連携が浮上するのではないか。その為、総裁選期間中から野党を巻き込んだ駆け引きが展開される事が予想される。自公だけで衆参何れの過半数も持たない以上、自民党の新総裁が首相に選出されるとは限らず、「野田佳彦首相」や「玉木雄一郎首相」が誕生する可能性も取り沙汰されている。
10月4日に自民党の新総裁が決まっても、政権の枠組みを巡る与野党協議に時間を要する可能性が有る事から、新首相を選出する秋の臨時国会召集は10月中旬にずれ込みそうだ。参院選の与党敗北から3カ月に亘って自民党は党内抗争に明け暮れ、その間、物価高対策も政治改革も停滞する事態を野党が「政治空白」と批判するのは当然だ。石破首相が日本の政治も自民党の体質も変える事が出来なかった1年間、政治停滞が続いていると見る事も出来よう。
願わくは、今回の自民党総裁選で日本の政治・経済の再生策が闊達に議論され、その結果、生み出される具体的な政策を通じて、野党を巻き込んだ政界再編へと進んでくれたらいい。石破首相が期待された改革を果たせず、ポピュリズムの台頭を招いた短命首相として後世に記憶されるのか。それとも、石破氏の退陣の決断が政治の停滞に風穴を開け、日本を前に進める切っ掛けとなるのか。そうした観点から、この秋の政局を注視したい。自民党のみならず、日本の政治全体にとっての正念場である。
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