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未来の会

第161回 患者のキモチ医師のココロ 長引くコロナ対応下の心構え

第161回 患者のキモチ医師のココロ 長引くコロナ対応下の心構え

——あなたの心、ギスギスしたりささくれ立ったりしていませんか?

 いま、医療従事者たちに改めてそう問いかけたい。そして、いま1度、自分の心身のメンテナンスを行っていただきたい。新しい年を迎えるにあたって、私がしたいのはそんな呼びかけだ。

パンデミック長期化がもたらすもの

 コロナ禍も3年目に突入しそうだ。収まってきたと思ったら再び発熱者が増加したり、5回目のワクチン接種業務があったり、さらにこれから1回目、2回目を打つ人がいたり、と医療従事者はいまだに振り回されているのではないか。

 個人的なことになるが、私がいま働いているへき地診療所をひとつのケースとして考えてみよう。ここはそもそも人材のリソースが限られているので、コロナ疑いの発熱者の来院人数増加や地域の施設でのクラスター発生があると、一気に医療がひっ迫する。たとえばふだんは医師ふたり体制で行っている外来診療も、ひとりが発熱者からの電話対応や検査に張りつくことになると、あっという間にひとり体制となる。それだけでも単純に考えてひとりの労働量が2倍となり、患者さんを待たせる時間も大幅に増える。「まだですか」といった苦情が出る、昼休みが取れず夕方も定時に終わらないなど、受付や看護師のストレスもたいへんなものだ。それにワクチンが加わり、すべての医療従事者がオーバーワークとなるのは言うまでもない。

 ほかの医療機関も多かれ少なかれ同じような状況だろう。それでも私のいる診療所はこの周辺40キロにほかの医療機関がひとつもない地域にあるので、「検査もワクチンもここがやるしかない」というのは誰もが知っている。ただ、もしほかにも選択肢があるような都市部だと、当然、「もう無理です。発熱外来はやめましょう」「ワクチン接種は別のところにおまかせしたらどうですか」といった声が内部からも上がるだろう。「いや、ここでやろう」という経営者とのあいだに亀裂や摩擦が生じるかもしれない。

 新型コロナ感染症そのものは、幸いなことにかつてほど重篤な病ではなくなりつつある。自宅療養の若い人が肺炎に陥り、血中酸素飽和度が下がっても入院先がない、といった状況は昔のこととなった。しかし、思いもよらないほどの長期化、第7波、第8波という繰り返しにより、医療従事者の疲弊や人間関係への影響といった新しい問題が浮かび上がってきている。

 私自身にしてもそうだ。へき地診療所で検査に追われる1週間が終わり、週末に東京での外来診療を行うために戻ってくると、電車の中でもマスクをせずにおしゃべりをしている若い人を見ることがある。いまは政府も「マスクの必要のない場面では、マスクを外すことを推奨します」といった説明をしているので、目くじらを立てるようなことではないのはわかっている。それでもつい、「感染者はまだけっこういるのに。こっちはその検査や対応でヘトヘトなのに」と内心、イラ立ちを感じてしまうことがある。まったく合理性を欠いた感情だとはわかっているが、自分がストレスや身体的疲労でいつもよりエネルギーが落ちているので、その場で感情コントロールができなくなっているのだ。

 これもエビデンスがあるわけではなく印象論で恐縮だが、最近、非常勤などで出向いている医療機関でも看護師や事務部門のスタッフから、対人関係の相談をされる機会も増えた。それじたいは「上司が私だけに厳しい」「部署に派閥があって私は無視されている」など職場ではよくある悩みなのだが、ときどき「この人ならもっとうまく対処できるはずでは」といった内容もある。おそらくその人も長引くコロナ禍の疲れから、悩みの閾値が下がってしまっていて、以前なら受け流したり気にせずにすんだりしていたこともそうできなくなっているのだ。

 私は東日本大震災のあと、被災地の自治体職員の心のケアに長期的に携わったのだが、あのときも発災直後より、むしろ2年、3年たってから、うつ病になって受診を始めたり離職したりした人も少なくなかった。そのときも、職員たちの悩みは直接、震災にかかわることだけとは限らず、職場の人間関係や家庭の問題で苦しむ人も多かったのだが、「震災対応で疲労が長期化していることが、日常の悩みへの対処をよりむずかしくしているのでは」と感じた。今回もそれと同じ流れを感じる。

まずは自身をねぎらい、心のしなやかさを保つ

 では、とくに医療機関の運営者や幹部は、どうしたらよいのだろうか。もちろん、最善は仕事が就業時間内に終わるようにし、有給休暇などを適切に取れるようにすることだが、先ほど例にあげた私が勤務するような小規模の医療機関ではそうはいかないのが現実だ。

 その場合、次善の策として、まずは上に立つ人が繰り返し、たいへんな状況に置かれた職員たちに「ねぎらいの言葉」をかけることだ。このコラムでも何度か書いたと思うが、震災後、自治体の長が職員たちに「みなさんはよくやってくれている」「たいへんだがあとひとがんばり、よろしくお願いします」と苛酷さを認め、ねぎらいの声をかけたところでは、職員のうつ病発生率や離職率なども若干ではあるが低かった。逆に、「もっとがんばってくださいよ」「これじゃダメだ」「ほかの町はずっとうまくやってるのに」などと職員のがんばりを否定したりほかと比較したりしたところはどうだったか。それは言うまでもないだろう。

 それから次の手としては、いつもより丁寧に従業員ひとりひとりの話を聴くなどして、定期的に不満や不安を吐き出してもらうのもおすすめだ。その場合、「この人はしっかりしているから大丈夫だろう」などと思わずに、なるべくすべての人に“吐き出し”の機会を与えることが大切。誰もが「大丈夫」と思っている人ほど、仕事が集中していたり弱音を吐きづらかったりしてストレスが溜まっている可能性があるからだ。

 これも私の話になるが、週末にふと前週の診療で気になることがあり、上司にあたる医師にLINEで「こうすればよかったかも」などと連絡を入れた。そうしたら彼は、返信の最後に「先生、週末はここのことは忘れてリラックスしてくださいね」と記してくれたのだ。この診療所では常勤医が燃え尽きないように「休めるときは休む」という方針で運営されていることを思い出し、一気に肩の力が抜けた。

 2023年、このままコロナは“誰もがかかるちょっとしたカゼ”になっていくのだろうか。しかし、たとえそうなっても、いやそうなればなるほど、警戒する人とそうでない人、ワクチンを望む人と反対する人、マスクをする人とはずそうと訴える人などとの間に分裂が進み、人びとの心はいっそうストレスにさらされるのではないだろうか。私たち医療従事者はそれに巻き込まれることなく、なるべくそのときの状況に柔軟に対応できるような心のしなやかさを保ちたい。そのために必須なのは、何より自分の心身の健康だ。「私だけは大丈夫」と過信することなく、つらいときはつらいとなるべく口に出し、家族にでも友人にでも聴いてもらう。上に立つ人ほどそうしてみてはいかがだろうか。

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