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地球儀を俯瞰出来なかった安倍外交の後始末

地球儀を俯瞰出来なかった安倍外交の後始末

ウクライナ大統領が日本に期待する役割とは

「安倍外交」とは何だったのか。「地球儀を俯瞰する外交」を標榜した安倍晋三元首相は退任する前年2019年1月の施政方針演説で「これ迄の地球儀俯瞰外交の積み重ねの上に、各国首脳と築き上げた信頼関係の下、世界の中で日本が果たすべき責任を、しっかりと果たして行く決意です」と誇らしげに語っていた。今になってはこれも空しく響く。

 安倍氏が首相在任中に27回も会談を重ねたロシアのプーチン大統領がウクライナへの軍事侵攻に踏み切った一事をもって、安倍外交の失敗を論じたい訳ではない。中国の台頭によって不安定化するアジア情勢の下、ロシアとの関係を強化する事で中国を牽制する判断には一理ある。

プーチンを増長させた西側分断の成功体験

 問題は、本当に地球儀を俯瞰する外交が出来ていたのかという点にある。ロシアと中国が権威主義国家として、米国と欧州諸国を中心とする民主主義諸国と対立していく世界史の潮流を安倍氏が認識していたのであれば、ロシアが一方的にクリミアを併合した16年にプーチン大統領を地元・山口県長門市の温泉で歓待する様な振る舞いは出来なかったのではないだろうか。

 日本外交の柱は日米同盟である。これは単に米国の軍事力を頼んで自国の安全を図るものではない。第2次世界大戦後に築かれてきた自由と民主主義を基調とする国際秩序の側に立ち、国際社会全体の平和と安定に日本が役割を果たす。その基盤になって来たのが日米同盟だ。

 ロシアのウクライナ侵攻は戦後の国際秩序に挑戦する暴挙であり、その端緒になったクリミア併合を米欧が強く非難する中、安倍氏はそれを不問に付すかの様にプーチン大統領に接近し、蜜月関係の構築に邁進したのである。例えば、中国が台湾に侵攻すべく、台湾が実効支配している東沙諸島に進駐したとしよう。日米がこれを非難してアジア太平洋情勢が緊迫する最中、仮に欧州某国の首脳が習近平国家主席を自国の保養地に招いて蜜月をアピールしたらどうだろうか。

 安倍氏一人がプーチン大統領を増長させた訳ではないが、腰の定まらない国を見つけて首脳の鼻先に人参をぶら下げてやれば、民主主義諸国の分断を図る事が出来るという成功体験を与えてしまった側面は否めない。安倍氏は19年の施政方針演説で「領土問題を解決して、平和条約を締結する。戦後70年以上残されて来た、この課題について、次の世代に先送りする事無く、必ずや終止符を打つ、との強い意志を、プーチン大統領と共有しました」と語った。北方領土交渉を進展させて平和条約の締結に漕ぎ着ける事が出来れば、安倍長期政権のレガシー(政治遺産)になる。プーチン大統領はそんな安倍氏個人の政治的野心を巧みに利用したと見る事も出来よう。

 あ東西冷戦の終結後、西側の民主主義諸国はロシアと中国を市場経済圏に取り込む事で国際秩序に順応させようとしてきた。経済の繋がりが太くなれば、それを断ち切る戦争は起こしにくくなると考えたからだが、ロシアは今回、それを逆手に取る形で、ロシアからの天然ガス供給に依存する欧州諸国に揺さぶりをかけた。プーチン大統領は、安倍氏の様に西側の対露制裁から離反させられると踏んでいた様だが、それに対し米欧はロシアを再びグローバル経済から切り離す厳しい経済制裁で対抗し、日本も制裁の輪に加わった。

 ウクライナのゼレンスキー大統領は3月23日に日本の国会へ向けて行ったオンライン演説で「日本はアジアで初めて、平和を取り戻す為ロシアに圧力を掛け、ロシアに対する制裁に踏み切ってくれた」と述べた。米欧の議会に対しては軍事支援を強く求めたゼレンスキー大統領が、日本に対しては遠く離れたアジアから国際社会の連帯を示してくれた事への謝意を強調した意味を私達は重く受け止める必要がある。

「核共有」より「新しい安全保障体制」を

戦後の国際社会の安定に曲がりなりにも役割を果たしてきた国連は、ロシアのウクライナ侵攻を止められなかったばかりか、安全保障理事会常任理事国の立場に在るロシアが核兵器や生物・化学兵器の使用をちらつかせて国際社会に脅しを掛けたのである。第2次大戦の戦勝国が国際社会の平和と安定に責任を負う事を前提とした国連の集団安全保障体制は崩壊したに等しい。ゼレンスキー大統領は演説で「平和が脅かされる度に強く予防的に行動出来る新しい安全保障体制を構築しなければならない。その為に日本のリーダーシップが不可欠だ」と訴えた。この言葉は岸田文雄首相や安倍元首相の胸にどの様に響いたか。

 世界史の歯車を戦争の20世紀に逆行させてはならない。かつての権威主義体制の下、独自の主張を掲げて他国を侵略し、国家滅亡の愚を犯したのが我が国だ。「プーチンのロシア」に対しては、過去の日本と同じ過ちを繰り返さない様に諭すべき立場にあった筈だし、今からでも遅くはない。第2次大戦の敗戦国という罪を背負い、核兵器を保有せず、平和国家たらんとして来た日本だからこそ、第3次大戦を未然に防ぐ新たな安全保障体制の構築に向けてリーダーシップを発揮して欲しいとゼレンスキー大統領は呼び掛けたのだ。

 だが、ロシアのウクライナ侵攻を受け安倍氏が発信を始めたのは、米国の核兵器を日本に配備して日米共同で運用する「核共有」の議論である。中国、ロシア、北朝鮮の核の脅威に対抗する為米国が開発を進める新たな中距離核戦力(INF)を日本に配備する可能性については、これから冷静に議論すべき現実的な課題ではある。日本には非核三原則が有るからという理由だけで硬直的に否定して良いものではない。

 しかし、核の脅威に核で対抗するのがゼレンスキー大統領の期待する新しい安全保障体制なのだろうか。そもそもは冷戦後の「米国一強」構図が崩れ、米国の国力が相対的に衰退し、国際秩序が流動化していく過程で起きたのがロシアのウクライナ侵攻だ。そうした時代認識を持って地球儀を俯瞰するなら、従来型の核抑止論を前提に米国の核の傘を広げれば済むという安直な発想にはならない筈だ。蜜月を誇った相手が国際社会の敵に回り、自身のレガシーにと取り組んだ北方領土交渉も無に帰した外交失策を取り繕おうと、慌てて強硬姿勢をアピールしている様にも映る。

 安倍外交最大の成果は、集団的自衛権の行使を可能とした安全保障関連法の制定だろう。これにより、アジア太平洋地域の安定に米国が果たして来た役割の一部を日本が分担する態勢を整え、「自由で開かれたインド太平洋」構想にインドとオーストラリア、更には東南アジア諸国を引き入れる事で中国を牽制する戦略的外交を進めて来た。

 民主主義諸国の結束を背景に、権威主義国家による国際秩序への挑戦を排除する。その戦略に基づいてプーチン大統領や習主席の説得に当たって来たのかどうかが問われている。安倍氏は20年春に習主席を国賓として招こうとしたが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大があって見送った。中国はその後、香港の民主派に苛烈な弾圧を加えていく。もしもあの時、習主席の来日が実現し、天皇陛下が国賓として接遇していたらと考えると背筋が寒くなる。レガシーどころか、大きな禍根を日本の外交史に遺していた。ロシアのウクライナ侵攻は、地球儀を俯瞰出来なかった安倍外交の後始末を岸田政権に迫っている。

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