SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

第150回 患者のキモチ医師のココロ 今一度確認したい身体診察の大切さ

第150回 患者のキモチ医師のココロ 今一度確認したい身体診察の大切さ

 若いドクターが行う「身体診察」についてのレクチャーを拝聴する機会があった。そのドクターの病院では、病歴聴取とともに身体診察での所見をとても重視しており、忙しい外来でもなるべく“頭のてっぺんから足の先まで”の身体診察を心がけているという。

 印象的だったのは、レクチャーで繰り返し「身体診察は診断に不可欠なだけではなく、患者と良好な関係を築くための重要なコミュニケーションツール」と述べられていたことだ。聴診を行っただけで、ある患者から「聴診器をあててもらうなんて何年ぶりだろう」と感謝されたというエピソードも語られた。

 その話を聴きながら、私は自分がかつて経験したケースを思い出した。高齢の女性患者が診察室を訪れ、「膝が痛い」と訴えた。「ここは精神科なので膝は診てないんです」と伝えると、「表に『精神神経科』と書かれてた。膝が痛いのは神経痛かもしれないんだから診られるはずだ」と言う。私は「その神経じゃないんだけど……」と困りながら、「このあたりですか」と痛みを訴える部位の触診を行ったり、動かして可動域を確認したりした。おそらく変形性膝関節症と思われたが、私にはアセスメントや治療まで行う知識も経験もない。「整形外科を紹介するときに持っていけるよう、膝のレントゲンを撮ってみますか」と言うと、「そうしてほしい」とのこと。

触診や傾聴で患者の症状が緩和される?

 しばらくして撮影が終わり、再び診察室に入ってきたその患者の表情は、明らかに来院時より明るく変化していた。レントゲン画像を見ながら、「骨折はなさそう、ということはわかるのですが、それ以上はやっぱり私には判断できません。紹介状を書きますのでやっぱり整形外科に行きましょう」と伝えたが、断られた。「先生がいろいろ動かしてくれて、レントゲンまでやってもらったからか、痛みがずいぶんラクになった。よかったら湿布でも出してください。しばらく様子を見てまたここに来ますから……」

 可動域の確認もレントゲンも、言うまでもないが治療ではなくただの診察や検査でしかない。それにもかかわらず、「痛みが軽減した」と言うのである。そこで科学的な態度を優先するならば、「そんなはずはない。それは気のせいですよ。早く整形外科で診てもらってください」と指示すべきなのだろう。しかし、「慢性的な痛み」のように主観的な要素の強い症状においては、本人が「ラクになった」と言うならしばらく経過を見てもよい、という考えもあろう。私は、「それならよかったです。まずは湿布で様子を見ましょうか。でも、また痛みが強くなったらそのときは専門の医者のところに行きましょうね」と言うことにしたのである。

 先の女性のように「検査してもらっただけで治った」というのは極端な例だが、おそらく同じような経験はどのドクターにもあると思う。薬だけでなく、触診や傾聴にも“プラセボ効果”のようなものがあるのだ。精神科では血中濃度が十分に達しなければ効果が出ない抗うつ剤などもあるが、ときどき「あの薬を一回飲んだら症状が消えました。すごい薬ですね」と言われ、答えに窮することもある。

 逆に考えれば、冒頭の若手ドクターの話からもわかるように、現代の生活ではたとえ体調が悪くても、誰かに親身になって話を聴いてもらったり、「熱はないの?」と額に手をあててもらったり背中をさすってもらったりする機会がどんどん減っているのかもしれない。

 とはいえ、「プラセボ効果であろうがなんであろうが、患者が “よく診てもらった”と満足し医者を信頼することが回復につながるなら、それでいいじゃないか」とばかりは言っていられないのもたしかだ。

 今は以前のように「カゼに抗生物質」の処方はだいぶ行われなくなってきたが、診察の場ではときどきそれを要求される。「私の場合、抗生物質が喉の痛みやハナミズにとても効くんです。出してくださいよ」と言う患者に、「カゼはウイルス性だから抗生物質は効果ないんです」と説明して断ると、まれに「じゃ、〇〇先生のところに行きます。あの先生なら出してくれるはずなので」と言われることがある。おそらくそのドクターも、患者に粘りに粘られて抗生物質を処方しているのだろう。しかし、耐性菌の問題があるので、「患者が効くと言うのだからそれでいいじゃないか」ですませるわけにはいかない。ほかにも似たような例は山のようにあるだろう。

感染症対策に傾倒せず「ひとこと」の配慮を

 医療の現場で起きることは、すべてがエビデンスで説明がつくわけではない。これに「否」と答える医療従事者はいないだろう。医療の現場での目的は、患者の疾病を治し、苦痛を減らすことである。これに対しても「そうではない」と言う人はいないと思う。

 では、「患者の苦痛が減りさえするなら、エビデンスや科学的根拠にはあまりこだわる必要がない」となればどうか。この問いになると、さまざまな意見が出そうだ。「そうだ」という答えもあれば、「それを認めてしまえば、ほとんど実証がなく限りなくニセ医療に近いような療法やサプリメントなどもOKということになり、医学への信頼性が著しく損なわれる」と疑問の声を上げる人もいるだろう。

 もちろんこれは“究極の選択”だ。今回のコラムで言いたかったのは、そんなことではなく、冒頭に記した若手ドクターのセミナーでの「身体診察は重要なコミュニケーションツール」という言葉を今一度、確認して大切にしよう、ということだ。

 とくにコロナ禍になってから、オンライン診療や発熱者とのインターホン越しの診療など、患者との接触は減る一方だ。診察室でも、以前のように「喉を診ましょう。はい、アーン」と口の中をのぞき込む頻度などは、ぐっと減ったのではないだろうか。感染対策を優先させるのは当然のことだが、その分、医者とのあいだに距離を感じ、「先生、前のように手をあてて診てくれなくなったな」とさびしい思いをしている患者がいることもたしかなのだ。

 だからといってやみくもに身体診察をすればよい、というわけではないが、だとするならばこれまでよりちょっとひとこと多く言葉をかけるくらいの配慮はしたいものだ。「痛いのはつらいですよね。今回、処方したお薬が効果あるといいですね。私は効くんじゃないかな、と思ってるんですけど」くらいなら、ポジティブなことを言ってもよいのではないか。あるいは、「今はお薬もいろいろありますからね。きっと今よりは少しでもラクになるお薬があるはずですよ」でもいいと思う。私はよく、「薬だけは飲んでいただかないとその人に合う、合わないがわからないんです。あなたに合った処方が決まるまでは何度か変えるかもしれませんが、それまでいっしょにがんばりましょうね」という言葉をかける。実際にからだに手を触れなくても、その人の心に言葉でそっと触れることはできるはず。そう思いながら日々の臨床を行っている。

 

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top