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未来の会

英国のTPP加盟とアジア太平洋地域の各国のせめぎ合い

英国のTPP加盟とアジア太平洋地域の各国のせめぎ合い
アメリカとインドが懸念、RCEPへの膨らむ中国の影響力

TPPとは、2018年に11カ国によって締結された、環太平洋パートナーシップ協定である。23年7月16日にイギリスの正式加盟がTPP閣僚会議で認められ署名された。これによってTPPに参加する国は日本、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、ベトナムにイギリスが加わり計12カ国となる。欧州からの加盟は初めて。加盟国の総人口は約5・8億人、世界のGDPの約15%を占める15兆ドル規模の市場を有する事になる。

 イギリスは既に9カ国と独自の自由貿易協定を結んでいる。これは20年に欧州連合(以下、EU)を離脱した事から、EU時代からの協定を単に引き継いだに過ぎない。但し、ブルネイとマレーシアとは新たな貿易協定となる。英国予算責任局(OBR)は、イギリスはEU脱退後に経済成長を4%も減らしていると認識している。リシ・スナク・英首相は「TPPに加入する事で欧州のみならず南太平洋に広く跨る市場へアクセス出来る様になり大きな経済成長とイノベーションや雇用の機会を得る事が出来た」とメリットを強調した。

 確かにTPPへの加入によってイギリス企業は日本やオーストラリア、カナダ等TPP加盟国に現地法人を設立して生産拠点等を設けて現地で雇用をする必要が無くなる。その事をスナク首相やベイドノック・英ビジネス貿易相は強調し、イギリス国内に企業の経済活動が留まる事での活性化をアピールする。しかし、実はそうではない。それらのメリットは既に各国と結んでいた自由貿易協定で得ている。EU時代から内容的に大きな変化は無い。新たにイギリス企業が現地の企業と同等に経済活動が出来る事になったのはブルネイとマレーシアだけであるから、スナク首相が言う様な大きな成長機会を得た訳ではない。TPP加盟による経済的効果の見通しは今後10年で0・08%の拡大に過ぎない。

英国のTPP加盟で日本が得る新たなメリットは無い

 コモンウェルスをご存じだろうか。コモンウェルスとは嘗てイギリスの植民地だった国々が緩やかな連合体として残っているものであり、イギリス連邦と呼ばれていた。現在も56カ国が加盟し、 政府間組織としては国際連合、上海協力機構に次いで世界で3番目に大きい。加盟国間の法的義務は負わないが少なからずイギリスの影響力は残っている。現在の首長はチャールズ3世。TPP参加国の中でカナダ、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、マレーシア、ブルネイは従来からコモンウェルス加盟国である。つまりマレーシアやブルネイが純粋に新たな経済連携先になったとは言えない。イギリスがEU離脱後にコモンウェルス加盟国に接近し国家戦略を展開する事は当然である。既に70カ国以上と自由貿易協定を締結しEUでは締結出来なかった地域の国々とも経済連携を深めようとしている。

  日本とイギリスは日英包括的経済連携協定(以下、日英EPA)を締結済みである。20年12月31日の英国のEU離脱に伴う移行期間終了に伴い、19年に締結した日EU経済連携協定(日EU・EPA)によりこれ迄得られて来た利益の喪失を回避し日系企業のビジネスを継続させる為に、21年1月1日に日英EPAが発効した。品目数ベースでイギリス側の関税の約99%を撤廃、日本側の関税の約94%を撤廃し、双方の市場アクセスを格段に改善する協定となっている。イギリスのTPP加盟によって日本が新たに得るメリットは無いと言ってよい。最もメリットを受けるのはイギリスであるが、それも決して大きくはない。23年に於いては繊維・衣料が+0・40%、食品加工が+0・35%、自動車が+0・20%に留まるとアジア経済研究所は分析する。

 TPPはアジア・オセアニア・米州地域の自由貿易協定という位置付けから欧州も含む協定へと範囲が広がる。一方、ASEAN加盟10カ国(ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム) と、そのFTAパートナー5カ国(オーストラリア、中国、日本、ニュージーランド、韓国)を含む15カ国が参加する地域的な包括的経済連携協定(以下、RCEP)はTPPを凌ぐ貿易連携の規模ではあるが、インド加盟が見送られた事により影響力は低下した。TPPに関しても主導的な立場であったアメリカがトランプ大統領の任期中に加盟を見送った事でその規模は縮小した。RCEPは世界の貿易額と人口の30%を占める規模となっており、 TPPのみならず欧州連合やアメリカ、メキシコ、カナダ協定をも大きく上回っている。RCEP内では2強になると目されていたインドが抜けた事で中国の影響力が強くなっており、中国による貿易ルール形成主導が起きる可能性が懸念されている。

 日本が、インドが加盟を見送ったRCEPに留まっているのは、日本がRCEPから撤退すると中国の存在感が更に強まり影響力が増す事を懸念しているからだという指摘も有る。確かにRCEP加盟国の中で日本に勝る中国の監視役は見当たらない。20年に締結されたRCEPの日本での経済効果は、21年度において次の様な目論見を持っていた。日本が得ていた関税収入は3159億円減少の見通し。一方、日本製品が輸出国にて課税される関税の支払額は1兆1397億円減少するとの試算である。又、政府の分析ではRCEP協定によって我が国の実質GDP水準は同協定が無い場合に比べて相当の調整期間を経て最終的に約2・7%の増加が期待されるとしている。19年度の実質GDP水準で換算すると約15兆円の押し上げになる。その際、労働は約0・8%増加すると見込まれており、これを19年の就業者数をベースに人数換算すると約57万人に相当し一定の経済効果を得る可能性が有る事を示す分析結果を発表している。

 インドがRCEP交渉を離脱したのは日本が原因

インドがRCEPに参加していたらもっと大きな成果を得る事が出来ただろう。各国は調印締結の寸前迄インドに秋波を送っていた。19年11月にインド政府によるRCEP交渉の離脱の発表後、12月に日本の当時の安倍晋三・首相がインドを訪問 している。当初、日本政府はインドの離脱を交渉戦術上の発言だと捉えていたが事情は他に有った様だ。日印の外交筋によると「関税引き下げ問題というより、関税引き下げに見合う専門職業の相互承認協定(MRA) 等インドの関心事項に十分な手当てをして来たとは言えない事が原因であり、MRAについてASEAN+6の中で最も消極的なのは恐らく日本である」と明かしている。つまり、インドが重んじる貿易交渉の中心課題は関税ではなく、サービスや人の移動等である事を鑑みると専門職業の移動の自由であったが、日本はその事を交渉課題から意図的に逸らして来た。日本が求めるのは観光等のサービス分野での投資の自由である。インドの関心事項はプロフェッショナルな人材が国境を越えて自由に移動出来る事であり、関税の引き下げではなかった。19年当時、会計士や建築士やエンジニアにはASEAN諸国で相互に資格を承認していたが医師や歯科医師、看護師には相互承認の制度は整備されておら ず、国によっては審査に大変な時間が掛かる。インドはこれらMRAの障壁を打開する事をRCEPに期待して交渉に当たっていたので日本と交渉が噛み合う筈もない。どうやら、大失態とされたRCEPのインドの離脱の原因になったのは日本の様である。よって、日本はRCEPが瓦解しない様にASEANの経済貿易振興を調整する存在であるべきだ。

 インドは日本ともアメリカとも中国とも二国間協定を締結していない。アメリカはTPPを主導し日本を参加させた上で中国にも参加を促し、先行したルールに従わせようとしていた。逆に中国も自国のルールにアメリカを従わせたい。インドが中国主導のRCEPの交渉の席に着いたのは、中国の交渉に押されつつあった日本をインドの味方に付ける事で中国の交渉力を削ごうとしたのではないか。アメリカ、中国、インドの思惑をバランスさせ自国の利に転ずる様に仕向けるのは至難ではあるが、日本にしか出来ない役回りである。

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