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未来の会

夜間だけ開く理想の精神科クリニックを開業

夜間だけ開く理想の精神科クリニックを開業

東加古川病院(兵庫県加古川市)精神科医 
アウルクリニック(大阪市)
院長 片上 徹也/㊦


 27歳でくも膜下出血に倒れた片上は、一命を取り留めたものの、左半身麻痺となった。一時の絶望状態から、リハビリテーションによって回復し、30歳にして、理想の精神科クリニック開業という夢さえも現実のものとした。

 2011年3月、深夜に緊急手術を受けたのは、父の勤務先でもある神戸市立医療センター中央市民病院だった。救急医療に力を入れる急性期病院で、長居はできない。2カ月間の入院中、初期のリハビリが始まったが、動かない左半身に絶望といらだちが募った。精神科リエゾンチームの医師からは、「精神面の異常なし」と診断されていたが、どん底だと感じていた。

 転院先は兵庫県内最大の回復期リハビリテーションの専門施設である神戸リハビリテーション病院だ。神戸市内とは言え豊かな自然に囲まれ、キャンプ場もある敷地の一角にある。かと言って、動かない体を抱え、気が晴れるわけがない。

 ままならないのは動作だけではない。呼びかけられても、表情はうつろで、速やかな返答ができなかった。麻痺の影響もあったが、むしろ思考抑制がかかっていて、考えが前に進まなかったようだ。まだ自分は精神科医とは言えなかったが、強い抑うつ状態にあると感じた。

リハビリが実り精神科医の修行を再開

 リハビリの時間以外は日がな、お笑い芸人が出ているテレビをつけっぱなしで、ぼんやりと眺めた。病院食は口に合わず、満足に栄養が取れない一方、体内で生じている炎症反応のために失われるエネルギーは大きく、手も足も見る見る痩せ細った。病前に72kgあった体重は、最も落ちた時期で68kgになった。

 「一生、車椅子かもしらん」。スマホに残る写真は、足がマッチ棒のようだ。しかし、リハビリは着実に実を結び、発症から2カ月後、5月初旬に片上は立ち上がることができた。そして、恐る恐る右足を踏み出し、動かない左足を引きずるように“二足歩行”ができるようになった。「一歩が踏み出せれば、それを繰り返せばいい」——その自信を取り戻すまで、倒れてから半年が経っていた。それから再び希望が芽生えてきた。見舞い客と共に父の車で大阪に行き、鉄板焼きを平らげるなど、旺盛な食欲ものぞかせた。

 片上の心を救ったのは、初期研修中に先輩精神科医から学んだ認知行動療法だった。事実と向き合う際に、ネガティブに陥ってしまう思考を切り替え、行動に移すことで、やる気を取り戻していくものだ。不自由な左半身は元に戻らないが、自分が目指す精神科医であれば続けられそうに思えた。医師としての復帰を見据えて、リハビリに一層力を入れるようになった。

 13年4月、当初の予定から2年遅れで、精神科の阪本病院(東大阪市)に非常勤で勤められることになった。車椅子こそ不要になっていたが、杖が必要というハンディキャップを持つ自分の研修を受け入れてくれたことは、とてもありがたかった。幸い失語はなく、身体障害者として認定されることさえもプラスに受け止められた。

 入院や外来の患者に向き合い日々吸収することは多く、充実していた。しかし、一通り学び、心身共に落ち着いてきたことで、夢がよみがえってきた。一国一城の主として、理想の精神科クリニックを開業することだ。「料理人が早く自分の店を持ちたいのと一緒」だった。

 そこは、都会で生きづらさを抱えている人を対象に夜だけ、つまり病院勤務を終えた後にだけ開くつもりだった。

若者が集う心斎橋で生きづらい人々を支える

 患者にはじっくりと寄り添いたいが、当初からクリニックの構えを大きくしてしまうと、利益を出すことを意識せざるを得なくなる。そんな中、関西屈指の若者の街、心斎橋の駅の側に手頃な雑居ビルを見つけた。リノベーション前は廃墟同然の建物だったため、15㎡で家賃は5万円台という格安だった。診察室と受付を置くには十分なスペース。患者同士が出会うことを好まない場合もあり、待合室は不要だった。内装費用は、何とか貯金で賄えた。

 実は、片上自身が幼い頃から落ち着きがなく、よく言えばエネルギッシュに行動するタイプ、注意欠陥・多動性障害(ADHD)傾向だと自認する。

 それが元で対人関係に悩むこともあったが、克服するに至ったのは、1つは医学部浪人時代に手にした、精神科医である和田秀樹の著作だ。

 もう1つ強い影響を受けたのが、ゆうきゆうという、やはり精神科医の活動だった。ゆうきはクリニックを首都圏で展開し、診療の傍ら、若者向けの啓発書やコミックの原作も書いている。大学時代に出会ったゆうきの本が、悩める片上を救った。

 あの頃の自分のように生きづらさを持つ人のため、精神科のハードルを下げたかった。勤務している病院から兼業の許可もおり、2014年7月にアウルクリニックを開業した。アウルはowl、英語のフクロウで、夜行性の動物である。オウルでなく、敢えて、ア行の先頭に来るアウルとし、「夜の守り神」になろうという思いを込めた。

 スタッフは全員兼業のパートタイムで、当初は採算が取れなくてもワイワイと集うことが楽しかった。やがて、口コミで見る見る患者が集まるようになった。

 現在、夜は月曜が午後8時から、水曜から金曜は午後7時から11時まで、完全予約制で1日に10〜15人を診ている。近隣の人が多いが、紹介されたテレビを見たり、片上の著書や紹介された記事を読んだりして遠方から来る患者もいる。患者の平均年齢は30代で、仕事帰りに寄る人、風俗関係の女性、LGBT(性的少数者の総称の1つ)の悩みを持つ人も来院する。片上は、もつれた患者の心を解きほぐしていく。

 2017年には臨床心理士が心理療法を行う部屋と医療レーザー脱毛を行う部屋を作るため、隣室も借りることにした(医療脱毛は今年1月に終了)。

 2019年に結婚した。障害者である自分と長い後半生を共に歩むと決めてくれた妻には、感謝でいっぱいだ。深夜に妻の手料理を囲むのが至福の時、見違えるほど健康体になった。

 毎日の睡眠を7時間は確保するようにしているが、30代も半ばを過ぎ、ハードなダブルワークをしんどいと感じることもある。それでも、やるべき仕事をやるだけでなく、さらなる変化を模索し続けている。

 ふとした瞬間、周りの人の何気ない所作がうらやましいと思うことがある。両手でパソコンのキーボードを打つ、包丁で食材を捌く、サーフィンさえ……。病を得たことで得たのは、落ち着きだ。片時も惜しんで飛び回っていた自分はもういない。バイクも手放した。

 だが、テニスを再開し、左打ちに替えてゴルフにも力を入れる。右半身を生かしてバランスを取ることを含め、様々な挑戦を楽しんでいるのが、片上の真骨頂だ。                                        (敬称略)

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