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「老後資金2000万円問題」でババ引いた厚労省

「老後資金2000万円問題」でババ引いた厚労省
なすすべもなく、公的年金不信を招く

老後の生活費が公的年金だけでは2000万円不足するとした金融庁の審議会による報告書は大きな批判を浴び、麻生太郎・金融相が受け取りを拒否するという異例の展開をたどった。ただ、想定外の事態に泡を食った金融庁も、「金融商品の必要性のPR」という点ではそれなりの効果を上げた。最もダメージを受けたのは公的年金不信を蒸し返され、矢面に立たされた厚生労働省だろう。

 6月19日の国会。約1年ぶりに開かれた党首討論の場は、老後の生活不安問題が中心となった。立憲民主党の枝野幸男代表は、森友・加計学園問題を引き合いに麻生金融相の報告書受け取り拒否をやり玉に挙げ、「見たくない事実はなかったことにしてごまかす姿勢だ」と安倍首相を責め立てた。これに対し、首相は「報告書は誤解があり、赤字と表現したのは不適切だった」と受取拒否を正当化。一方で「安倍政権では正社員が150万人増えた」などと強調し、年金の保険料収入増によって年金財政は改善したと反論した。

 6月3日に公表された金融庁の金融審議会市場ワーキング・グループの報告書は、総務省による家計調査を使い、高齢の無職夫婦世帯の年金収入と支出の差(平均値)から、「毎月の赤字額は約5万円」とした。これにより老後20〜30年間では計1300万〜2000万円が必要になるとも例示したことで、「老後の2000万円不足問題」として注目を浴びた。

 月の平均年金額と平均支出額の差が5万円程度、という話は公的年金を論ずる場ではたびたび引き合いに出されていたし、老後の所要額が何千万円にも及ぶという表記も金融商品のパンフレットなどにはあふれている。決して目新しい話ではない。しかし今回は、投資で利を得ることとは無縁の層にも「2000万円必要」というギョッとさせる表現が伝わり、批判が火を噴いた格好だ。

 SNS上などでは「2000万円の貯蓄なんて無理」「国は年金を減らしておいて、老後は自己責任でやれと言うのか」といった批判が相次ぎ、公的年金へのこれ以上の波及を恐れた菅義偉・官房長官は、報告書の受取拒否に動いた。官邸の意向を受けた自民党の林幹雄・幹事長代理は6月11日、金融庁の三井秀範・企画市場局長を党本部に呼び付け、「報告書を撤回しろ」と迫った。同党の二階俊博・幹事長は同日、「参院選を控え、候補者に迷惑を及ぼさないように」と、選挙への影響を小さくすることが目的だと自ら明かし、麻生金融相はその日のうちに、「政府の政策スタンスと異なる」と、報告書を受け取らない考えを示した。

騒ぎが金融商品をPRする皮肉

 金融庁の審議会メンバーは21人。金融機関の代表や学識者らが大半で、厚労省はオブザーバー参加にすぎなかった。「老後、公的年金以外で賄う必要のある金額はいくらか」との観点で議論を進め、5月の素案段階の報告書には「公的年金だけでは満足な生活水準に届かない可能性がある」といった表現もあった。批判を受け、こうした記述は削除されたものの、報告書については「公的年金不安を煽り、投資商品を買わせる金融業界の主張そっくり」(厚労省OB)と見る向きが少なくない。

 報告書に忍ばせた金融庁のホンネは、2014年から10年間の時限措置であるNISA(少額投資非課税制度)の恒久化だ。報告書を盾に、NISAの重要性を財務省に認めさせたい金融業界を、所管官庁として後押しする腹だった。政府・与党から「政府が受け取らないと決断した。報告書はもうない」(自民党の森山裕・国対委員長)と梯子を外されたことで、金融庁が痛手を負ったことは間違いない。審議会関係者は「老後の所要額を一律の平均額で示したのが失敗だった」と漏らす。ただし、今回はNISAなどが公的年金の不足を補う金融商品としてクローズアップされたことで、投資会社への問い合わせは急増しているという。大手証券会社の幹部は「騒ぎにはなったが、広告効果は抜群だった」とまんざらでもない表情だ。

 一方、今回の騒動で収支が合わないのが厚労省だ。金融庁の審議会にオブザーバーとして参加していた理由の一つには、個人型確定拠出年金(イデコ)を普及させたい、との思惑があった。17年1月からはイデコに主婦や公務員も加入できるようにし、加入者は4倍増の123万人超となっていたが、今後の公的年金の目減りを踏まえ、イデコのような私的年金を一層広げるという意向だった。

 ところがメンバーの多くを金融業界代表が占める金融審議会は、業界の常とう手段として公的年金不信を煽る戦略に出た。審議会にオブザーバーとして参加していた厚労省にとって議論のコントロールは難しく、せいぜい文言の削除や修正にとどまった。老後、年金以外に一律2000万円が必要となるように読める報告書のトーンは最後まで変わらず、「公的年金だけでは生活できない」との不安を招いた。審議の過程について、厚労省幹部は「まずい方向に行っていると思ってはいたが……」と肩を落とす。

「年金財政検証」は参院選後に先送り

 従来の年金改革は、支給額の不足を現役世代の保険料アップで賄うのが常だった。だが、04年改革はこれに一線を引いた。厚生年金の保険料率を最終的に年収の18・3%に固定した上で、収入の範囲内で給付をする制度に変えた。少子高齢化に合わせて年金水準を低下させていく仕組みで、当時与党は「100年安心」と言い募った。ただ、この場合の「安心」とは、「100年間制度を維持できる」という趣旨だった。100年間年金制度を続けることが可能という「安心」であり、百歳まで年金で「安心」に暮らせるという意味ではない。

 厚労省とて、「公的年金だけで老後生活を賄える」と言ったことは一度もない。だからこそ、私的年金の普及の旗を振っている。しかし、安倍首相や麻生金融相は今回、あえて「100年安心」を曲解し、「100年間、十分な年金を受け取れる」という意味にもとれる答弁を繰り返した。また今年は、公的年金が財政的にもつかどうかを検証する5年に1度の「年金財政検証」の年だ。例年は6月頃に公表している。にもかかわらず、安倍政権は今回、参院選後に先送りするよう厚労省に働き掛けた。年金給付水準の低下があからさまになり、野党に追及されるのを嫌ってのことだ。

 森友・加計問題同様、「臭いものにはふたをする」姿勢に変わりはない。現時点では野党に対案がなく、09年の政権交代のきっかけとなった〝年金政局〟が再現する空気はない。それでも、反発が強そうな議論は封印したり、先延ばしにしたりする安倍政権の姿勢には、与党内からも危惧する声が漏れる。公明党の中堅議員は「隠蔽体質が蔓延している。年金はどんなことで火がつくか分からない」と気をもんでいる。

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