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未来の会

個人情報の「過度な保護」が科学の発展を阻害する

個人情報の「過度な保護」が科学の発展を阻害する
医療分野で個人情報が障害となる話題が相次ぐ

就職活動中の学生の内定辞退率を予測するデータを企業に提供していたとして、就職情報サイト「リクナビ」を運営するリクルートキャリアが、政府の個人情報保護委員会から組織体制の見直しを勧告された。データを第三者に提供する際に必要な同意を取っていなかったと認定し、個人情報保護法違反に当たると判断した。就職に不利になるかもしれないデータが知らない間に企業側に提供された今回のリクナビの事案はあまりに悪質だが、昨今この「個人情報」に敏感になり過ぎている場面を多く目にする。医療や科学の現場でも同様で、「このままだと個人情報に科学が殺されかねない」と研究者も指摘している。

 2016年に個人情報保護委員会ができて初の処分となった「リクナビ」。処分対象は、同社の「リクナビ」に登録する学生のサイト閲覧履歴などを元に、人工知能(AI)が内定を辞退する確率を5段階で算出するサービスだ。一部から同意を得ることのないまま、7万5000人もの学生の情報を元に判定したデータを企業に販売していた。8月5日にサービスを停止するまで、トヨタ自動車や三菱電機、りそなHDなど名だたる大企業を始めとする38社が購入していたことが発覚した。

 大手紙の経済部記者は「リクナビの問題は、個人情報が完全に学生個人にひも付けられ学生側に不利に使われる危険があったこと。内定を辞退する確率が高いと判定されれば、企業側がその学生に内定を出さない可能性もある。企業側は合否判定には使っていないと説明しているが、確証はない」と指摘。大学の就職課の担当者は「リクナビを使わないとエントリーできない企業もあり、リクナビは就活生にとって重要なインフラ。今回の事案は就活生への重大な裏切りだ」と憤る。

 ネット社会において、「個人情報」の扱いに細心の注意が必要なことは言うまでもない。「例えば、昔は住所が分かったところでどんな場所かを調べるには地図を買ったり直接行ったりして調べないと分からなかったが、今はグーグルマップで自宅や近所の写真まで数秒で分かってしまう。そんな社会では個人情報を守らないといけないという感覚が強まっていくのは当たり前だ」と前出の経済部記者は語る。

倫理面で焦点当たった福島県立医大論文

 ただ、「個人情報だからといって出してはいけない、何でも守らなければいけないという考えには疑問もある」(医療関係者)との声も上がる。医療分野では最近、個人情報が障害となる話題が相次いでいるからだ。

 大手紙の科学部記者が解説する。

 「問題となった1つは、住民の個人被曝線量が同意なく使われた福島県立医大の論文です。論文には同県伊達市の市民約5万9000人分の被曝線量と住所の情報が提供されたが、このうち約2万7000人は研究への利用の同意がなかったとされた。これが個人情報保護や研究倫理的に問題とされました」

 確かに被曝線量や医療情報などの情報は極めて重大な個人情報である。しかも、今回の市民の被曝線量のチェックは福島第一原発事故後に伊達市が住民の健康を守るために得たデータである。研究前に計画の立案や対象者の選定について倫理的に問題ないかを審査してから行われる通常の研究の過程で行われた検査ではない。そのため、研究に利用することに同意した住民は半数超に留まったというわけだ。

 問題とされた研究は、住民の外部被曝線量と空間線量の関係を調べ、生涯の被曝線量を推定する論文だ。福島県立医大講師の宮崎真氏と東京大学名誉教授の早野龍五氏が発表し、世界的にも大きなインパクトを与えた。個人の被曝線量と空間線量との関係を調べるという研究の特性上、個人の被曝線量だけでなく住んでいた場所のデータも提供される必要があった。論文の結果は住民の健康を正しく理解するという目的も持っていたが、自治体の持つ住民の個人情報の目的外使用であるとの批判が出るのは致し方ない。

 一方で、伊達市民の被曝線量は、災害直後、自治体でなければ取れなかったであろうデータである。こうしたデータを有効活用することは、科学の進展という面からも有益である。医療研究者は「住民の健康情報を分析するため、自治体が個人の記録をプライバシーに配慮した上で開示することは、個人情報保護法上も認められている。今回問題になった事案は法律違反には当たらない」と話す。ただ、「被曝線量と健康」という世間的に関心が高い分野だけに、「放射線は危険」、あるいは「健康への影響は低い」といった“イデオロギー”に大きく関わる結論に繋がる可能性が高く、それ故に「倫理面」に大きくスポットが当たった面は否めない。

4分の1非公開の産科医療補償制度

 「個人情報」によって、科学の発展が妨げられている現場は他にもある。前出の科学部記者の話。

 「分娩時の事故などで新生児が脳性麻痺になった場合に補償金を支払う『産科医療補償制度』の事故報告書(要約版)の4分の1が、医療機関側や家族側の意向によって非公開になっているのです。そもそも、これまで開示されてきた事故報告書(同)には患者や医療機関の名前、分娩時期などの個人の特定に繋がる情報は載っておらず、公開することで個人情報が流出する恐れはありません」

 産科医療補償制度では、事故があった時の補償金は分娩施設からの掛け金で賄われているが、分娩施設は事実上、掛け金を分娩費用に上乗せする形で妊婦から徴収している。そのため、産科医療補償制度の導入後、出産時に医療保険から妊婦に支払われる出産育児一時金が引き上げられている。

 つまり、産科医療補償制度の掛け金を負担しているのは医療保険の加入者である。そうした公的な制度でありながら、事故報告書の公開が正しく行われていないのだ。同種事故の再発防止のためにも報告書の公表は必要だ。

 朝日新聞の報道によると、公表に同意しなかった理由は「公表に何となく抵抗感があった」「どのようなメリットやリスクが生じるのかよく分からなかった」などの回答が多かったという。

 「個人情報保護法は、公衆衛生の向上に必要であれば、同意がなくても個人情報を第三者に提供することを例外的に認めている。つまり、家族や医療機関の同意なく報告書を公表しても、同法違反にはならないということです」(同記者)。

 もちろん同意が得られるに越したことはなく、制度を運営する日本医療機能評価機構には医療機関や家族に公表の目的や意義を丁寧に説明することが求められる。だが、仮にきちんと説明した上で同意が得られなくても、公表に踏み切ることに法律上の問題はない。

 「ネット社会が進み、個人情報の取り扱いに敏感な人達が増えている。個人情報は正しく扱わなければならず、リクルートキャリアのような商用利用での不祥事はもってのほかだ。一方で、個人の情報を隠したり切り離したりする形できちんと行われている研究に対しては、もう少し科学の発展という目的を尊重してくれても良いのではないか」(関東地方の医療研究者)。個人情報保護の行き過ぎは科学の発展を阻害しかねない。

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