
炎熱の次は豪雨である。干天の慈雨では無い。ひと雨降れば少しは酷暑も和らぐだろうとの切実な願いを打ち砕く様な、情け容赦の無い災害の連鎖だ。2025年の夏は異常である。
東京・永田町も〝狂った夏〟である。旧来の知見では計り知れない展開ばかりで、当事者にも、取材クルーにも、そして国民にも疲労の色が浮かんでいたが、やっと〝頃合い〟が訪れた。
「米国の関税措置に関する交渉に1つの区切りが付いた今こそが、然るべきタイミングだと考え、後進に道を譲る決断をした」
9月7日(日曜日)、石破茂首相は臨時記者会見を開き、退陣を表明した。自民党総裁選の前倒しが不可避な情勢となる中で、「このまま臨時総裁選要求の意思確認に進んでは党内に決定的な分断を生み兼ねない。それは決して本意ではない」と心の内を語った。解放された安堵と悔しさが綯い交ぜの〝石破節〟と共に、狂ったシーズンは終焉を迎えた。
石破首相には、衆院解散に打って出る強硬策も有ったが、猛烈な残暑の中、国民の共感を得られる可能性は低かった。内輪揉めを晒しまくった自民党の支持も望めない。党の「分断・分裂」も覚悟で、総裁選に突入する選択肢も有るが、これには本格的な政界・政党再編が伴う。内外で課題山積の中、国政の空白を招く猶予は無い。
政権基盤を強固にする新たな連立策も実らなかった。一部でパートナーとして期待された日本維新の会には〝政治とカネ〟の問題が発覚。石破首相との親和性の高さで、連携が模索された立憲民主党も参院選の『事実上の敗北』で後遺症を負い、連立云々を言える状況ではなくなった。言葉を幾ら繕っても、無い無い尽くしの果ての終わりである。但し、参院選での自民党大敗からの混迷の1カ月余がまるっきり無駄だったとは思わない。自民党の衰退や立憲民主党の伸び悩みの中で、日本政治の課題が改めて見えてきたからだ。露出した問題点を整理してみる。
根源は自民党という包括政党の限界に有る。自民党は1955年に保守勢力が合同して誕生し、当初から右派と左派の対立を抱えていた。その後も党人派と官僚派、農村派と都市派等、相反する要素が混然一体になって今の自民党が出来ている。最近、一部で指摘される旧安倍派と反安倍派の反目もその延長線上に有る。
包括政党の限界と政党再編
本来相容れないモノが一緒になれたのは政権の旨味が有ったからだ。政治理念や欲望を満たしてくれる可能性が高い政権与党だからこそ、多少の不平不満は我慢し、表面上は一致団結してこられたのだ。2度の下野で、そのブランドには陰りも生じたが、第2次安倍晋三政権後は再び〝1強時代〟が到来する。自儘になった自民党は〝政治とカネ〟に溺れ、国政選挙で大敗を重ねる。遂には、衆参両院での少数与党に迄没落した。
国会で支配的な地位を占めるドミナントパーティーだからこそ出来た筈の相反する多要素の内包は当然、難しくなる。多要素は互いに反発し合い、首相経験者らが危惧した〝分断〟が一気に表面化した。包括政党の限界が剥き出しになったのだ。少なくとも連携相手を含めて衆参両院で常に過半数を得られる状態で無ければ包括政党は立ち行かない。
「自民党は何でもかんでも取り込んでしまう。ドラえもんのポケットみたいなもんだ。でも、飲み込み過ぎて腹痛を起こす事も当然有る。体調(党勢)が良い時なら飲み薬で治ったが、今回は体調も優れない。手術が上手くいくかどうかだな。上手くいかなければ死ぬ事(下野)迄有るだろうな」。自民党長老は、「ついでだから」と思い出話を始めた。
「昔、『自民党の左(リベラル)は社会党(現在の社民党)とくっ付けて、自民党に対抗し得る中道左派の政党にしたらどうか』という話が有った。半分は冗談だが、当時の自民党左派にはAA(アジア・アフリカ)研の流れも有って社会党より左と思わせる位だったから、それなりの裏付けも有ったんだ。ここ迄来て思うのは、度が過ぎるのは良くないな、という事だ。国民民主党や参政党等、新興勢力も出てきた、立憲民主党もお家騒動が絶えないから、ここらで時代に合った形に政党を再構築しても良い頃合いなのかなと思ったりもするな」
政党再編のアイデアである。国民の投票で選ばれる国会議員の身分は簡単には変更出来ないから、新たな政党への再編は長い時間と労力が必要になる。下手に動けば、90年代からの〝失われた20年〟の二の舞だ。それでも、自民党や立憲民主党等のオールドパーティーは内紛が多過ぎる。単なる主導権争いのケースも有るが、掘り下げてみれば基本政策へのスタンスの違いが原因の事も多い。論を競うのなら良いが、根本が異なっているのなら、不毛の争いに陥る。「当面、政党再編が困難なら、連立という面倒は省いて、個別の政策毎に合意形成していくのも有りか」と呟いたら、先の長老が「それって石破政権がやったのと同じ事じゃないの」とニンマリした。
2027年問題と総裁の資質
異なる基本スタンスを火種として内包してきた自民党の現状について、早くから石破政権の継続を主張していた船田元元経済企画庁長官が興味深い事を言っている。少し、注釈を加える。石破首相と船田氏は90年代に小沢一郎氏の下で共に政治改革に邁進した旧知の仲である。時期は別だが、自民党を離党・復党した共通点も有る。政治的なスタンスは近い。船田氏が最も懸念しているのは日本全体の右傾化だという。「端的に言えば自民党の行く末を心配した。具体的には、石破氏がおろされた場合、次が誰になるかわからないが、右バネが自民党内で強くなることを非常に恐れる。というのも、参政党が自民党支持のコアの部分を結構持っていってしまったことに自民党全体が焦っている。参政党の主張を自民党でも取り入れようという力学が働きそうな状況で、石破氏が辞めたら誰が次の総理総裁になってもそちらの方向に引っ張られる。むしろそれが国難だ。私自身はそういうところにはいたくない。保守中道を幅広く自民党内に繋(つな)ぎ止めたいとの気持ちだ」。
船田氏が具体的な危機として挙げるのは台湾有事だ。右派の首相に代われば、「日中関係が完全に駄目になり、その後の日中は大変な状況になる。(中略)中国が台湾を攻めない様に説得したり、中国の野心を和らげる為の日中関係というものが必要だ」と力説している。
同様に2027年問題を引き合いに石破政権の継続を訴えたのが石破首相の相談役を自任した山崎拓元副総裁だ。小泉純一郎元首相等と共に石破首相を招いて会食する等、久々に露出度が上がっている。27年問題とは、2年後に中国が台湾を攻める可能性が飛躍的に高まるとされる国際危機の事だ。理由は習近平国家主席が、その年に異例の共産党総書記4期目を実現し、国家の権威を世界に示す材料として台湾併合を目指していると中国研究者等が指摘しているからだ。
軍事侵攻になるのか、非軍事によるものなのかは意見が分かれるが、何れにしても混乱は避けられない。山崎氏によれば、石破首相が首相で在り続けたい最大の理由は、27年問題への責任感と自負なのだそうだ。山崎氏には「話を盛る」癖も有るが、あながち脚色でも無さそうだ。ポスト石破の面々で、対中外交を上手く熟せそうなのは、林芳正官房長官、河野太郎前デジタル相位だろう。
話は逸れるが、自民大敗の参院選直後に相棒のAIに〝ポスト石破〟の条件を尋ねた事が有る。返答は「英語に堪能で米国と直に交渉出来、中国との関係も熟せる事」で、1番手に河野氏を挙げた。こちらが「麻生太郎最高顧問とも折り合いが悪いし、党内でも人気が無い」と退けると、「麻生氏と河野氏はいわば親子関係であり、仲違いしても繋がりは断たれない」と絶妙に返してきた。
〝石破時代〟は、米国の変質と、中国・ロシア・北朝鮮等、日本とは価値観を異にする国家群の再編成という外的変化と、包括政党の限界が同時に現出した難儀な時代だ。誰が首相でも行く先は険しい。与野党とも内輪揉めをしている暇は無い。内部に矛盾を抱えた既存政党でやり繰りするのなら、日本にとって何が必要か、党派を超えて十分に議論出来る国会の有り様を再検討する必要が有る。
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