
昨年10月に東京医科歯科大学と東京工業大学が統合し、新たに東京科学大学が誕生した。2020年以降、幾つかの国公立大学が統合したが、研究力が国内最高水準と認められた「指定国立大学法人」同士の統合は初のケースとなる。統合の目的は、医学系と理工系の強みを生かした「医工連携」を進め、世界と肩を並べる大学へと成長する事だ。その為には、双方の大学の人材や研究成果を文字通り「統合」する事が欠かせない。新大学はどの様な道筋で世界を目指し、何を実現するのか。東京科学大学医療担当理事で最高医療責任者(CMO)の内田信一氏に統合の舞台裏や、今後目指す方向等について話を聞いた。
——日本初の「医工連携」による統合は、どの様に実現したのでしょうか。
内田 東京科学大学の田中雄二郎学長が、東京医科歯科大の学長を務めていた2022年頃、新型コロナ対応を行って来た中で「もっと社会に貢献出来る大学になるにはどうすれば良いのか」と考え始めたのが統合のスタートでした。東京医科歯科大学は「医療系総合大学」を名乗っていましたが、大きな枠で見れば医療系の単科大学です。コロナ禍では、診療面で大きな貢献をしたという自負は有ります。しかし、欧米の大学に比べると、研究成果の発信という点では大きく後れを取っていました。残念ながら、そこ迄対応する余裕が無かったのです。そこで「他の大学と組んで研究力を強化しなければならない」と考える様になりました。
——臨床と並行して研究活動を行い、論文まで提出するのはかなり負担が大きい。
内田 医療現場では、患者の生死に関わる状況が多く、「研究の為に患者検体が欲しいと言われても手が回らない」という雰囲気が有りました。それは、医療スタッフがそれだけ真剣に治療に向き合っていたという事であり、決して恥じるべき事ではありません。只、医療現場の責任者としては、スタッフ全体にもう少し研究マインドが浸透していれば対応も違っていたのではないか、また、現場にもう少し余裕が有れば、研究にも力を注ぐ事が出来たのではないかという思いが有ります。
——そうした思いに東京工業大学も共感した。
内田 当時の東工大の益一哉学長も真剣に受け止めて下さり、両学のトップ同士で検討を開始したところ、東工大にとっても、研究を進める上で「医学」が必要だという事になり、そこから「医工連携」という方向性が明確になりました。大学統合の方法には、名古屋大学と岐阜大学の様に1法人が複数大学を運営するという方法も有ります。しかし、「世の為、人の為に活動するには、1つの組織として統合する事が最適だ」という思いが、両学長の間で一致し、大学自体を統合する道を決断しました。
——同じ理系大学とは言え、文化も歴史も違います。統合を進める中で違和感等は無かったのですか。
内田 文化の違いはお互いに様々な点で感じるところが有ったと思います。しかし、「統合する」という考えが揺らぐ事は、殆ど有りませんでした。只、実際には、統合に向けての話し合いが始まった当初、東工大側から見た医学部に対するイメージは決して良いものばかりではありませんでした。山崎豊子さんの『白い巨塔』の影響も有ってか、「医者は独善的で人の意見を聞かない」というイメージが未だに残っていた様です。そこで、東工大の関係者の皆さんに何度も病院見学に来て頂き、その様な印象を払拭するよう努めました。又、議論を重ねる中で特に感じたのは、両大学の物事の進め方の違いです。東工大は最初に最終形をきちんと構築してから取り組むのに対し、医科歯科大はある程度の計画を立て、走りながら柔軟に修正して行くスタイルです。それでも、社会に貢献したいという想いと、社会課題の解決には医歯学と理工学の融合によるイノベーションが不可欠であるという確信は強く共通しています。その為には、知の循環を促す組織と自由でフラットな学風が必要です。実際に新しい大学が誕生し、新たな執行部が揃った現在では、まるで以前から一緒に大学を運営して来たかの様であり、今では何の違和感も有りません。
——大学の規模は東工大の方が大きかった訳ですが、対等の統合となりました。
内田 病院を擁している分、東京医科歯科大の方が事業規模としては大きいという面も有りますが、少なくとも私の周囲には、東京医科歯科大が吸収されるといった感覚の人はいませんでした。当時の田中雄二郎学長も対等合併を強調しており、互いにプライドを持って協議に臨んでいました。
LEAVE A REPLY