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未来の会

第92回「日本の医療」を展望する 世界目線 医師が組織に属するということ ⑥

第92回「日本の医療」を展望する 世界目線 医師が組織に属するということ ⑥

今までの論考を基に、米国の医師が自身の在り方をどのように考えているのかということを論じてみたい。それを基に日本の医師と組織の在るべき姿を徐々に深めていきたいと思う。

グループ医療に対しての考え方

最近でこそ、メイヨー・クリニックのような有名病院では医師が勤務医として所属するケースが出てきたが、独立意識の強い米国では、日本と同じ意味での勤務医はおらず、医師が個人単位で病院と契約し、自分の患者が入院したときに診察に行く形が中心である。その一方で、米国人医師は専門家意識が強いので、各自の専門を生かせるグループ診療は以前から盛んであった。看護師と医師の業務は分かれているが、米国では、看護師の専門性も認められ、専門的な看護師は、日本で言うところの医療行為もかなりこなす。これが、現在日本でも議論があるナース・プラクティショナー(上級看護師)である。

ナース・プラクティショナーは、もともとは医師不足に対処しようとしたものであったが、現在では「高度な大学院教育と臨床実習を経て、幅広いヘルスケアサービスを提供する準備ができた登録正看護師のこと」と定義されており、医師からのタスクシフトの範囲は、一部の処方箋発行から、コンビニエント・クリニックといわれる簡易的な診療所の管理までと幅広い。

本邦では、名古屋で1970年代に医師のグループ診療が始まったが、これは米国流を導入したものである。さらに、後述するビジネスにも関連するが、米国ではグループを組んでより大きな力、例えばマネジドケアを行う保険会社に対抗しようとする動きもある。これは、診療をしているグループ自体が行う場合と、グループを管理する第三者的な会社を作って行う場合とがある。いずれにせよ、より強い力に対抗することを目指し、あるいは効率を求めてグループで医療を行う動きが活発である。ここは日本と異なっている。

ビジネスについての考え方

ビジネスに対しての考え方が全く異なるというのも大きな相違点である。もちろん、背景となる文化が異なるので必ずしも医師の考え方の相違だけではない。そもそも米国では、大学を中心としてベンチャービジネスが何百と立ち上がっているように、学者(医師)がビジネスを行う事に対してのハードルが非常に低いと考えられる。

医療に比較的関連がある治験に限っても、ビジネスを行う上での不都合(Needsと言い換えてもいい)が起きると、CRO(Contract Research Organization)、 SMO(Site Management Organization)など瞬時に新しいビジネスが立ち上がる世界である。実際、医学部の教授が企業と大学のポストを行き来することも日常茶飯事である。日本と米国では当然、企業内医師やビジネス界にいる医師についての関心も全く異なる。

ただ、この点は日本でも近年、かなり変化してきている。メドピアやメドレーなどの上場企業の経営に中心的な立場で関与したり、自ら起業したりする医師も増えてきている。ただし、大企業に就職する医師の数はあまり増えていないようだ。もちろん、生命保険会社や製薬会社など企業の理由で、医師の就職者を増減させている場合も想定される。だが、やはりこれは「日本の医師が組織人足りえるか」という問いに関係すると思っている。ベンチャー企業や小規模の会社には親和性があっても、私自身の経験を振り返る限り、医師という職業は、なかなか大企業にはなじめないのではないかと思われる。

専門家における医療に対しての考え方

米国の医師は、自らについて“専門性が高いサービス業”だと認識している人が多いと思われる。その為か、状況によっては自らの携帯電話の番号を患者さんに教えることがある。また、報酬はあくまで自分が行っているサービスへの対価という意識が強く、診察時間もある程度長く取ったりする(その分の対価は得ている)。そして、専門意識が非常に強いために分業にも積極的である。その一例は、放射線科の中に部位ごとの専門医がいるといった具合である。看護師との役割分担意識も明確で、手術麻酔の一部を上級看護師であるナース・プラクティショナーが行う場合もあるし、新型コロナウイルス感染症のワクチンの接種においても、接種者の職責が薬剤師などまでかなり広げられたが、医師側からの反対はなかった。

ここで専門家について再度考えてみよう。専門家の集団およびその構成員が増えてくれば、「専門家とは何か」という職業を超えた横の定義が必要になる。まず必要なのは、プロフェッションという概念の定義づけであろう。例えば、69年刊行の石村善助著『現代のプロフェッション』(至誠堂)では、「プロフェッションとは何か。プロフェッションとは、学識(科学または高度の知識)に裏づけられ、それ自身一定の基礎理論をもった特殊な技能を、特殊な教育または訓練によって習得し、それに基づいて、不特定多数の市民の中から任意に呈示された個々の依頼者の具体的要求に応じて、具体的奉仕活動をおこない、よって社会全体の利益のために尽くす職業である」と示されている。

医療職とプロフェッション

プロフェッション(profession)の語源は、「公に言う」、「公に誓う」を意味するprofessである。そして、professionとは、専門性を持った職業を指す。すなわちプロフェッションとは、「神に誓い、公に宣言して、自ら選んだ職務を全うする」という意味である。専門職の人たちは、通常、1つの集団(組織)を形成し、規約を作り、それを遵守する。その集団では自分たちでメンバーを教育し合い、自主的に運営していくという意味で、自律的(autonomic)である。この自律性こそが、プロフェッションと非プロフェッションを区別する鍵であり、プロフェッションの本質は、自律(autonomy)にあるといえる。

つまり、プロフェッションとは、知識や技術によってサービスを提供する職業であるとされるが、専門的な仕事がすべてプロフェッションに区分けされることにはならない。単一の技能に習熟したスペシャリストと混同して使われることもあるが、本来は区別されるべきで、スペシャリストは本来ゼネラリストと対比して用いられる概念であり、限られた専門の仕事を続けている人を指す。したがって、特定の職場を離れたところでも通用するような知識や技術を持っていることだけを必ずしも意味しない。

一般的には、医師のほか、弁護士、企業の監査業務にあたる公認会計士、不動産の鑑定にあたる不動産鑑定士といった国家資格を持っている人をプロフェッションと考えることが多い。建築士や看護師などの職業を含める場合もある。組織論的に言えば、会社などの組織から距離を置くことができ、時には会社や組織に対して中立的な意見をいえる人としてもいい。

ちなみに、働き方改革を規定する「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」では、医師を含む医療機関での専門家は、高度プロフェッショナル制度の対象ではない。これは、高度プロフェッショナル制度の対象とする条件が

1.高度で専門的な知識・技術を要すること

2.業務に従事した時間と成果との関連性が高くないことで、医師は時間の拘束があり、応召義務があることが理由とされる。ただ、この議論は本稿の趣旨とは関係ないので、ここでは医師(などの医療職)=専門家とみなして考えていきたい。

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