2021年11月に海外で報告された オミクロン株は猛烈な勢いで世界に広がった。日本では緊急に水際強化措置が取られたものの、オミクロン株は予想を上回るスピードで侵入・拡大し、第6波を巻き起こしている。今後どの様な推移が予測されるのか、新たな変異株の流行を繰り返さない為には何が必要なのか、新型コロナウイルス感染症の流行初期にいち早く「8割の接触削減」を提言した公衆衛生の専門家・西浦博教授に話を伺った。
——新型コロナウイルス感染症拡大の中で多くの提言や情報発信をされています。
西浦 今回の新型コロナウイルス感染症の流行では、これ迄の日本の常識を超えていかないと切り抜けられない場面がいくつも有りました。8割の接触削減もそうですが、全く空気を読まずに「国際移動をシャットダウンして下さい」と言わないといけない等、今までの常識に無かった様な事を提言しなければならなかった所が、政治と分科会の間で専門家が一番苦労した事だと思います。その中で私自身の役割は、科学的な分析データについて一点の曇りも無くお伝えする事でした。起こっている事を数値と共に伝えるという役割をさせて頂けたのは、科学者としてとても幸せな事だと思っています。もちろん政治と科学の間の摩擦は有りましたし、苦しんでも来ましたが、デルタ株が落ち着いた時には案外、健康的な状態である事を実感出来ました。
——大変なご苦労があったのですね。
西浦 第1波後は、科学的根幹さえ揺るがしかねないぐらい言論の厳しさというのを肌身で感じました。8割の接触削減というのは、必ずしも十分なデータに基づいている訳では無く、イタリア等のデータしか無い中でシミュレーションをやりました。接触や社会経済活動が制限される中で皆さんの不満も有りましたし、日本の経済活動に相当な影響を与える様な事をお話ししているので、それについて不満を抱く感情も理解出来ました。あの時は数理モデル自体が疑われましたし、科学的にやるだけで良いのか、日本ではファクターXが有って流行が起こらないんじゃないか等、色々な意見が百家争鳴しましたね。科学者としてやっている自分でさえ、何を拠り所にしてやれば良いのか迷うほどでした。科学的な根拠について、ある程度皆さんに理解してもらえる所まで耐えれば、必ず分かってもらえると信じながら走ってきましたが、それを実際にやるのは相当勇気のいる事でした。私が「高校野球を観ました」とTwitterでツイートすると、「高校野球を中止にしたのはあなたですよね」「あなたには高校野球について語ってもらいたくない」というお返事が来るんですね。特に第1波の時は専門家に対する批判は相当有りましたが、それにじっと耐えながら、科学的な事実からは目を逸らさずに信じて続けて来ました。
——分科会内での決定プロセスについて教えて下さい。
西浦 決断を下すプロセスには何重もの壁が有りますが、その中で分科会というのは、とても難しい場所でした。政府自体の本音は明確で、社会経済活動を維持する事でした。分科会では科学的な見解を踏まえて政策提言をする一方、政府からの緩和のリクエストにも応えて検討するという両方の役割を担っていました。いわゆるアクセルとブレーキです。東京オリンピックについて言えば、辞めるという選択肢を最後の最後まで私達専門家は口にして来ましたが、政府側からはフォーマルには一切その選択肢は上がりませんでした。ただ、尾身先生が上に立って皆をまとめて下さり、流行状況に応じて先輩方が信念を持ってバランスを保ちながら対策を進めて下さったお陰で、最後まで諦めずに提言をする事が出来ました。
データ分析から見えてくる政策課題
——先生が言う感染症数理モデルとは?
西浦 これは感染症のメカニズムを、数式を使って記述するものです。例えば流行がピークに至る迄にどれぐらいの期間が掛かるのか、この先の感染がどの様なメカニズムで広がるのか、そういったあらゆるものがシステムとして数式で記述されるというモデルです。実はこの原型のモデルとなるものは100年程前に英国で提案され、それが世界中で使われています。今回の流行で、先進国では数理モデルの専門家が政府機関に出入りをして、それを利活用しています。見られている感染者数のデータに数理モデルを適合させると、今まで分からなかった事が沢山分かる様になり、大きな見通しも付ける事が出来ました。これまで盲目的にやってきた時と比べて、遥かに科学的な客観性を増した決断が可能になりました。
——これにはAIや話題のスーパーコンピュータ等も含まれるのですか?
西浦 その通りです。モデルには色々な種類が有ります。微分方程式や確率の式等、数式で書けるものからコンピュータのプログラムでしか書けないもの、AIの場合は機械に任せる様なネットワークを構築するものが多いですね。それぞれに長所短所が有りますが、それらを組み合わせながら最も予測精度が良いものは何か、それぞれの政策課題において最適な選択肢には何が有るのか、それらを分析する手立てが相当なスピードで整理されつつあります。
——そこから出て来たのが8割の接触削減だった訳ですね。
西浦 あれは接触を減らす事で流行を一回抑制して、時間稼ぎをするというコンセプトが周知されていない中で、初めての経験でしたよね。数理モデルを利用すると、8割まで接触を減らす事で、大体1カ月程で一旦落ち着く事が予測出来るので、そこまで皆で協力してやりましょう、という事を日本では意図的にやりました。勿論それに対して、よく頑張ったと言ってくれる人も居れば、相当に厳しい事を言う人も居ましたが、時間が経てば経つ程、あの時はそうだったのかと、だんだん噛み砕いて理解して下さるようになりました。接触が減ったら感染が減るとか、緊急事態宣言で感染者数が一定程度落ちるとか、ようやく皆さんが理解出来る様になって来ましたよね。それは流行を繰り返して、身をもって経験したからこそですが、そういう波を走りながら、新しい技術についてお話が出来た事は、とても貴重な経験でした。
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